むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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October 31, 2004

大統領選をめぐるいくつかの先入観と現実

いよいよ大統領選の投票が火曜日に迫ったのだが、結果はいまだに読みにくい。全国世論調査は接戦だし、各州の結果予想もまだまだ流動性が高い。フロリダ、オハイオ、アイオワ、ウィスコンシンなどいままで接戦といわれてきた州に加え、ハワイ、ニュージャージー、ミシガンなどケリー氏支持で堅いと思われていた州も意外に接戦だという世論調査結果が出たりして、予想がまったく立たない状況。
 さて、世論調査などを細かく見てみると、意外と先入観を覆すような結果が出てきている。その一つ一つが、アメリカの「いま」を表していて面白いので、今日はその「先入観」のいくつかを検証してみる。

「福音派」クリスチャンのブッシュ氏支持
LA Timesの記事によると、この選挙において、いわゆる「福音派」クリスチャン (Evangelicals, "born-again Christians")の間でのブッシュ氏支持は、2000年のときの74%から、70%に下がってきているという。選挙戦を通してブッシュ陣営は福音派の支持取り込みに躍起で、8割から9割の支持を見込んでいたようだが、現在のところ7割にとどまっている。過去4年のブッシュ政権の政策をみると、同性婚を禁止する憲法改正案や、ES細胞の科学利用の制限など、この層をピンポイントターゲットにした政策を多く出しており、この層がまだまだ固まっていないというのは意外な感もある。
 この記事によると、南部、バイブルベルトの福音派はブッシュ氏支持で固まっているが、中西部の激戦州では福音派でも政治的に穏健な人々が多いとされる。だから、フロリダやウィスコンシンで彼らが大挙して投票しても、それがどれだけブッシュ氏有利に働くかは不透明という。また、この記事では、クリスチャンのジレンマとして、中絶や同性婚などでは共和党のプラットフォームに賛成しても、人種政策、環境問題、健康保険、そしてイラク戦争などでは反対という人が多いとも指摘している。たしかに、ブッシュ大統領の行く教会の牧師を含め、アメリカの教会牧師の多くはイラク戦争に反対だった。アメリカの外から見るとブッシュ氏の強さは意外に思えるかもしれないが、「福音派」だけでそれを説明するのは少々無理があるようだ。

黒人のケリー氏支持
一方、黒人層はここ数回の大統領選挙では圧倒的に民主党支持に回ってきたのだが、今回は黒人層のブッシュ氏支持が17〜18%と、前回選挙の倍になっているという。一方、ケリー氏支持は49%と、四年前のゴア氏支持の69%から激減している。(参考)今年の選挙戦を通して、アル・シャープトン師ら民主党の黒人リーダー層から、「民主党は黒人票を当たり前に思うな」という警告があったが、とくに教会に通うような黒人の間ではブッシュ氏支持が高まっているという。このコラムによると特に問題になっているのは同性婚問題という。特に、ケリー氏が大統領選討論でチェイニー副大統領の娘の話題を出したことに対して、「個人の尊厳を傷つけた」という印象が強まっているとこのコラムでは説明している。
 クリントン元大統領は、自ら誇らしげに「アメリカ初の黒人大統領」と呼ぶほど黒人層から共感を持って支持されていたが、ケリー氏にはそういう魅力はない。そういえば、ディーン氏も人種差別の象徴とされる「(南北戦争の)南部連合の旗をトラックに貼っているような人に支持されたい」という発言が南部で反感を買ったこともあったように、アメリカ北東部出身の候補はこのへんの感覚が生活実感としてないのだろう。

ビンラディンビデオは共和党に有利?
金曜日にビンラディンのビデオが放送され、これは危機感を煽るからブッシュ氏有利に働くといわれたが、ビデオ放送後の世論調査を見てみると、それほどの影響はないらしい。むしろ、ここ数日のトレンドではケリー氏有利に傾きつつあるようだ。私のブログからもリンクを張っているElectoral-vote.comでも、きょう(日曜)の集計ではケリー氏リードとなった。この点についてはTPMのこの記事も詳しい。

投票率が高ければケリー氏に有利?
今回の選挙は、新たに有権者登録をした人数が今まで以上に多く、投票率がかなり上がることが予想される。これらの、4年前までは投票しなかった層はどういう投票行動を取るか、だが、現状に不満を持った層がその不満の意思表示のためケリー氏に投票するというのがこれまでの通説だと思う。しかし、今日テレビ番組を見ていると、共和党も、ボランティアや、友人・知人・家族への働きかけを中心に、投票を呼びかける活動を大規模に展開しており、投票率が増えたぶんがどちらに行くかはまだわからない、という。これが、今回の選挙の動向を読む上での最大の不確定要素だろう。

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October 29, 2004

自国の歴史の「切り離し」を生きること

連続と切断、内なる歴史をどうするか。」(fenestrae)

fenestraeさんのブログで私の南京事件についてのエントリについてコメントを頂いた。そこからリンクされている「過ぎ去ろうとしない過去」のエントリなども含めて、特に欧州における史観論争についての歴史的経緯が精確に提示されていて、勉強になった。(私もブログとはいえもう少し緻密に書こうかと反省している。)あまり時間がないので簡単になってしまうが、これらのエントリを読んで思ったことを書きたいと思う。【註:少しあわてて書いたので、後で読み直して修正するかもしれません。まあ、はやくお返事したかったから、ということでご寛恕を。】

まず、歴史問題の扱いについて北米と欧州は区別して考えるべきというのは、おっしゃる通りだと思う。ドイツのシュレーダー首相が昨夏ワルシャワでした演説というのは、確かに日本の対中国の関係やアメリカの対ベトナムに置き換えて想像してみると、かなり踏み込んだ発言ではあると思う。日本の対外関係を日米関係中心に見ることに関しては注意すべきだと私も思っているので、その点については訂正します。

で、「欧米の「戦争責任」論を日本がそのまま受け入れることは、そのような欧米の算段をも一緒に受け入れることだから、そのこと自体も十分に検討する必要があると思う。欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。」という私の発言についてだが、ここでアメリカとヨーロッパ(fenestraeさんの例では仏独)とを切り離して考えると、
1) (アメリカ)日米関係において「戦争責任」論がアメリカのナショナリズム的な言説にからめ取られてしまうという問題
については、これは主にアメリカの学会・メディア、そして日本側がこれにどう関わるかという問題で、私が前のエントリでも指摘した問題はまだ残ると思う。さて、
2) (仏独)仏独の立てている「過去の清算」についての基準に日本が合わせる必要があるのか。そこに算段はないのか。
という問題については、別の問題なのだが、fenestraeさんの文章を読んで考えさせられたので少し書いてみたい。

fenestraeさんの論考では、この問題について、

ここまでは、戦争で他国を占領し被害を与えた当事国の旧敵国との関係を念頭に置い書いてきた。が、実のところは、日本の戦争犯罪の問題、戦争に至るあるいは戦争中の体制のありかたやその中での日本人の行動についての評価、自らの過去を現在われわれがどう評価するかという問題は、むしろ他者との関係よりも自らの問題として考えるべきだと基本的には思っている。

と述べ、さらに、id:jounoさんの

「戦争の主体として大日本帝国を、現在の日本国家のアイデンティティから批判的に他者として切り離し、その連続性を断つということが問われているのだろう」

という意見に賛同しておられる。私も、南京事件の日本国内の事実論争は、たしかにこの「切り離し」をできるかどうかについての代理戦争なのではないかという意味では賛成する。
 しかし、ここで、この「切り離し」をあらゆる犠牲を伴っても強い意志を持って推し進めていくかどうか、という点には議論の余地があるように思われる。言い換えれば、「このような断絶を思想的、制度的に選択することは、民族的、文化的、倫理的な連続性と矛盾するものではない」ということについて、果してそうなのか。fenestraeさんはこの二つを両立することの難しさを認識しつつも、これを断固として機能させていく意志をもつかどうか、が判断基準になると考えていると思われる。一方、日本の保守派の人々にとっては、たとえば大日本帝国を断罪し、現在の日本国家のアイデンティティから切り離すことによって失われるものは大きすぎるから譲れないのだ、と考えているのだと思う。

この意味で、fenestraeさんがデリダの赦しについての文章を引かれているのは面白い。デリダのように、過去の言論の枠組を批判しながらもユニバーサルな言説の共通了解事項を仮定し、またなければ求めていこうという考え方と、そのような「共通了解事項」にまぎれこむ、「多様性」を抑圧するものを批判する考え方が対比されている。デリダの文章が手元にないので読んでから検討したいのだが、少なくともデリダを援用する者、また、後者の立場からポストコロニアリズムの批評家などを援用する者の間では立場の違いがある。fenestraeさんの文章を読んで、私の中ではこのあたりの問題のありかが鮮明になった。たぶん、fenestraeさんと私の立場のちがいはここにあるのだと思う。

ここからは印象批評なのだが、この「切り離し」ができるかどうか、という問題には、多分に個人差があるような気がする。というか、「日本人」の中にも、いろいろな存在のありかたが共存しているというのが実態だと思う。日本人全体に「切り離し」を求める人々は、もうすでに切り離しができてしまっているのではないかと思う。いっぽう、私はどちらかというと、この「切り離し」という事態を実際にやろうとすると自分の生活世界が根本的に変わってしまう、と考える人に共感してしまう。これは理論と言うよりは感情的なものなので仕方ない。こう書くと私があたかも時代遅れの歴史修正主義者のように思われてしまうとしたらそれは残念なことだ。

