読んでからよ〜く考えてみたい文章
最近読んで、少し引っかかった文章を二つ。
サッカー・アジア杯「反日」スタジアムの深層心理 王敏氏に聞く(毎日)
大統領は大韓民国を恥ずべき国にするつもりか(朝鮮日報・社説)
前者は、中国でアジアカップの最中に起こった反日行動について、日本在住の中国人教授(専門は「日中比較研究」)が説明している記事。後者は、韓国の一連の「過去史真相究明」(「反日法」)についてついに野党議長が辞任する事態になったことに関する社説。日本人としてこれを読んで、考えてみてもあまり結論が出ないので、読み直してもう一度考え直したいと思った。というわけで、このエントリは結論らしきものがないまま見切り発車で書いている。
まず、前者の記事。インタビューを受けているこの学者、少しくせ者だと思った。この記事の「意図」としては、あの事件にかかわっている中国人をヒューマナイズする、つまり同じ人間として、どうしてああいう事態になったのかを想像してみよう、ということなのだろう。でも、この記事を読んで納得する人はいるのだろうか。まず、「中国で行われているのは愛国平和教育であって、決して反日教育ではありません」と言って、これは「自強教育」という、「一人一人が己を磨いて国家を強くするという思想」伝統なのだという。「自分を強くしなければ再び同じ目に遭うかもしれない」から、近代史の侵略の歴史を強調するのだということだ。でも、はっきり言ってそれはやはり歪んだナショナリズムなのではないだろうか。日本の幕末では、「攘夷」もあったが「開国」もあった。自国への誇りを他国との協調に結びつける考え方があった。やっぱり、このグローバル化の時代に「攘夷」をたきつけている中共の政府、というのはおかしいんじゃないかと思う。
一番気になるのは、この人の説明は、読めば読むほどはぐらされたような気分になるということ。この人が言いたくても言えないことが何か、を補いながら読む必要がある気がする。その「言いたくても言えない」最大の部分は、中共政府の国家の方向性に庶民は口を出せない、言論の自由もない、という冷たい現実なんじゃないかなあ、と思う。この記事の結びで、教授は「私たちは互いに知っているようで、実は『知ってるつもり』の知識なんですね。そろそろ等身大で認め合う時だと思います」とか言っているが、でも、中国には政治言論の自由がないという壁にぶち当たったら、その後の対話が続かないんじゃないか、という気がする。
対話の相手の立場を「想像」せよ、というのはよく言われる。それは正しい姿勢だと私は思う。しかし、この記事を読む限り、中国相手にはそのプロセスは非常にやっかいな気がしてくる。なんとも不愉快な文章だ。
前者の記事が異教徒に対する護教文書という趣がするのに対して、後者は韓国人の韓国人による自己批判である。こういう記事が出てくること自体、韓国は言論の自由がある民主主義の国、ということで、多少希望がある気がする。また、こんな記事がさまざまな反日記事とともに日本語に訳されて日本人がほぼリアルタイムに読んでいる、ということはすごいことなのではないかと思う。
「反日法」を巡る動きはnews_from_japanのakiさんが詳しく書いておられる。(ここやここ)akiさんの記事の通り、最近の一連の動きは「現在の価値観で過去を糾弾する」、民主主義国家とは思えないような愚かな行動である。また、私は韓国の現在の政治についてよく知らないのだが、政争の匂いがぷんぷんする。歴史を一時の政局のために使って、この後絶対取り返しのつかないことになる、とも思う。
この朝鮮日報の社説は、題名で「大統領は大韓民国を恥ずべき国にするつもりか」と言う通り、この問題の核心についてはっきり批判している。過去を振り返れば誰もが現在の価値観では間違いとされることをしているし、それをことさら取り上げたらだれもが犯罪人の息子・娘になってしまう。そんなことをしたら自国に誇りが持てないし、他国の恥ではないか、と。こう書いてみると、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」が左翼の歴史観を「自虐史観」として批判したのと相似形であることに気がつく。次のような箇所は、お決まりの反日レトリックはともあれ、論説委員が自分の感情に素直に、なおかつ知恵を絞りに絞って書いた文章なのだろうと思う。
