日本のテレビニュース(ネット配信)で人質事件についての続報を見てみると、「『自己責任』論への批判が海外からも起こっています」と言っている。それで少し調べてみると、次の記事を発見。
Freed From Captivity in Iraq, Japanese Return to More Pain (New York Times)
結論から言うと、この記事、ニューヨークタイムズ(NYT)の日本報道のお決まりのパターンを踏んでいる。
1:興味を引きそうな最新の時事ネタを紹介。
2:「この現象には文化的な背景があるんですよ」といって、安易なステレオタイプに結びつけた説明を加える。
3:読んでいるアメリカ人は、昔習った日本のえせ知識で日本の最新情報を理解できて、「日本ってヘンな国だな」という偏見をさらに強化する。さらに、「それに比べてアメリカはまだましだ」と思わせる書き方をしているので、自尊心を少しくすぐられていい気分になる。
私がアメリカに来た1990年代前半から、このパターンで書かれた記事は数知れず。NYTの日本記事を批判した本もあった。不思議なのは、日本人ではなく、他の人種や国籍の人間についての記事だったら抗議殺到するはずの記事が、日本についてだったら平気で載ってしまうこと。前述の本の例で言うと、「日本の女性がポルノ漫画を読むのは、隠れたレイプ願望があるから」とかいう記事が、沖縄での米兵レイプ事件の数日後1か月半後に出たこともあった。
で、この記事。4月23日付けで、NORIMITSU ONISHIという記者が書いている。この記事の現状認識(上の1)は、「人質となった日本の若い民間人が今週帰国したが、待っていたのは黄色いリボンの抱擁ではなく、国中の非難に満ちた冷たい視線だった」という冒頭の一文に集約できる。この記者は、この人質事件以前には存在しなかったとされる犯人の団体の不可解な背景や、日本人が関与していると思われる様々な証拠については一言も語らないから、多くの日本人が、この事件全体に不透明なものを感じていたということは伝わらない。また、人質の親族が左翼系の団体と密接に連携して、「人質救出」を盾に派手な反戦活動を繰り広げたことも書いてない。
代わりに、この記者は「彼らは『お上に逆らったから』罰せられたのだ」という説を展開する。(上の2)
普段は超洗練された日本の都会に隠れているが、この島国を何百年と統治してきたのはタテの結びつきである。何かの危機の時には、それが表面化する。元人質の罪は、国のイラクへの渡航規制を無視したことだった。階級がないというが実質的にはタテ社会の日本では、okami、つまり「上にあるもの」に逆らうことが罪であるのだ。
上に書いたような事件の特殊な背景を無視したら、このような陳腐な文化論で説明するしかないだろう。日本の歴史には、「反逆」とか「下克上」の例もたくさんあると思うが。まあ、「反日的分子は…」という国会議員もいるのだから、国民は出過ぎたまねをするべきではないと思っている役人や国会議員も多少はいることだろう。でも、全般的に見て、政府も外務省も、彼らの救出に対してできることはしたし、(大部分の)国会議員は下手なことは言わない。
また、「自己責任」論は、どちらかというと一般国民から草の根的に起こってきたのではないだろうか。その時の中心的な感情は「出しゃばって…」というものとは別のものだったと思う。やはり、この3人が、最低限の安全策を取らずに出て行ったことが大きいのではないか。18歳の子供が出て行くのにしっかりした団体のサポートもなく、親は何をしていたのか、というのはどこの国の人にとっても実にまっとうな問いだと思うが。また「プロ市民」というべき団体が関与していた(らしい)ことにうさんくささを感じていた部分も大きいと思う。しかし、この記事ではその辺の背景説明はしない。記事が複雑になってしまうからだ。
話がそれるが、「自己責任」論が出てきた背景には、日本政府が、今回のような事件が起こった場合にあまりオプションを持っていないため、今後似たような事件が起こらないように予防策を張っているという側面もあると思う。今回の事件で、政府やよくやったと思うが、今回のような場合、どうしても国際機関を通しての圧力とか、地元の部族との交渉、あるいはアメリカ頼みということになる。自力で救出部隊を派遣というわけにはもちろんいかないし、他の外交手段も限られてくる。その意味で、日本は狙われたら脆くて、後は運頼みという部分がある。小泉首相や福田官房長官が「自己責任」というのは、それこそ「お上のお達し」という印象を与えかねないが、それはテロ防止の手段が限られていることの裏返しだと思う。