たとえばこう考えてみてはどうか。「戦前的なもの」というのは、単に思念的なものではなく、われわれの生活世界の行動とか習慣に深く根ざしている。たとえば、唱歌を聴いたらほっとする、とか、正月はやっぱり神社で初詣したい、とか。この文脈で、「戦前的なもの」との「切り離し」というのをどこまで考えるのか。別の視点から言えば、そうした日常の習慣に「政治的なもの」が食い込んでいるとしたら、それを完全に抜き去ったままで「生活」が成り立つのか。また、今までと同じとはいわなくても、新しい世界に生きる喜びが「喪失」感覚を上回るようなことができるのか。これは決して頭の中での史観問題ではない。「切り離し」を断固行うべき、と考える人々は、もしこの「切り離し」が起こった後の世界を具体的に想像できるような仕事をしてほしいと思う。

一方、決定的な「切り離し」を行わずに倫理的な立場を取ることは可能なのだろうか。私には、その可能性も考え尽くされていないように思う。そのためには、結局ヨーロッパの思想のあり方も批判して、ヨーロッパも変わらなければいけないと思う。つまり、ヨーロッパ生まれの社会思想が、一度その歴史から切断されなければいけないと考えている。

もうひとつ。このテの議論をすると、どうしても同じ意見の人々の意見を好んで聴き、違う意見の人を敵視しがちなのだが、二つの立場に共通点がなくても、その間をつなぐ言葉を創る努力は惜しんではならない思う。なんだか考えがまとまらないのだが、矛盾のなかで生きることを可能にするのはやはり言葉だけなのだから、対話が困難な状況でも対話のチャンネルは開いていたいと思う。これは自分自身への覚え書き。

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October 28, 2004

レッドソックスのシリング投手が大統領の応援演説

【追記2 11/1/04】 シリング投手ですが、大統領選前日の1日に大統領の応援演説に登場したようです。足のけがでかかとをがっちり固定して歩くのもままならないような状況だったようですが。

【追記 10/29/04】シリング投手は、足の負傷が思わしくないため応援演説をキャンセルしたとのこと。

(AP)
ア・リーグ優勝決定戦で、靴下を血まみれにしながら熱投し、レッドソックスのワールドシリーズ制覇に貢献したシリング投手。明日、早速ブッシュ大統領の応援演説でニューハンプシャーで大統領のキャンペーンに参加、応援演説をするという。その場所が、レッドソックスのファンが多く、接戦州となっているニューハンプシャーというのも、絶妙。また、今日の朝のテレビ出演では「来週はブッシュに投票しよう」と呼びかけた。レッドソックスの選手はボストンだからケリー氏支持というわけではないわけで…。

ケリー氏は、スポーツに関しては実に弱い。もちろん地元レッドソックスのファン(自称)なのだが、マニー・ラミレスとデーヴィッド・オルティズを混同して「マニー・オルティズは素晴らしい」と言ったり、接戦のウィスコンシン州で絶大な人気のNFLのグリーンベイ・パッカーズの本拠地を「ランバート・フィールド」(正しくはランボー・フィールド)と言い間違えたりして、スポーツファンに笑われたりしている。しかし、アメリカ国民にとってスポーツは大事な生活の一部だから、知らなきゃ言わなければいいというわけにもいかないのだ。まあ、ブッシュ大統領としてはとにかく使える材料はすべて使う、ということか。

いっぽう、今日一番のニュースは、イラクで終戦直後に大量の爆薬が盗まれたというスキャンダル。例によってTPMが詳しく追っかけているので、興味のある方はそちらを。

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October 27, 2004

米大統領選挙の引き分け・延長戦ルール?

ケリー対ブッシュの大統領選も大詰め。どの世論調査を見ても大接戦になっており、新聞などでは、4年前の悪夢が再現か…という懸念が浮上している。周知の通り、4年前の選挙はフロリダ州の投票結果がなかなか確定せず、再集計、法廷闘争の末ブッシュ氏に選挙人が与えられることとなった。ところで、この2000年・フロリダ州の選挙、民主党支持者には、ゴア氏が勝ったのだと信じて疑わない人が今でも多いのだが、私は、「引き分け」だった、という説を支持している。

これはある数学者が言っていたのだが、つまり、投票結果は誤差の範囲内であり、あとはどの票をどう数えるかという「数え方」によって選挙の結果が左右されるのだから、どちらが「勝った」ともいえない、というのだ。「一人一票の投票用紙をきちんと数えれば…」と考えがちだが、あのときの大騒ぎで、一票の「意志」というものにも相当な曖昧性があることがはっきりしたと思う。また、どんなに選挙システムの精度を上げても、差が小さければ、ルール次第で勝者が変わってくることは十分にあり得るわけで、その「誤差の範囲」をなくすことはできない。そして結果が誤差の範囲内だったらやっぱり「引き分け」なのである。

もちろん、2000年のフロリダの接戦の結果、投票用紙の不備、在外投票制度、また数千人規模と言われるマイノリティ中心の投票妨害などのアメリカの選挙制度の様々な問題に光が当たったのは確かである。(特に最後の問題は重い問題で、今回も問題が繰り返されるのではと特に民主党が注意を呼びかけている。)ともあれ、結果として最高裁の裁定で結果が確定したため、裁判所が結果を決めたという印象が残って後味の悪いことになった。jibjab.comのFlash動画でも、最高裁判事達が「あなたたちが投票しないとわれわれが大統領を決めちゃうぞ」と言っているのもそういう印象を裏付けている。

さて、今回こそはフロリダの教訓を生かして、問題点をすべて解消しているのでは…と思うのだが、じつはいくつか法廷闘争にもちこまれそうな要素が生まれてきている、という。大統領選挙と法律についての専門家がElection Law Blogを運営しているのだが、このブログを覗いてみるだけで、あまりの潜在的な法的問題点の多さに驚く。同じ著者が、Slate.comのほうで、選挙の結果を左右する法的問題点を5つにまとめているのがわかりやすいので、これに沿ってまとめてみる。

(1) 投票所の設備の故障・不備による訴訟。4年前は「ちょうつがい式投票用紙」の不備で相当もめたが、今回は、前回の選挙以来投票所の備品を取り替えたところが多く、初めての実戦が大統領選挙というところが多いらしく、故障や不正などで前のような混乱が起こる可能性がある。

(2) 有権者の資格審査に関する訴訟。最近の法改正により、投票所で投票資格がないと判断された人でも、仮投票用紙を使って投票し、後日資格を確認した上で正式な票と認められる、という手続きができた。しかし、この手続きのため、有効か無効かわからない票が数千票単位で生まれる可能性があり、接戦になった州ではこれらの票の有効・無効をめぐって訴訟になる可能性がある。また、既に、有権者の投票資格を不当に奪ったのではないかという疑惑がネバダ、ペンシルベニアなどで起こっており、これらが問題となることもありうる。

(3) コロラド州 "Amendment 36" をめぐる訴訟。コロラド州では、勝者が選挙人総取りする現行法を改めて、投票数に応じて比例配分すべきという改正案が住民投票にかかっており、もしこれが通ればこの選挙から適用となる。つまり、9人の選挙人のうち、最大4人が敗者に配分されることもあるのだ。この改正案、この選挙から適用となる「事後法」であること、また、選挙人に関する法律を決める権限は議会にあるという憲法違反であるという議論も成り立ちうるため、この4票をめぐって訴訟が起こる可能性もある。

(4) 議会によって大統領が決まる場合の訴訟。選挙人が同数の場合、下院(各州一票)の投票にゆだねられるのだが、これが問題になる可能性もある。また、選挙人が、本来投票すべき人物に投票しないことも可能であり、その最終判断が最高裁の手にゆだねられる可能性もある。

(5) 投票日にテロ事件などが起こった場合、投票時間を延長したり、投票を延期するかどうかについての訴訟。こんなことがあったら本当に大変なのだが、このような場合の投票の延長・延期については規定がない州が多く、裁判所が介入する可能性がある。

そんなわけで、11月2日の投票が終わっても、僅差ならば結果がすぐに出ない可能性も大きい。まあ、前回は結局最高裁が選挙の結果を決めることとなり、それに関して最高裁の権威や公平なイメージが損なわれたのは確かで、前のようなあからさまな介入はしないのではないかという観測もある。しかし、ある調査では、アメリカ国民の60%が、選挙の結果は24時間以内に判明しないと考えているらしい。これって、アメリカの選挙制度が破綻している証拠ではないかと思うのだが。ともあれ、「タイブレークルール」が発動しないよう、どちらが勝つにしても十分の差をつけて勝つことを願っているアメリカ人は多い。

さて、今日出た世論調査によると、電話世論調査の結果を、実際に投票した人種比率に基づいて補正をかける(電話世論調査のサンプルには白人が多い)と、接戦の州でもケリー氏が5%ほどリードしているらしい。(参考)もし黒人などマイノリティの投票率が上がれば、ケリー氏がかなり有利になるだろうという分析になっている。この時期になると毎日出る世論調査の数字は、携帯電話しか持っていない人は含まれないなど、どうしても正確な投票行動の予想はしにくい面があり、投票結果はこの数字だけでは予想できないといえるだろう。

P.S. イラクで人質になった日本人の方の無事を祈ります。ザルカウィ派だとすると、生存は難しいかもしれない。しかし、無事であって欲しいと願う。なぜ今時イラクに行ったの? とかいう質問は、無事に帰ってきてからするとして。