日本による植民地統治下において外国に亡命せずこの地で暮らしながら日帝の激しい弾圧を全力で克服し、解放後には左右の流血を伴う衝突と韓国戦争を経験しながら韓国のどの家庭も傷のないところはないと言っても過言ではない。父子間に、兄弟間に、親戚間に「抗日と親日」「親共と反共」が混在してきたのであり、数百万の小説を書けるくらい気が遠くなるような無数の素材がどの家庭にもある。戦争とは、善悪では割り切れない複雑なものだということが実感をもって語られている。今の「反日法」の愚かさを端的に表していると思う。さて、この文章は次のように結ばれている。
今日の大韓民国は私たちの祖先がそうした悲しみと痛みを胸にしまい込み、これ以上他人の圧政下で生きることはよそう、私たちも他人がうらやむように生きてみようと気を引き締め閉じていた目を見開き臥薪嘗胆の思いで積み立ててきた記念塔だ。その涙に濡れた記念塔をこの国の大統領とその追従者たち、そして政略に政略で対抗しようという野党がともに打ち壊そうと乗り出しているのである。
先進国の隊列に約10年ほど入った後、再び滑り落ち、再度入り込んだと思いきやまた落ちることを繰り返している今、そしてアジアが米国、中国、日本の力関係により再編され、その中で力のない国の運命がどう裁断されるかわからない状況で、この国の大統領と政権与党、さらに今や野党までが挙って国家的自害行為に乗り出しているのである。
この民族全体の加害者だった隣国の日本が、被害者たちが国権を失ってから100年後に起こしているこの一連の騒動を見守りながら私たちをどのような目で眺め、私たちをどう評価しているかに思いを巡らし冷や汗をかかない韓国民−政権勢力の一部を除く−がどこにいようかここまできて、問いがこちらの方に飛んで来ている。はて、どうしたらいいものだろうか。
乱暴を承知で二つの文章の共通点を挙げるならば、中国や韓国のような「反日」が国是の国で、どちらも「反日」が行き過ぎたことを認めている、ということである。それも、アジアカップの暴動やら「反日法」の大騒ぎを見つめる日本の視線を気にしながら、それを「変」だと感じている日本人が正しいことを(暗に)認めている。それは中韓の現状を考えてみれば大したことなのではないだろうか。他の国なら当たり前なのかも知れないが。
さて、この当たりから始めれば何か実りある対話が出来そうな気もするのだが、少し考えてみるとやっぱり厄介な気がする。彼らに「日本の戦争を《絶対悪》とする思考の根本を見直してみませんか」と言ってみたい気もするのだが、それを日本人の側から言うのは、やはり傲慢なのだろうか。書きながら考えてみたのだが、結局結論が出ないのだった。
アメリカの大学で「日本研究」をしていると、韓国人、中国人の知り合いも多い。アメリカの大学院に来ても反日に凝り固まっている中国人学生もいるが、私の知っている中国人には親日の人もいる。何とか話が出来たらなあ、と思うのだが。やっぱり対話はできないのだろうか。皆さんはどう思いますか。
追記:8月20日、論旨は変えずに多少表現を改めました。
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Comments
日本の戦争の賠償は、進んでいると思う。しかし、日本も、中
国も韓国も、それと意識しないでやっていると思う。戦争責任
を明確にしないまま体制が続き、お世継ぎ問題が、最大の問題
と言っているようでは、呆れられても仕方ないと思う。
アジア大会の中国の観客の反応を見て、そんなに大層な考えが
あるように見えなかった。もし高速道路があれば、暴走族にな
っていただろうし、その理由は、受験戦争でもいいし、両親の