また、この手の説明で問題なのは、これで「わかったような」気分になってしまうことだと思う。実際、この記事を読んだ保守系のコラムニストが、戦死した元アメフト選手の記事で、日本を引き合いに出して、「この選手は日本に行ったら悪人扱いされるだろう。…元人質の三人は現在日本で最も嫌われている人々である。…イラクの人々が豊かで自由な国をつくるのを助けに行った人に日本では敬意を表すると思うもしれないが、そうではない。日本では、いいことをしたらほめられるのではなく、出過ぎたことをしたとして批判されるのだ」などと書いている。こうして、アメリカのコラムニストの間で単純な日本のステレオタイプが増幅されていくのである。
そして、このNYTの記事は、アメリカにさりげなくリップサービスをする。(上の3) 「解放された人質たちを、公に賞賛した政府が一つだけある。それはアメリカだ」と言って例のパウエル国務長官の発言を引用したり、「タテ社会」がいやになった若者は「何か型にはまらないものを求めてマンハッタンのイースト・ヴィレッジにたむろしている」なんて書いてニューヨークの読者に親近感を感じさせたりしている。身近に感じさせるために、読者との接点を求めるのはいい。でも、「アメリカは日本よりすばらしい」と毎回のように結論づけることはないだろう。
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この日本人人質事件の記事は、NYTでありがちな自己中心的な、偏見に満ちた視線の典型といえる。もちろん、ここに書いたような問題はどこにでもあること。日本の海外についての記事も似たり寄ったりのものもあるだろう。ただ、ここで私が取り立てて問題にするのは、すでに書いたように、このような記事が米国のいわゆるクオリティ・ペーパーに載ってしまうこと、このような記事が起点となって、アメリカでの日本への偏見が増幅されること、そして、日本のメディアが尻馬に乗って「海外のメディアではこんなことを言っていますよ」と言ってキャンペーンを張ることである。特に最後の一点は、元の記事の一面性や偏見を考えると、日本のメディアが無批判に「海外メディア」の権威をたてに利用しているのはなんとも愚かに思える。
また、もう一つ注意したほうがいいのは、この一件を通して、元人質が海外メディアの日本班にとっての「反逆のヒーロー」となる可能性があること。ある日本人を、その人の客観的な評価は横に置いて、ただ「日本の体制に反抗している」という理由だけで海外のメディアが祭り上げることがある。前に、TIME ASIA誌で小田実が「アジアのヒーロー100人」か何かに選ばれたことがあった。その意味で、
10 Questions For Jumpei Yasuda (TIME ASIA)
という記事で安田純平氏が早速取り上げられているのは、いやな予感がする。
追記:沖縄レイプ事件とNYTの記事の関連について。記事が出たのは95年11月5日。沖縄の12歳の少女が米兵にレイプされた事件からちょうど1か月半後のこと。訂正しました。でも、ペリー国防相が11月1日に謝罪したり、7日には容疑者3人が罪状を認めるなど、事件の余波が広がっているときにでた記事。悪意があったかどうかはともかく、無神経という謗りはまぬがれられないだろう。ちなみに、この記事の著者は、現在NYTのコラムニストのニコラス・クリストフ。
追記2(2004年9月22日)「また『プロ市民』というべき団体が関与していた(らしい)ことにうさんくささを感じていた部分も大きいと思う。」と言う一文にソースがないとご指摘をいただきましたので少し調べました。
人質事件こう着 “命 後回しにするな” 救出求め国会デモ 撤兵など訴え (しんぶん赤旗)
この記事は、人質事件発生後の4月13日に国会前で行われたデモについて伝えていますが、記事にはこのデモを「呼びかけた」団体として、全労連、安保破棄中央実行委員会、有事法制は許さない!運動推進連絡センター、国民大運動実行委員会の四団体を挙げています。ご参考までに。また、この件についてWikipediaのエントリがよくまとめてあります。
それから、誤解をなくすため、「(らしい)」という部分を削除しました。