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タカ派評論家もケリー支持へ

昨日、元『ニュー・リパブリック』編集長で、私がよく読むブログAndrewSullivan.com主宰のアンドリュー・サリバンがケリー支持を表明した。彼の思想的立場は一貫している。対テロ戦争、イラク戦争に関しては一貫して支持していて、その点ではブッシュ大統領を支持していたのだが、アブグレイブ刑務所の拷問疑惑やイラク国内のテロ組織鎮圧の失敗など、イラクの戦後処理の失政に関しては厳しい批判を続けていた。また、彼は財政的には小さい政府指向のリバタリアンであり、財政赤字を積み重ねるブッシュ氏には批判的だったし、彼自身ゲイであることもあって、同性婚問題ではキリスト教右派にこびを売った現政権にまさに体を張って批判していた。そんなわけで、今回の支持もそれほど驚くべきことではなかった。

彼の場合、財政やら社会政策などで、リバタリアン保守の立場から批判していたのだが、それでも今回の選挙の最重要課題は反テロ政策、つまり、外交・軍事・本土防衛だったと言っていた。よく言われる "One issue voter" である。今回の選挙の場合、テロ絡みの問題で候補者を選んでいる人は多い。当たり前だが、安全な暮らしを守るという一点が崩れれば他の政策は関係なくなってしまうからだ。だから、彼がケリー支持を表明したのは、その反テロ政策でもブッシュ氏よりケリー氏を選んだことになる。

この支持表明記事を読んでみると、彼がケリー氏のいう多国間外交・国連主義について不信感を持っていることがよくわかる。それでもケリー氏を支持するのは、ブッシュ氏の戦争遂行の無能力ぶり、また自分の世界観に沿わない現実を無視しつづける姿勢が、このテロ戦争を遂行するのに不十分だからだという。また、ケリー氏が大統領になることにより、民主党内の穏健派が復権することになるだろう、という期待もある、という。ケリー氏支持者には反戦・リベラルの人々も多いが、ケリー氏が大統領になってもイラクでのオプションは限られていて、とにかくこの戦後処理を遂行するしかない。そういう意味では、民主党内のリアリストが主導権を握っていくことになるだろうというわけだ。一方、もしブッシュ氏再選となると、党内リベラル派の怒りはさらに増幅される。前にNew York Timesのコラムニスト、モーリーン・ダウドが、ブッシュ氏再選ならば08年にヒラリー氏立候補の勢いがつくと語っていたが、同じ種類の観測だと思う。その中で、アメリカ国内の思想的分裂はさらに進むだろう。

さて、タカ派でケリー氏を打ち出したのはサリバン氏だけではない。元超リベラルの論客でありながら、9/11後は一貫して「アフガニスタン・イラク人民の解放戦争」を支持してきた「ネオコン左翼」ことクリストファー・ヒッチンスもケリー氏支持を表明した。(このページは総合オピニオンサイトSlate.comのスタッフの大統領選支持一覧なのだが、ケリー氏支持が圧倒的に多い。)ヒッチンス氏は、つい最近も「イラク戦争を支持する」という主旨の記事をリベラル系雑誌 "The Nation" に投稿していたので、これには少々驚いた。彼の、少々暗号めいた説明を読んでみると、やはりブッシュ氏の執念深さ、反テロ戦争の強い意志には共感するが、現実的な政策としてはまったく説明不可能なほど失敗した、と言っている。ブッシュ氏の意志と、ケリー氏の現実的な統治能力をてんびんにかけた上で、ケリー氏に戦後処理を任せよう、という判断だろう。

こんなわけで、ブッシュ氏の切り札であったはずの外交・軍事部門でブッシュ氏を支持していたはずの批評家たちがケリー氏支持を打ち出している。彼らは、マイケル・ムーア氏のようにブッシュ氏を諸悪の根源とみるような立場の人々とは一線を画しているし、ブッシュ氏の9/11後の毅然とした対応を賞賛してもいる。また、ケリー氏の変節漢ぶりに不信感を抱き、彼が何をするかわからないと考えている。そのような彼らにとっても、現在のイラク政策の失敗はかくも大きく映っているということなのだ。ブッシュ氏は選挙に不利になるとなれば失敗も認めないし、失敗をした部下に責任を取らせることもない。そんな彼に責任を取らせよう、ということなのかもしれない。

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October 22, 2004

オープンスレッド:論壇系ブログ

この前の「論壇系ブログ」に関するエントリにはけっこう反響がありました。(アクセスも多かったですし、直接メールも頂きました。)ま、私としては何か行動を起こす予定も余力もないのですが、何かコトが動くようなエネルギーは感じます。そこで、このエントリはオープンスレッドにしますので、「論壇系ブログ」に関するコメント、トラックバックなどみなさんのご意見を書き込み下さい。本題に関係がなくても、「関心がある」という意思表示だけでも十分ですので。もしこのスレッドに意見が集まるようでしたら、たとえばBlogPeopleのTrackback People なんかを使って、「論壇系」の議論を更に進めていけたらと思います。では、どうぞ。

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アメリカで最もまともな政治討論が見られるのはComedy Centralかも

このサイトでも何度か紹介したコメディアンのジョン・ステュアート。嘘ニュース中心のコメディ番組、Comedy Centralの "The Daily Show" のホストだが、若者に絶大な人気を誇っていて、今回の大統領選挙を報道するメディアのなかでも異色の存在になっている。そのステュアートが、先週CNNの政治討論番組 "Crossfire" に出演したのだが、やってくれました。(そのときのビデオ筆記録。また、事件を簡潔にまとめてあるNew York Timesの記事)つねづねこの番組にはうならされていたのだが、この事件を通して、TV関係者で今年の大統領選挙をめぐるメディア事情が一番よく見えているのはこのコメディアンではないか、という印象を深くした。

"Crossfire" という番組、右派と左派から一人ずつ、二人の司会がいて、通常はゲストも二人という形式。CNNでも長寿番組のひとつなのだが、ステュアート氏は、登場するなり真顔で、
「なんであなた達は口論しなければいけないの?」
「あなた達の番組は、ひどいというか、アメリカに害を及ぼしている」
「あなた達に言いたいことがある。(番組を)やめてくれ。」
などと発言。最初は見ている人もジョークだと思ったらしく笑っていたが、だんだん彼が本気だというのがわかってきて、リベラル側のポール・ベガラは凍ってしまう。保守側のタッカー・カールソンは、「ケリー氏があなたの番組に出たときは甘い質問ばかり聞いていた。おべっか使っているんじゃないの」と反撃したが、
「あなたたちはCNNでしょ。Comedy Centralの番組に報道の倫理を求めるなんて」
「われわれの前番組は、人形がいたずら電話する番組だよ」
などと反撃。そして、「あなた達は国民ではなく、政治家や大企業の味方をする党派的な売文業者 (partisan hacks)」「あなた達のやっているのはプロレス」とダメ押しした。カールソン氏は最後まで怒っている様子だったが、ステュアート氏はすました顔で番組を終えた。

ステュアート氏の論点はじつにまっとうである。アメリカでは、24時間ニュース局が増え、"Crossfire" のような討論番組が多いのだが、「右・左」とくっきり分けてしまうため、どうしても劇場的になって論点が単純化されてしまうし、右=共和党、左=民主党と同一化してしまうため、二大政党の論点に当てはまらない視点が落ちてしまうばかりか、政党の短絡的な主張(talking points)をオウム返しにすることになってしまう。今回の選挙でも、政治言論が単純、粗野になってしまい、原理原則も何もない二大政党の争いになっているのは、こうしたニュース局の力が大きいだろう。まあ、そう思っていても誰も言えなかったわけだが、ステュアート氏がその番組に出演して出演者の目の前で言ったということで、特にアメリカのブログ界隈などからは拍手喝采、というわけだ。

前にも書いたように、"The Daily Show" の視聴者は、一般の人々より政治に詳しい人々が多いとされる。この番組は単なるコメディではなく、政治を単純化しようという流れに反して、政治システムじたいが持つ矛盾やばかばかしさをスマートに描く番組と考え直した方が良さそうだ。ところで、この番組に、「("The Daily Show")を見ている連中はヤク中ばかり」と発言した、Fox Newsの人気キャスター、ビル・オライリーが登場。ビデオは"The Daily Show" のサイトで見られるのだが、これが意外にまとも。(いや、「意外」とすら言うべきでないのかもしれないが。)オライリー氏は右より、ステュアート氏は左よりだが、政治家と政策を区別して議論していたし、どちらも地に足がついていて、現在の政治システムのあり方が庶民の生活とはかけ離れているという意識を持っているというのがよくわかった。二人のスタイルはまったく異なるが、お互いに敬意を抱いていることも感じられたし、この対話は実に面白かった。

しかし最後に、
ステュアート 「しかし、今日話してみて、あなたが本当にどちらを支持するか決めていないって納得できましたよ」
オライリー  「だからあんたは間抜け(pinhead)だって言ってるんだ」
とお約束のやりとりが出たのは笑った。

