学歴詐称問題:私見
先日の書き込みでは、アメリカの大学事情に詳しくない日本の人たちにも、「19単位」足りないと言うことがどういうことか、実感をもって感じてほしいと思い、少しくわしく書いてみた。まあ、人それぞれ留学の目的が違うし、それぞれの選択にもドラマがあるから、中退と言うことをすべて否定しようとしているわけではないことを強調しておきたい。むしろ、今回の問題の怒りは、アメリカの大学のことだからと思って逃げ切れると思った議員や民主党に向けられているんだと思う。
しかし、古賀潤一郎議員の経歴を見てみると、アメリカから帰国してからは、県議の秘書などをしながら、地道に政治家修行をしたんだろうなあ、と思う。このあたりの感覚はよくわかる気がする。アメリカで何をしていようが、日本に来たらそれまでの経歴がすべてリセットされてしまうということがよくある。たとえば、アメリカの大学の学歴は日本で就職するときにはかなり低く見られていると思う。これは極端な例だが、アメリカの大学院に籍を残しながら日本で研究していた時、中学の英語教師のバイトを受けて落ちたことがある。後で電話をしてその理由を聞いてみると、「英検は何級ですか?」と聞かれた。英検か、TOEICか、ともかく日本で知られている試験や資格がないとだめだというのだ。アメリカの大学卒なのですが、と言ったが聞いてもらえなかった。アメリカの大学システムから日本の大学に編入することも、制度的にも経済的にもいろいろ障害があってととてもむずかしい。
日本とアメリカでは社会のシステムが違うんだから、それは仕方ないことかもしれない。ただ、もし日本の社会におけるアメリカ大卒のステータスがもう少し高かったら、古賀議員も大学に残って学位を取れるまでがんばる意義もあったし、事実そういう決断をしたかもしれないと想像したりもする。
私の知っている仏教学の研究者で、アイビーリーグの名門校で博士号を取得し、その後、別のアイビーリーグの大学、シンガポールの大学で教鞭を取った後日本の大学に就職した人がいる。その大学は大学名に「外国語」が入っている大学で、外国の大学での経験を尊重しているのかと思うと実はそうでもないらしく、給与や昇進のための資料では、海外の大学で教えた分は教授歴に数えないのだとどこかで書いていた。私自身、現在米国の大学で教えているが、将来日本に帰った場合にどうなるのかという不安はある。まあ、この手のことは心配してもあまり意味のないことだと今は思っている。しかし、日本の社会が、海外で活躍した日本人の経験・才能・活力を生かそうと思ったら、制度的にもまだまだ改善の余地はあると思う。
留学といえば、多和田葉子の「ペルソナ」という作品が、留学生活のあいまいな心細さを非常によくとらえている。ディテールに生活の実感がこもっていて、この人は苦労したんだろうなあと思う。(講談社文庫「犬婿入り」所収)それから、もう少し年が下の、ティーンエージの留学(というか、アメリカ移住)というと、水村美苗の「私小説 from left to right」がある。どちらの作品も、海外で住むことの哀しみというか、なんとも切なくもやるせない心情をよく書けていると思う。
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