追記:マイケル・ムーアなど。
ダバディ氏の「見てから自分の意見を考えてください」というご意見はごもっとも。映画を実際に見る前にいろいろと論評するのは確かに意味がないので、この映画についての意見は、実際に見るまで保留します。
(しかし、アメリカ国内では配給会社の問題があるので見られるのはいつになることやら。)
New York Timesのほうには、Frank Richによる『華氏9/11』の映画評が載った。(英語、nytimes.comの登録が必要。)結構好意的で、これを読むと、確かに政治的に彼に賛成するかどうかはともかく見るに値する映画、という感じがする。
でも、この前のエントリーにも書いたのだが、今のアメリカ、40%はブッシュを強く支持する保守派、40%はブッシュ不支持のリベラル派で、この80%は何があっても意見を変えることは考えられない。で、どちらにも転ぶ可能性があるのは残りの20%だけ。真ん中の20%の争いだから、民主党のケリー氏が共和党のマケイン上院議員を副大統領に指名するという掟破りの一手を使うのではという噂が絶えないわけである。(今日の政治討論番組では、ケリー=マケインの組み合わせは99%実現不可能だが、もし実現したらブッシュ=チェイニーに間違いなく勝てるという意見で一致していた。)
この2派の対立は根が深い。保守派はブッシュ批判を「リベラル・メディアの陰謀だ」といって耳をふさいでしまうし、リベラルの大統領に対する感情は軽蔑や嫌悪を超えて憎しみに近いものがある。この分裂には、たんなる政策の問題を超えて、政教分離の問題(要するに宗教がどれだけ政治に絡むべきか)、文化戦争、教育問題などが絡んでいて、すぐには解決しそうにはない。アメリカの一番の問題は、この2つのグループの間に全く対話が成り立っていないことにある。私の友人には(大学関係と言うこともあって)リベラルな人が多く、ブッシュ大統領の政策を厳しく批判するのだが、もしそれだけ不満があるんだったら、なぜ2000年にブッシュに投票し、今回もブッシュに投票するだろう人々に届くメッセージを考えようとしないのだろうかと思う。
アメリカ以外の先進国での反米主義は、アメリカのリベラル派とは話が合うと思う。でも、問題は、国民のうち保守的な40%はこの種の批判には耳すら傾けないことにある。この人たちは、マイケル・ムーアの顔を見るだけで「ああ、例の左翼の」と言って話すら聞かないと思う。
反米の人たちに聞きたい。この保守派の40%の人たちに、どんな言葉で語りかけますか。
その答えが見つかったら、ノーベル平和賞ものだと思うのだが。
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Comments
>反米の人たちに聞きたい。この保守派の40%の人たちに、どんな言葉で語りかけますか。
>その答えが見つかったら、ノーベル平和賞ものだと思うのだが。
全く同感です。
Posted by: ほんとうのよわいてき | Sep 29, 2004 2:17:28 PM
>アメリカの一番の問題は、この2つのグループの間に全く対話が成り立っていない
>ことにある。私の友人には(大学関係と言うこともあって)リベラルな人が多く、ブッ
>シュ大統領の政策を厳しく批判するのだが、もしそれだけ不満があるんだったら、な>ぜ2000年にブッシュに投票し、今回もブッシュに投票するだろう人々に届くメッセ
>ージを考えようとしないのだろうかと思う。
日本でも同じようなものです。わたしの友人にもリベラル派が多い。彼(女)らは、多少のニュアンスのちがいこそあれ、反米・反ブッシュです。なかにはクシニッチやシャープトンといった泡沫候補の応援をしている人さえいます。
しかし、いつも仲間内で集まって話す。組合関係者・教員・公務員・学生・フリースクールやホームスクール関係者などが、話のあう身内で集まって、「ブッシュも小泉もロクでもない」「最近のマスコミのネオコンべったりの報道はケシカラン。」「マイケル・ムーアって面白いよね」なんて言い合っては盛り上がっています。
しかし、それが日本では圧倒的多数である自民党支持層に届くか? 全然話が成り立ちません。保守層にとってはコミュニティのなかで浮かずにやっていくことが優先です。保守層にとっては、ここ1~2年の職場の確保が最優先課題です。いわゆるサヨクが「デモは表現の自由」といっても、「は? 何?」で終わり。「共産党だ。近づくな。」という発想。平和団体のHPを見ても、「過激派じゃないの? 」街角でデモをみかけたら「ガキっぽいことを!」「甘えるな、ふざけるな」「カルト宗教に洗脳されている」と受け取る。
一部の例外を除けば、サヨクや市民の人たちは、自分たちが保守層からどう見えているか、自覚がありません。サヨクは「話し合い」「対話」を唱えながら、やることといえば、「憲法9条を守れ!」みたいなスローガンの繰り返し。単純な宣伝・広告・イデオロギー注入。
リベラル系と保守系に共通の言語はないものでしょうか? 日本でも二極分化がすすんでいます。お互いのグループはつきあいもなく、影で相手を無視するか非難するばかりです。
立場を問わず、「意見を言うことは意味がない」とし、「議論をするとケンカになるといけないので、すみわけするほうがスマートだ」ということで、異なる立場のものどうしの会話や議論は起こりません。
なおマスコミが演出する賛成派VS反対派については、通じません。「右も左もみな馴れ合いでやっている」と視聴者は気づいているんです。
これからは日本も移民を受け入れたり、階層分化や地方間格差も明瞭になるでしょう。そうすると、ますます共通の言語による討論が求められるのですが。どうすればよいのでしょう? 世代・ジェンダー・階層・民族・出身地や居住地……それぞれのバイアスのかかった見方が、隣のグループを見通せないままでいるとすれば、ファシズムが天下をとったときに、誰も止めることができないのです。
Posted by: ぱれいしあ | Sep 30, 2004 10:38:24 AM
> ぱれいしあ さん
異なる立場の人々をつなぐ言葉が必要だという点、その通りだと思います。この点では、アメリカも日本も似たような問題を抱えていると思います。
私の大学の同僚にもクシニッチ支持者が多かったですよ。「平和省創設」とか言ってた人ですからね。日本の左翼の絶対平和主義みたいだと思って可笑しいなと思ってしまいましたが。
今のアメリカでも、両方の立場の間でコミュニケートする言葉が必要だと考えている人は少数ながらいます。このサイトでもたびたび紹介しているAndrew Sullivanなんかはそうですね。今のアメリカの状況をふまえるとけっこうつらそうですが。
私はこの状況に対する処方箋を持っているわけではないのですが、このような状況だからこそ守ろうと思っている原則のようなものはいくつかあります。一つは、自分の信条と、不特定多数に発する公の言葉を区別すること。それから、常に複数の視点から物事を見ようと努力すること。そして、マイケル・ムーアに代表されるような、感情的、党派的な言葉に対してははっきりと拒否することです。
(追記)上のようなことを勢いで書きましたが、書いてからいろいろと考え直してみると、なかなか難しい問題ですね。生きると言うことはつねに何かを選び取っていくことですし、また書くと言うことはその選び取ったものを表明する、明るみに出す、ということだと思うからです。だから、常に中立・公平であり続けることができると考えることには嘘があるでしょう。それでも、常に対話のための回路は開いていたいとは思っています。
Posted by: むなぐるま | Sep 30, 2004 11:01:03 AM