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October 21, 2004

ワールドシリーズは「クラシック」の予感

今年のワールドシリーズはカージナルスとレッドソックスの対戦になった。実は、アストロズが勝ったらテキサス対マサチューセッツで大統領選挙と同じだとか、クレメンスが古巣レッドソックス相手に投げたら盛り上がるだろうな、などというエントリを掲載するつもりで、ちょっと準備してあったのだが、それはボツになった。しかし、今年のベースボールは盛り上がっている。ヤンキースxレッドソックスは、両チームがここ数年は毎年のように猛烈なライバル意識でいつもドラマチックな展開になるのだが、今年は絵に描いたような逆転劇。試合としても、ベースボール史上最高のシリーズではないか、と言う評価になってきている。

私はボストンに住んでいるレッドソックスファンを何人か知っているが、みんな熱狂的なファンだ。彼らは勝利から24時間経った今も余韻を味わっているにちがいない。とりあえず、ボストン・グローブ紙のコラムニストのコラム "Story is too good for words"でも読んでみて下さい。いっぽう、勝つのが当然と思っていたヤンキースファンには、この逆転劇は耐え難いかも。ニューヨーク・タイムズの書評家であるミチコ・カクタニ氏も、「宇宙の秩序が崩壊した」なんて書いている。普段は文芸書の書評ばかりしているのに。面白いのは、ワシントン・ポストのこのコラム。「レッドソックスはさっさと勝って、憎悪と怨念から卒業してくれ」と書いている。ボストンのファンはペシミズム、否定思考、ルサンチマンで有名だから。レッドソックスが勝ったら、それこそ宇宙の秩序が崩壊したような感覚になるだろうなあ。

カージナルス、今日の試合は後半はすこしゆっくり見られたのだが、プホルスやローレンなどの強打者に加え、守備が強く小技の効いたベテランがずらりとそろったラインナップ。チームとしてのバランスはこちらの方が上のような気がする。これでは田口の出番はないかもしれないが、もし伝統あるカージナルスの一員としてワールドシリーズ優勝を体験できたら、これこそ野球人冥利につきるだろうなあ。そう、カージナルスも、レッドソックスに負けないくらい、熱狂的なファンと歴史をもったチーム。この2チームはワールドシリーズで二回顔を合わせているそうで、どちらもカージナルスがレッドソックスの優勝を阻んでいる。ともかく、すごいシリーズになりそうだ。

それにしても、こんなにベースボールが盛り上がるなんて。今は、NFLよりもNBAよりも熱い。スローペースだから最近の若い人はバスケのほうが人気、といわれてきたが、どっこい、メジャーのベースボールは面白い。来週一週間はアメリカはワールドシリーズ一色だろう。そして、ハロウィーンがあって、その次の週の火曜日が大統領選。祭りは続く、といったところか。

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October 20, 2004

『レイプ・オブ・南京』をめぐる二つのエピソード

最近、「南京事件」を描いた漫画が掲載取りやめになったりして、ネット上でもこの問題をどう考えるかという議論が多く出て来ているようだ。このことについては、触れること自体リスクが伴うし、また「南京事件」と呼ぶこと自体があるスタンスを示すことになったりして、いろいろと厄介である。このことについて書くことは、不毛な論争を呼ぶだけだし、このことに触れてもあまりメリットはないかもしれない。だが、あえていくつか気が付くことを書いてみたいと思った。
 この問題がアメリカで表面化したのは、最近では1997年のこと。ちょうど南京事件60周年のときで、各地で中国系アメリカ人が組織化してシンポジウムなどのイベントをやったりしていた。その渦中にあったのが、今は悪名高いアイリス・チャン著の『レイプ・オブ・南京』という本だった。

この本、今となっては、事実誤認が多く歴史書としては批判に耐えない書という定評が日本・アメリカの学会では定着していると思うのだが、当時は意外と好意的な書評が載ったりした。とくに、1997年12月14日付のNew York Timesの書評では、歴史的事実についてはチャン氏の記述を受け売りする一方、チャン氏の本を「重要な書」と賞賛している。また、日本の中学・高校教科書には南京事件について書いておらず、国民の大部分はこのことについて知らされていないと書いている(これは日本の現状を知っている人には明らかにウソとわかるだろう)。いっぽう、チャン氏の多くの事実誤認についてはふれずじまいである。

この書評の著者は、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム学教授で、歴史家ではない。そこで、日本史の専門家など多くがNew York Timesに事実訂正を求めて投書した。(私の知り合いでも投書した人を知っている。)しかし、NYTはことごとく無視。結局訂正文がひとつも載らなかった。この一連の事件を指して、東アジア研究のジョシュア・フォーゲル氏は「アメリカ学会にとっての悲しい一日」と呼んでいる。(Joshua Fogel, "The Controversy over Iris Chang's Rape of Nanking" Japan Echo, Vol. 27 No.1 February 2000: pp. 55-57) このフォーゲル氏も、「チャン氏の本によって南京虐殺そのものが否定されることが問題だ」ということで、南京事件否定派とは一線を画しているのだが、New York Timesはそうした学者からの訂正要求もすべて無視したことになる。彼らにとっては、この問題について誤りを認めること自体、南京事件否定派の圧力に負けること、と思っていたのだろうか。また、この件について妥協したように見えることを嫌ったのか。

いっぽう、チャン氏側は、柏書房が『レイプ・オブ・南京』の日本語訳が出版中止になったことに関して、「右翼の圧力に負けた」と主張しているが、実際には、この本には一般読者にもすぐわかるような事実誤認があまりにも多く、柏書房側で修正を申し入れたところ、チャン氏側が拒否したという流れがあった。しかし、チャン氏側としては、「右翼の圧力に負けた」と主張していれば、ウソでもアメリカの一般市民には受け入れられやすいのである。

ともかく、「日本は戦争責任を取らない国」という、安易なイメージを受け入れて、そのイメージに合わない日本の実情を伝えないという意味では、NYTもチャン氏も同罪であろう。また、ここからは私見なのだが、「日本は戦争責任を取らない国」というイメージは、「欧米は人権を大切にする」というイメージの陰画であり、そのようなイメージに伴う目に見えない「利権」の構造のようなものがあるような気がする。その利権を守ることが、NYT にとっての利益だし、チャン氏はその構造を利用しながら自分のイデオロギーを広めている、とは考えられないだろうか。

同じころ、ABCテレビの深夜の報道番組 "Nightline" で、南京事件の新証拠として『ラーベ日記』が紹介される番組があった。(1997年12月11日放送)。出演者は、アイリス・チャン氏と、専門家としてコロンビア大学のキャロル・グラック教授など。番組内容はここでは省略するが、結びに、アンカーのテッド・コッペル氏が次のような発言をした。

The other day 60 Minutes did a fine segment on Japanese-American children, orphans most of them who, following Pearl Harbor, were sent to a desolate internment camp for no other reason than that their last names were Japanese. It was a terrible injustice to those children and should never have happened.

But if you want to understand why it happened and how people can get swept up in the passion of their times, it helps to know that in 1937 and 38, soldiers of the Japanese army killed in the most horrifying fashion more people in the Chinese city of Nanking than would die in the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. Without history we have no context, without context, we can never begin to understand the why of what nations do.

前半では、日系人の強制収容について触れているが、それが南京事件を持ち出しながら「これには文脈があった」と説明されている。あたかも、南京事件が日系人強制収容を正当化するかのように。また、後半の、「南京では、広島と長崎の原爆の死者の合計以上の人々がもっとも残酷な方法で殺された」というさりげない比較に注目しよう。広島も長崎も、南京に比べれば…、と言わんばかりである。この発言が示すのは、南京の犠牲者が30万人といわれることには、アメリカにも中国にも同じくらいの「意味」があるということ。その点では、「犠牲者が何人でも変わらない」という議論はやはり一面的であって、南京の死者が30万人以上という数字を十分に検証し、議論する価値はあると思う。ともあれ、当時この番組について知ったとき、この言葉をアメリカ屈指のキャスターが発したということが信じられなかった。

日本人の戦争の記憶に関して、「犠牲者の面ばかり強調し、加害者としての面を忘れていた」ということがよく言われるようになって久しい。「戦争体験」についての語りで、どうしても自分たちの苦しみばかりが強調されることはあっただろう。しかし、それが難しいのはアメリカでも日本でも同じだと思う。また、もちろん中共でも。

誤解のないように言うと、私は、南京事件について、「市民を装ったゲリラ兵を殺害したのは虐殺のうちに入らない」から、「虐殺はなかった」という議論には納得していない。(南京事件があったか、なかったかという歴史的論争については、私は十分に知らないし、このエッセイの範囲を超えるのでここでは触れない。また、その点について読者の方と議論するつもりもない。読むべき資料の紹介は歓迎しますが。)また、中国人の人々が南京事件を「虐殺」と呼ぶことも、(事実関係が覆らない限り)仕方ないとも思う。戦争の両側で歴史認識が違うのは仕方のないことである。アメリカ独立戦争直前に「ボストン虐殺事件」があったが、英兵に殺されたボストン市民は5人だけだった。

しかし、「日本ではメディア検閲があるが、アメリカやヨーロッパでは戦争の問題がオープンに語られ、自らの《罪》について十分に反省されてもいる」、というタイプの一般化も、私には信じられない。上の二つの例にみるように、欧米にもメディアの利害関係があるし、複雑な算段がある。また、そういう一般化を必要以上に強調する日本、海外の人々の背後には、それなりの利益関係があるような気もする。