離婚でもいいだろう。かつて日本は8才と言われたように、中
国は13才(思春期ですね)ぐらいなのだろうか。
戦争は、勝っても負けても、個人にとっては、運、不運でしか
なく、運がよければ生きて帰れたし、不運なら、命も含めて全
てを失った。
そんな分の悪い賭けを強いられるから、戦争は嫌だ。
こちらに来ているアジア人達は、自国とアメリカの違いを意識
しているから、話をきいてみるのも面白いかも知れないが、日
本の戦争責任のについて話すのは、危険かも知れない。なにが
飛び出すか分からない。
私の乏しい体験を話すと、英語のクラスに来ていた韓国の人は
親しみやすかった。台湾、香港、大陸の中国人達を観察するの
はおもしろかった。お互いに牽制しあっているし、おおむね大
陸から来ている人は、優等生タイプが多く、先生からほめられ
たがる人がおおかった。しだいにそれが、うっとうしく感じる
ようになったけれど。
同じクラスにチベットから来ている人がいて、多分亡命者だろ
う、おもしろいというか、複雑なアジアの縮図といった感じだ
った。
一番のんびりしていたのは、日本からきた私だったが。
Posted by: mash (転載:むなぐるま) | Aug 21, 2004 2:25:00 PM
毎日新聞は、「反日」への反発を少しでも抑えようとこのような記事を載せたのでしょうが、確かに苦しいものがありますね。8月18日の読売新聞に、古田博・筑波大学教授(東アジア政治思想)が、「修復不可能な『国是』としての反日/目に触れ始めた東アジアの底流」という興味深い論説がありました。“むなぐるま”さんの問いかけとは少しずれますが、…
《 … これらの諸国において、近代国家の歴史は、日本への抵抗から始まったものであり、反日は修正不可能な、いわば国是なのだ。… 北朝鮮の拉致問題も、今度の中国「反日」騒擾事件にしても、東アジア諸国に内在する反日ナショナリズムを根源として起こってくるものであり、個々の現象を貫く底流は同じなのである。》
《東アジア諸国では、反日ナショナリズムを担うレフトが大多数である。ライトは親米親日で少数派となっている。日本のレフトは、反日であるが故に、反ナショナリストである。そこで、日本のレフトが、東アジア諸国のレフトと連帯すれば、反日を強めることにはなっても、彼らのナショナリズムをも同時に増幅してしまうことになるのである。つまり、日本のレフトの反ナショナリズムの意志は、絶えず裏切られることになる。》
かつて、歴史認識問題で、韓国などと共通認識をつくろうという動きもあったようですが、私自身は、言論・出版の自由のない国の人々とそういったことをしても無理があると感じていました。韓国は、中国ほどではないのでしょうが、キム・ワンソプ著『親日派のための弁明』という本が事実上の出版禁止になるなど、制度的にも自由ではないわけです。
個人的には、中国や韓国からの留学生の日本語教師をボランティアでやったりもしていますが、そんな場で、構えずに政治や歴史の話ができる時はなかなかこないのでしょう
ね。
Posted by: tito | Aug 22, 2004 5:58:47 AM
中韓のような国との交流は可能だが、われわれ日本人が想像している形や、韓国人や中国本土の人たちが想像しているような形では訪れないのかもしれません。というか、もう交流は始まっているのかもしれません。まだよくわかりませんが。
>mashさん
中国本土の学生は優等生、というのは当たっているかもしれませんね。まず優等生でないと留学生になれないし、優等生であること(=国家に忠誠を示すこと)によって得られるものが大きいですからね。
>titoさん
情報提供ありがとうございます。私も、日本のリベラルと中韓の反日愛国者の協力には疑問を抱いています。キム・ワンソプ氏も思考方法としてはマルキシストなので、韓国中心の歴史観から自由になれているという側面があるのではないでしょうか?
Posted by: むなぐるま | Aug 24, 2004 4:30:17 PM