ここに書いたようなアメリカのメディア事情について、私はアメリカの人々を責める気にはなれない。自国の問題を棚に上げて、こういう問題がありますよとアメリカ人を糾弾するのは、独善的なようで気が引ける。結局は、アメリカ人たち自身が解決していかなくてはいけない問題だと思う。日本でも、南京についての論争は納得がいくまで論争した方がいい。解決していないのに解決しているふりをするのが一番良くない。(そういう意味では、この漫画は元の計画通りに単行本化して、論争の種にするのがいいのかもしれない。)また、これらの論争は、結局は、自分たちがどういう社会を理想とするか、という理想像の反映でもあるような問題だと思う。

でも、日本の人々にこういうアメリカのメディア事情を知っておいては頂きたいとは思う。アメリカやヨーロッパを特別視しないこと、そして、日本でこの論争に関わる人達が、「在外日本人の立場」を代弁するふりをして自分の立場の援護につかうことに注意すること、そのためにも、こういう現実を知ってもらいたいと思った。経験上、日本の人が「こういうことがあると在外日本人が困りますね」ということと、在外日本人が日常で感じている違和感、差異とは、微妙にずれていることが多いと思う。もちろん、それは私一人の主観を通して言うのだが。

また、欧米の「戦争責任」論を日本がそのまま受け入れることは、そのような欧米の算段をも一緒に受け入れることだから、そのこと自体も十分に検討する必要があると思う。欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。

追記:このエントリは、Soredaさんの「< a href="http://d.hatena.ne.jp/Soreda/">セカンド・カップ はてな店」を読んでいてその応答として書いたものです。南京事件をめぐるさまざまな問題について論じておられるのでぜひご一読を。

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October 14, 2004

論壇系ブログは日本の言論空間を変える力になれるか?

ブログを書いて商売になるかどうかは成功者待ち(切込隊長BLOG (ブログ))

切込隊長氏が、私がしばらく前に書いたエントリの問題提起に答えてくれているので、簡単ながらお返事しておこうかと思う。

切込氏は、論壇系ブログは日本の文化的土壌には根づきにくく、かえってネット上の情報を加工する二次情報系、あるいは「同好の士が理解を深めるといった手ごろなツール」としてのブログが発展してきている、と指摘しているが、私としては、根付きにくいかどうかはともかく、論壇系ブログのニッチはあるのではないかと思う。私がそう思う背景には、日本のマスコミがどうしようもなくひどいという現状認識がある。私は、Finalventの日記の社説批評のファンなのだが、このサイトを1週間も読むと、日本の主要新聞の中身の空っぽさ加減に誰でも気づくのではないかと思う。また、拉致問題について活動されているnews_from_japanでは、拉致問題がなぜほんの2年前まで主要メディアに無視され続けてきたのかという問題意識から、今のメディアの体質を明らかにする記事を書いている。私の場合、New York Timesのような欧米メディアの日本報道、またそれに追従する日本の大手メディアにはずいぶん長いこと不満があって、それがブログを続ける上でのモチベーションになっている。

これはCBSメモ疑惑について調べているときにどこかで読んで引っかかっている言葉なのだが、ジャーナリズムに資格や特殊な知識がいらないというのは公然の秘密である。極論すれば、誰でも、取材の仕方と多少の文章術を学べば記事は書ける。必要なのは、どこかの大学の学位や専門知識ではなく、経験だけである。今まではジャーナリストというのは情報発信の手段を握っている特権的な立場だったから、ジャーナリストに特権意識が芽生えても仕方なかった。しかし、ネットが出来て、誰もがジャーナリストになれるとなると、その特権意識の裏付けが問われるようになってくる。もし内容のない記事を書けばすぐにネットでツッコミが入る。それで、「王様が裸だった」というのが次第に明らかになってきているのが現在だと思う。10年もすれば、現在のジャーナリズムの寡占的な制度的枠組みは大きく変わっていると思う。いや、そうあってほしいという希望がある。

そんなわけで、論壇系ブログが日本に育って欲しいし、そのニッチはあると信じている私としては、ではどうしたら日本の文化・社会的土壌で論壇系ブロガーが育っていくか、またそのプロセスを加速できるかに興味がある。経済的なインセンティブは、そういう道筋がつけばシリアスな書き手が増えるだろうということで、むしろ二次的な問題である。ただ、どんなに崇高な理想を持っていてもビジネスモデルができないと先細りするという現実はあるので、仕組みを動かし続けるだけの資金回収システムくらいはあったほうがいいかもしれない。まあ、今のところは手弁当ということなのだが、こういう動きを加速する仕組みがあったら、その実験には参加してみたい気がする。たとえば、ココログのNiftyなんかはNifty@Payという課金システムを持っているのだから、ブログと連動するようなツールセットがあったら便利かもしれない。例えば、個々のブログに有料エリアを設けられるようにするとか、(Read more...以降の部分とか、過去ログとか、プレミアムコンテンツなど)簡単にドネーションを受け付けられるようなツールを設けるとか。方法論的にはいろいろ考えたりするのだが、私としては、論壇系・オピニオン系ブログの間のつながりを強めて、社会的影響力を強めることに興味があるのかもしれない。そういう意味では、論壇系ブログのポータルサイトとか、似たような関心系のブロガーによるグループ・ブログ(例えばCommand Postのような)などとかあったら面白いと思う。まあ思いつきに過ぎないのだが。

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October 13, 2004

第三回大統領選討論

第三回討論。どちらも大きなミスはなかったように思う。ここまで来たら、どちらが討論に勝ったかはそれほど重要でないかもしれない。ブッシュ大統領が過去二回の討論に比べて生き生きとしていたように見えたのは私だけだろうか。そもそも、四年前ブッシュ氏は「憐れみ深い保守 (compassionate conservative)」のスローガンのもと、伝統的に民主党が強い健康保険、教育などの部門でリベラル寄りの政策を提示して当選したのだった。その当時を思い出させる、確信に満ちたパフォーマンスだった。また、チャーミングさではケリー氏はブッシュ氏には決して勝てないだろう。
 一方、ケリー氏は、この三回の討論を通し、「大統領らしい」イメージを有権者に伝えることには成功していたと思う。そのような大きな流れは今回の討論では変わらなかったように思う。

いくつか気がついたこと。

○ブッシュ氏はケリー氏の上院での投票行動をやり玉に攻勢に出ていたが、果たして有効打になっていたかどうかはわからない。この手の数字はいくらでも誇張できる。有効だったとすれば、「ケリー氏は上院でリーダーシップを発揮していなかった」という辺りか。

○ブッシュ大統領は、低所得者救済についての質問が出ると、その質問には直接答えずに教育改革 ("No Child Left Behind Act") の話題に切り替えていた。そういえばチェイニー氏もこのレトリックを使っていた。ブッシュ政権の4年間で最も目に見える効果が出たのはこの教育改革。この法案を通すときには両党の協力を得たし、伝統的に民主党が強い教育政策で強いイニシアチブを発揮した。また、「教師に説明責任を」という発想は、自由競争・反教職員組合など保守系にうけやすい側面も持つ。確かに貧しい家庭の子息が満足な教育を受けることが貧困をなくす一番健全な方法だとは思うのだが、一般的に税制などで貧困層に冷たいブッシュ政権の言い訳のような気もする。

○選挙戦も大詰め。さすがに税収の確保については納得のいく説明は聞かれるはずもない。また、アメリカでも年金は日本と同じ問題を抱えているが、ケリー氏はこの問題は先送りするといい、また、ブッシュ氏の「年金を一部貯金できるようにする」という案も、その間の年金収入をどう確保するかについては説明なし。年金改革はかくも難しい。また、ケリー氏になったら現在の財政赤字が減少して、均衡財政に移行するというのも疑問である。

○自分の信仰についての発言では、ブッシュ氏の謙虚さがよく出ていたと思う。この辺の感覚を日本在住の人に誤解されないように説明するのは難しいのだが、ブッシュ氏は実に自然に語っていた。また、マイノリティ、ゲイの人々の自由を尊重すると彼がいうとき、彼はそう心から信じているという印象を与える。その後に続くケリー氏は大変だと思ったが、彼もなかなか真摯に答えていた気がする。

○私にとっての今日のハイライト。
ケリー氏「ブッシュ氏は、私の健康保険政策について国民をミスリードしている。二つの報道機関が、大統領の説明は正しくないと言っている。」
ブッシュ氏「事実の真偽について報道機関をそんなに信用するのがいいとは思わないが…。(笑)」
CBSニュースの司会者の前ではっきり言うとは思わなかった。

さて、今のところ世論調査はデッドヒートなのだが、このまま行けばケリー氏が有利、という見方がある。接戦の州で民主党支持者が大量に有権者登録をしていること、また今のところ未決の層はどちらかというとケリー氏に投票すると見られていることから、世論調査の数字でブッシュ氏が5%ほどリードしていなければケリー氏が有利といわれている。討論の前はブッシュ氏がそれ以上のリードを保っていたが、2回の討論でブッシュ氏のリードはなくなってしまった。今回の討論でその流れは変わらないだろう。さて、オクトーバー・サプライズはあるのかないのか。ブッシュ陣営の参謀ローブ氏が、保守系コメンテイターに「10月中にサプライズがあるかもよ」と言っているらしいが…。

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New York Times のデリダ訃報に抗議殺到

New York Timesのジャック・デリダ氏の訃報(10/10付)にアメリカの大学教授有志が抗議の手紙を投稿。13日付で掲載された。元の訃報を読んでみたのだが、これが確かにひどい。こんな記事がアメリカ最高級の「クオリティ・ペーパー」に載ってしまうなんて、アメリカには知性を尊重する風潮が死に絶えてしまったのかと愕然とした。

この訃報を一読して、まず気が付くのは、著者がデリダの本一冊も読むばかりか、彼の思想を理解しようとした形跡すら見あたらないということ。タイトルからして、"abstruse theorist" (難解な理論家)と少々軽蔑のニュアンスのこもった言葉を使っている。この訃報のひどさが如実に出ている、前半の一部を引用してみよう。

Toward the end of the 20th century, deconstruction became a code word of intellectual discourse, much as existentialism and structuralism - two other fashionable, slippery philosophies that also emerged from France after World War II - had been before it. Mr. Derrida and his followers were unwilling - some say unable - to define deconstruction with any precision, so it has remained misunderstood, or interpreted in endlessly contradictory ways.

Typical of Mr. Derrida's murky explanations of his philosophy was a 1993 paper he presented at the Benjamin N. Cardozo School of Law, in New York, which began: "Needless to say, one more time, deconstruction, if there is such a thing, takes place as the experience of the impossible."

Mr. Derrida was a prolific writer, but his 40-plus books on various aspects of deconstruction were no more easily accessible. Even some of their titles - "Of Grammatology," "The Postcard: From Socrates to Freud and Beyond," and "Ulysses Gramophone: Hear Say Yes in Joyce" - could be off-putting to the uninitiated.

"Many otherwise unmalicious people have in fact been guilty of wishing for deconstruction's demise - if only to relieve themselves of the burden of trying to understand it," Mitchell Stephens, a journalism professor at New York University, wrote in a 1994 article in The New York Times Magazine.

Mr. Derrida's credibility was also damaged by a 1987 scandal involving Paul de Man, a Yale University professor who was the most acclaimed exponent of deconstruction in the United States. Four years after Mr. de Man's death, it was revealed that he had contributed numerous pro-Nazi, anti-Semitic articles to a newspaper in Belgium, where he was born, while it was under German occupation during World War II. In defending his dead colleague, Mr. Derrida, a Jew, was understood by some people to be condoning Mr. de Man's anti-Semitism.

さて、どこから反論を始めましょうか。((c)ディック・チェイニー)

まず、脱構築が「ファッショナブルで、滑りやすいフランスの哲学」と括ってしまう筆者の度胸にも感嘆してしまうのだが、その上に「脱構築」を理解できないことを少しも恥じずに、「脱構築が誤解されて続けているのは、きちんと定義しないデリダのせい」と言い切ってしまっている。いや、確かに脱構築は一言では定義できないですよ。西洋哲学を読破している必要はないが、多少哲学史を理解していて、哲学のテクストを丁寧に読む根気がなければ。ここに引用されている、「デリダを理解するという重荷から解放されるからというだけで、脱構築の死の宣告を願っている人は多い」という言葉は、まさにこの著者にあてはまると言っても良い。

その上、ポール・ド・マンが「ナチ協力者」だった、という疑惑を持ち出して、デリダ自身がアンチ・セミティズム擁護しているのようなレッテル貼り。そのようなレッテル貼りこそ、デリダが脱構築を通して解体しようとしていたことなのに。あ、著者はデリダの本を読んでないからそんなことはわかりませんね。

なぜデリダの訃報がこんなことになってしまったのか。思うに、「脱構築」という言葉が一人歩きして、フェミニズムやらポストコロニアリズムやらにかなり甘い形で援用され過ぎてしまった現実があると思う。そこで、誰もが脱構築に興味を持ったが、はっきり定義するのが難しいとわかって幻滅するか、わからないままに誤用し続けたかどちらかになってしまったことだと思う。そういう意味では、脱構築の人気がデリダの哲学を正当に評価する眼を曇らせてしまっているのかもしれない。

私自身、今は昔ほどデリダの熱狂的なファンというわけではない。デリダの哲学を理解して、手っ取り早く世界観が変わるとか、そういうことはない。また、冷めた目で見れば、デリダは、世界を変革するような哲学者ではなかったかもしれない。(例えばフーコーはそういうポテンシャルを持った思想家だと思う。)しかし、哲学という営みに誠実に向かい合おうとする人々(あるいは、そういう価値を哲学に未だに認めている人々)にとって、デリダは無視することのできない仕事をしたと思う。無知を晒すのを承知で言うならば、私がデリダから学んだのは、哲学を神としないこと、それから、それでも哲学は続けていく価値があるものだということだと思う。

それにしても、こういう「わたしはデリダを読んでもわかりませんでした」的な訃報が新聞に堂々と載ってしまうということ自体、アメリカの反知性主義を如実に示している気がしてがっかりする。ところで、冒頭で紹介した抗議の手紙なのだが、現在でもウェブサイトで賛同者を募っている。現在1000人弱。趣旨に賛同する方はぜひ署名してみてはどうだろうか。(学者が署名運動をするというと普通はあまり賛同できないのだが、この趣旨には賛成できる。)

トラックバック:NYTのデリダ氏の訃報(自由手帖)

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October 12, 2004

シンクレアの例の件

六回裏現在、Yankees 7 - 0 Red Sox. ヤンキー・スタジアムの観衆が "Who's your daddy?" と大合唱している。あ、松井また打った。これで 8 - 0.

さて、明日は最後の大統領選討論なのだが、その前に、シンクレアの例の件の波紋が大きく広がっている。例の件とは、シンクレア放送ネットワークという会社が、所有の62局の地上波テレビ局で、選挙日直前に通常の番組を中断してケリー氏のベトナム戦歴にかかわる疑惑に関する「ドキュメンタリー」を流す決定をしたというニュースだ。この番組に登場する顔ぶれは、例の「高速艇」退役軍人のTV広告と同じ人々だ。

今日になって、民主党本部が動き出し、連邦選挙管理委員会にこれは「違法な選挙供与」と告発する事態になった。これに対して、シンクレアの副社長であるマーク・ハイマン氏が各社のニュース番組に登場し、反論。ケリー氏の戦歴を疑問視する退役軍人を弁護して「彼らを口止めしようとするケリー陣営はホロコースト否定論者と同じ」と発言して、さらに非難されている。

さて、このシンクレア放送ネットワークという会社なのだが、アメリカのメディア寡占化を象徴するような存在で、ネットワークTVの地方局を多く所有している。普段はその政治的な影響力に気づかないのだが、今日マーク・ハイマンという名前を聞いてぴんときた。この人物、夜のローカルニュース(夜9時〜11時に30分間放送される)のCM中に登場する「コラムニスト」なのである。ローカルニュース自体は、毒にも薬にもならない(といったら変だが)中道のニュース番組なのだが、彼のコラムだけは一貫して右より、ブッシュ政権擁護の論調なので、不思議なもんだと思っていた。去年住んでいた州で彼を見たときは、そのローカル局の社長か何かと思っていたのだが、この秋に引っ越してきた別の州でも同じハイマン氏が似たようなコラムを持っているので、どうなっているのかと思ったのだった。しかし、今日のニュースで、どちらの局もシンクレアの傘下だったのだということが分かり釈然とした。すると、ハイマン氏の「コラム」を放送している局で、問題のドキュメンタリーが見られるのだろう。それもプライムタイムに。

ブログの世界でも議論沸騰している。リベラル系のTPMでは、シンクレア系のTV局のボイコットを画策している。TV局に直接電話で抗議するのではなく、ローカルニュースで広告を流している地方企業の名前をリストアップし、TV局の営業部に電話し、企業名のリストを読み上げて「例の番組を引き揚げなければこれらの企業に電話して、製品のボイコット運動をする旨を伝えますよ」と言うという作戦らしい。もしボイコット運動が起こるようだったら企業は広告を引き揚げるし、そうなったらTV局は大打撃というわけ。(ちなみに、日本でもこれをやったら効果的かもしれないな。)TPMでは他のウェブサイトと連携して、シンクレア傘下の局に広告を出している企業リストをつくり、電話抗議を組織している。この辺りの動き、アメリカのブログの組織力を見る思いがして、すごい。

一方、9・11以来保守系の論調になっているInstapunditでは、この件に政府が介入するのは、言論の自由の観点からまずいと発言している。これにAndrew Sullivanが反論している。また、Instapunditは、「CBSが公共の電波を使ってこの数か月やっていることはこれと同じ」という読者の意見を紹介している。民主党側は、地上波のTV局には公的な性格があるから、この番組の放送は、選挙の候補者を公平に扱い、極端に党派的な内容を放送しないという放送法に違反すると論じているのだが、CBSがブッシュ政権の暴露番組を組んでいることを考えると、確かにどっちもどっちと言えなくもない。この「ドキュメンタリー」放送とマイケル・ムーアの『華氏911』を比較する議論が多いが、ネットワーク局の影響力を考えると、確かにCBSと比較するほうが有益かもしれない。

今更言うまでもないかもしれないが、この大統領選挙の勝敗に懸かっているものは大きい。これからの4年の方向性がこの選挙で決まるのだが、テロ戦争も含めて、この4年間が覇権国アメリカの未来を左右することになる。

懸かっているのは国の未来だけでない。ここにきて必死になってきた人々・業界を見てみると、どの業界が政界と癒着しているかよくわかる。シンクレアについては、すでに民主党関係者が「せいぜいケリー氏が大統領にならないようにとお願いするんだね」と不気味な発言をしていることから、ケリー氏が大統領になったら放送ライセンス剥奪、罰金などいじめられることだろう。また、このブログでも前に触れたように、民主党の最大の献金源は法廷弁護士業界である。ブッシュ陣営は、すでに民事訴訟改革を打ち出しており、これが実現すると法廷弁護士は大打撃を受ける。

また、選挙の後の国民の反応も気になる。もしブッシュ氏が再選したら、今でさえ怒り狂っている民主党支持者がどうなるか想像するだけでも恐ろしい。カナダに移住する人々が大量に出るかもしれない。(半分本気。)ケリー氏が勝った場合も、ケリー氏が少しでもミスしてアメリカ人の犠牲者が出たりしたら、テロ戦争に関してケリー氏に不安を持っていた人々にとっては「ほれ見たことか」と怒りが収まらないことだろう。また、そんな人々に媚びるかのように毎晩のようにFox Newsがケリー氏にかみつくことだろう。

ダン・ラザー氏の一連の疑惑やら、今回のシンクレアの件を見ていると、この選挙にフェア・プレーを求めること自体が愚かに思われてくる。この選挙は武器を使わない戦争だ。この一点においては、マイケル・ムーアのほうが正しかったようだ。

野球は現在10 - 7. ヤンキースがこのまま勝ちそう。こちらもすごい闘いだが。

追記:ヤンキース勝利。シナトラの "New York, New York"、Red Soxファンのハートを逆なでしていることだろう。

追記2:野球の試合の後のローカルニュースで早速この件が扱われている。この局でも問題の番組を放送するようだ。

追記3【10/19/04】:シンクレアが、番組内容について、「高速艇」の人達のドキュメンタリーを直に流すのではなく、今回の選挙におけるメディアの役割を包括的に扱った「報道番組」を放送することとした、と発表した。この数日、シンクレア上層部は内部からでた批判者を解雇したりと強硬な姿勢を取っていたが、株価が降下(今日だけで3.54%下落)しているのを受けてか、少し態度を和らげてきたようだ。この件ではTPMが詳しく追い続けている。

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October 09, 2004

ジャック・デリダ氏死去

仏の哲学者ジャック・デリダ氏、がんで死去(読売)
合掌。

 デリダは大学のとき、また大学院を始めたころによく読んだ。"Of Grammatology" とか、"Margins of Philosophy" とか。東浩紀氏は『存在論的・郵便的』で、後期デリダにまで視野を広げて論じていたが、私は専門でもなかったこともあって、「脱構築」を紡ぎ出しているころの初期デリダを時間をかけて読んだ。時間をかけてというのは、自分の頭が悪くて理解するのに時間がかかったというのと、デリダの文章のスタイルと、両方あると思う。今振り返るに、結構勉強になったと思っている。
 最近また自分の研究との関連が出て来て、"The Archive Fever" とか "The Specters of Marx" とか読んでいる。20世紀の思想界は構造主義からポスト構造主義、ポストモダン、ポスコロなどかまびすしかったが、デリダはその中でも20世紀の《哲学》を論じる上で欠かせない数少ない人物だとは思う。私はこの人のおかげでハイデッガーやらヘーゲルやらに興味を持つようになった。これからもそういう読者は出てくるだろう。

ついでに、映画 "Derrida" はこの哲学者の思想を知る上でお勧めできる。哲学者が登場する映画に珍しく、哲学の内容を薄めて解説すると言うよりは実世界との接触点を提供するというような映画だった。また、彼の政治的なスタンスや、自伝的内容など、意外とガードを下ろして語っていた。ちなみに音楽は坂本龍一。(註:リンク先のDVDは輸入盤のためリージョン1(北米)です。)

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October 08, 2004

第二回大統領選討論

セントルイスでの第二回討論。今日はタウンホール・ミーティング形式で、参加者が候補に直接質問する形式。以下は、討論を見ながら取ったメモ。

9:05 p.m. (ET) ケリー氏に、いきなり「あなたは決断力に欠けていますか」という質問。しかし、ケリー氏は話題を変えて全然違う話をしている。ブッシュ氏のほうが「大統領は一貫性がなければ」と攻撃。

9:10 ブッシュ氏に「WMDがなかったという報告がありましたが」という質問。情熱的かつシンプルな答え。今日はブッシュ氏は前の討論より休養十分という感じ。ケリー氏は、「イラクに関し、私は意見を変えたことがない」と言う。話題がそれる悪い癖が少し出ているが、答えは短く、直接的。

9:19 ブッシュ氏に海外諸国の反米感情についての質問。「レーガン元大統領もヨーロッパでは頑固者と呼ばれていた」と、人気がなくても正しいことをすべき、と主張。これに対し、ケリー氏が4年前の討論の答えで「出口戦略と十分な兵力がある時だけ軍事行動する」と言ったことを持ち出して、「約束を破った」と。イラクについてはケリー氏が攻撃に使えるネタが多い。かなり効果的な議論を展開している。

9:26 イランと北朝鮮。ブッシュ氏がケリー氏の、対北朝鮮の「二国間対話」政策を批判。私も二国間対話は賢い政策とは思わないのだが、ブッシュ氏の説明はディテールが少ないので、イメージだけ見れば説得力がないような気がする。

9:32 徴兵復活するかどうか、という質問。ケリー氏が答えながらブッシュ氏のほうをまっすぐに見て、「(州兵の呼び出しなど)実質上徴兵が起こっている」と厳しい批判。ブッシュ氏はすこし頭に来たような様子で反論。イラク戦争の多国籍軍についての論争だが、両者ともシャープに答えている。両者の違いがはっきりしている。

9:37 テロ対策について。ブッシュ氏の答えは「すべてできることはしている」と言っている。前回の討論でブッシュ氏は「大統領は大変な仕事なんだよ」と連発して後日揶揄されたが、今日はクリアに、嫌味にならない言い方をしていて説得力があったと思う。

9:42 質問は国内問題へ。ケリー氏、またもや4年前の討論の答えと実際の政策の矛盾を指摘。ブッシュ氏がメディケアの成果を強調して、ケリー氏は何もしなかったと言うと、ケリー氏は「われわれはメディケアを改善しただけでなく、予算を均衡した」と。そう、財政赤字もブッシュ政権の大きな問題。

9:46 健康保険と訴訟改革について。ブッシュ氏が「ケリー氏は上院で最もリベラル」と攻撃。また、エドワーズ氏を副大統領に選んだことに対して疑問。先日のワシントン・ポスト紙のGeorge Willのコラムでもあったが、弁護士は民主党の最大の支持母体になっている。ブッシュ氏は訴訟コストを減らし、弁護士の取り分を減らす改革をしている。これが実行されると、弁護士たちだけでなく、民主党が大きなダメージを受ける。

9:52 財政均衡について。ブッシュ氏は、「私が大統領になる6ヶ月前に不況になったから財政赤字が増した」と答えた。

9:54 ケリー氏に、「年収20万ドル以下の人々には増税しないとカメラに向かって誓って下さい。」ケリー氏は、言われた通り誓い、また、「財政赤字を半分にする」とも誓う。これ、日本でもやったら面白いだろう。ブッシュ氏は、「過去の投票行動から、彼は増税するだろう」と反論。ケリー氏は再反論で、マケイン氏の名前を出しながら「企業税の抜け穴をなくす」と発言。ここで中間層に人気のあるマケイン氏を持ち出すのは賢い。

10:03 環境問題。これも、二者の違いが鮮明になる問題。私はブッシュ氏が環境問題について関心をもっているとは思わないのだが。それから、ケリー氏は「私は科学を信じる」とも。科学者でブッシュ氏の政策に不満を持っている人は多い。

10:06 経済政策。ケリー氏が、アウトソーシングをする企業を批判。ブッシュ氏が、この質問をきっかけに「中小企業はケリー氏の税制で打撃を受ける」と攻撃に転ずる。ケリー氏は「それは違う。ブッシュ氏が木材屋で、チェイニー氏が中小企業、そういう数え方をしている統計」と。それに対してブッシュ氏は「私が材木屋? それは初耳だ。…木材いります?」とジョークで切り返した。??? この問答、よくわからんかった。

10:14 愛国法。ケリー氏はこの法案にも賛成票を投じたのか。まあほとんど全員賛成だったわけだが。

10:15 ES細胞の研究利用について。この問題について、ブッシュ氏は「生命倫理」を強調し、ケリー氏は「科学の希望」を強調する。この問題は、中絶論争にもつながる生命観の問題も絡むので難しいが、ブッシュ氏の立場には宗教右派も反対しているという事情がある。こういうと誤解されそうだが、この問題、たんなる「科学の進歩のため」という理由付けで研究を解禁するのは問題があると思っている。

10:22 最高裁判事の任命問題。これは実はけっこう重要な問題。両者とも、「法を解釈する人」というようなことを言っていたが、両者の意味するところは大きく異なる。両者ともはっきりとは言わないが、この問題を気にしている人は多い。そろそろ次の判事を任命するタイミングで、現在の最高裁はちょうど左右均衡しているから、次の一人の重みは大きくなる。

10:25 中絶問題。私はケリー氏の答え(「中絶に個人的に反対だが、政府の代表として個人の権利を守らなければならない」)は、微妙なニュアンスながらよく表現されていたと思ったが、ブッシュ氏は「今のを解読するのは難しいね」と一刀両断。

10:28 ブッシュ氏に「4年間の政策で、間違いだったと思うことがありますか」と。ブッシュ氏:「振り返ってみると戦争の戦術的なミスはあったと思う。人間だから」。この譲歩は少し驚き。でも、イラク戦争を始めたことは正しかったと信じる、大統領として責任を取る、と強調することを忘れていない。それに対しケリー氏は「本当に最後の手段として戦争を選んだか、よく考えてみよう」と主張。ブッシュ氏は、ケリー氏のflip-flopを批判して反論。また、「あのような状況でいま以上強固な同盟がつくれたかどうかは怪しい」と、ケリー氏の主張自体を疑問視する人もいる。ともあれ、二つのまったく違う世界観が提示されている。どちらが一般庶民と共鳴するか、だろう。

まとめ。両者とも大きなミスはなかったように思う。ケリー氏が、「変節漢」というイメージとはうらはらに、クリアで力強い答えを用意していたのが目立った反面、ブッシュ氏も疲れたような1回目討論とは異なり自らの立場をはっきり主張していた。国内問題に関しては、中絶問題など、「この問題だけでだれに投票するか決める」というべき問題が多くある。その意味では、どちらに投票すべきかというシグナルが答えの中に含まれていたのではないかと思う。多くのアメリカ国民にとり、一番の問題はイラク情勢だというのが最近の世論調査の結果である。そうなると、ケリー氏が有利だろう。いっぽう、ブッシュ氏のケリー氏批判のうち、弁護士業界との関係、中小企業の税負担など、有効打もいくつかあったと思う。

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シニカルな新聞記者二題

まずは、New York Timesに載った、イラクの自衛隊についての記事。
Japan's Troops Proceed in Iraq Without Shot Fired By NORIMITSU ONISHI (Oct. 6, 2004)
この記事、共同電で紹介されたりしていたのでごらんになった方も多いとは思う。実はこの記事について私は松坊堂日乗から頂いたトラックバックで知った。松坊堂さん(でいいのでしょうか)がご指摘されている通り、この記事の著者は、イラク日本人人質事件の「自己責任」論について、「彼らは『お上に逆らったから』罰せられたのだ」と書いた人物である。この記事については私が前に、この記事のステレオタイプ的な日本論が偏見を助長しているのではないかと分析した。その意味では、この記事もまったく変わっていない。

この記事は次のように始まる。

Whenever a Japanese convoy leaves its base here in southern Iraq, the armored vehicles are so spotless that they appear to have just rolled out of a Tokyo car showroom into this crumbling Shiite Muslim town on the Euphrates.

They lack the dents and dirt of other nations' vehicles. Perhaps that is because of the Japanese troops' attention to maintenance or perhaps, as the Iraqis here say, their increasing tendency to stay inside their base with the violence rising outside.

自衛隊の装甲車両は「東京の自動車ショールームから出て来たほど」ぴかぴかなのだそうだ。さて、なぜ「東京の自動車ショールーム」を持ち出す必然性があるのだろうか?
 ここでポイントなのは、日本人を「車」で代表させる換喩的な手法である。日本人は生身の人間ではなく、ピカピカの車としか見えない。西洋における日本のイメージが、極端にエキゾチックなものか、経済大国、ハイテク大国になった後のモノ中心のイメージが圧倒的で、日本人を同じ人間として見るということの大きな障害になっていることを考えると、この手の換喩はあまり歓迎できない。
 そもそも、この表現に必要性はあるのだろうか? 日本の外交は顔が見えない、ということへの遠回しな批判なのだろうか? そうだとしたら、なかなかスマートな語りではある。あるいは、イラクの人にとって日本のイメージは「経済大国」である、という、イラクの一般庶民の視点に立った語りなのだろうか? どちらにせよ新聞記事としては合格点かもしれない。しかし、私はこういう記事を読むたびに思う。日本の話題だったらいつも「車」とか「相撲」とかステレオタイプに直結した表現を持ち出す必要があるのか? アメリカ政治の記事で必ずどこかでカウボーイについて触れたり、フランスだったらワインとか、インドだったらカレーだとか、そういう記事を見せられたら読者はうんざりするとはこの記者は考えないのだろうか? もういい加減にそういうステレオタイプから自由になる時が来てほしい。そのためには、そのような表現を安易に使わないことが一番だと思う。こういう表現をサラッと使って恥じないという態度にシニカルな無関心というか、敵意のようなものすら覚えるのは私だけだろうか。

また、「自衛隊の車両はほとんど外に出ない」とある。この一文は記事全体の印象を決定づける意味で重要なのだが、オオニシ記者はこの点の事実関係については本文ではほとんど検証していない。日本に批判的なイラク人の大学教授が「自衛隊は外にほとんど出ていない」とコメントしている程度である。サマワ駐留の松本氏は、「すべて予定通り」と言っている。もちろん、自衛隊の発表を鵜呑みにすべきというのではないが、もう少し検証があってもいいと思う。イラクの一般庶民が自衛隊についてどういうイメージを持っているのか、という点は、実際、サマワの自衛隊の記念碑が破壊されたというニュース(読売)もあって興味深い点ではある。しかし、この記事を読んでいくと、イラクの人々の「日本の支援」というイメージはかなり規模が大きい経済支援を考えている人が多いということがわかる。これでは多少水を供給したりサッカーボールを1000個送ったくらいでは、「期待はずれ」である。イラクの人が不満だからと言って、自衛隊が引きこもっているということにはならないだろう。

この記事、自衛隊は「平和主義から離れる」流れの一環である、と結ばれている。オオニシ記者はこの辺りをアピールしたいのだろう。その意味では、この記事はNYTの読者だけでなく、日本の読者にも向けられている。(共同電が紹介記事を書いたのは、まんまと乗せられたのか、それとも直接・間接の依頼があったのか?)しかし思うのだが、イラク情勢がまったく混沌している現在、「日本の軍国主義化」を心配している人はどれくらいいるのだろうか? 憲法改正だって今すぐにも通りそうな印象すら受けるが、どう考えても5年、10年先の話ではないのだろうか? それより、自衛隊の現在の仕事が、将来の日本のイラクへのコミットメントにどう関わるかの分析を読んでみたい。ケリー候補も「多国籍部隊を拡大する」と言っているわけだし。ともあれ、この記者、アメリカの新聞社の日本への特派員のはずなのだが、視点がほとんど日本のマスコミと化しているのは面白い。

長くなったが、私は自衛隊を弁護したいわけではない。むしろ、「東京の自動車ショールームから出て来たばかりのようなピカピカの装甲車両」とか、「引きこもって出てこない自衛隊」とか、あからさまな印象操作とも取られかねない記事に強烈な反感を覚えるだけである。そんなことを書かないで、事実だけ淡々と書くのがジャーナリズムの仕事じゃないんだろうか。最後の判断は読者がすればいいのだから。

しかし、これは外交の問題でもある。イラクに自衛隊を送っているのだから、その点、各国にしっかりアピールしてほしい。この機会に外務省のイラク問題サイトを見たのだが、英語ページは決して充実しているとは言えない。日本語ページに比べてもかなり貧弱である。そもそも、外務省のホームページというのは海外に向けて日本外交のメッセージを発する重要な拠点なんじゃないだろうか? 

CBSメモ疑惑でダン・ラザー氏を弁護していたTBSの金平氏のHPが更新されている。ラザー氏が謝罪した直後は更新が止まっていたのだが、また更新が再開されたようだ。メモ疑惑についてもいくつか言及がある。
 金平氏も匿名のブロガーの批判はかなり意識しておられるようだし、私もこれ以上コメントするつもりはなかったのだが、これだけは書いておきたいと思ったことがひとつあった。10月6日の、
[私はこの件を是認します〜And I approve this message.]
というエントリ。今回の選挙から、ネガティブ・キャンペーンを減らす目的で、公式TV広告では候補自身が「私はこの件を是認します」と言わなければならない、という内容なのだが、次のように結ばれている。

イラクの大量破壊兵器に関する米調査団の最終報告書が出た。やっぱり大量破壊兵器はなかったという結論。将来のアメリカの教科書にはこの顛末はどのように記述されるのだろう。

(例)2003年3月、わが国は、大量破壊兵器保持を最大の根拠として、サダム・フセイン政権下のイラクに侵攻(invade)した。しかし、その後も占領政策に対する抵抗が根強く続き、わが軍にも千人を超える死者が出た。

もっともその頃に日本みたいな検定制度がアメリカに逆輸入されてたりして。こなんふうに。

(検定後)2003年3月、わが国は、イラク国民に自由と民主主義をもたらすために、サダム・フセイン圧制下のイラクに進撃し、イラク国民を解放した。その後、テロリストたちによる不法な反米蜂起が起きたが、わが軍によって制圧された。

こういうのは是認できないな。

日本の教科書検定制度では「侵略」を「進出」と書き換えるような歴史修正が行われているとでも言いたいのだろうが、「侵略」→「進出」と書き換えろという検定があったというのはあきらかな事実誤認である。これは朝日の有名な誤報記事で、誤報だったことは朝日新聞自身も認めている。(参照)誤報から出たデマを広げるのも許せないが、このポイント自体、本論と何にも関係ないじゃないか。何でも「日本政府は悪」という結論に牽強付会するというのは変だ。私は日本から離れてだいぶ経つので「News 23」の人気はわからないのだが、こういう報道をしていたら視聴者が離れていくんじゃないだろうか。こういう意見ばかりは是認できない。いや、本当に。

追記:このエントリはメディア批評という立場から書きましたが、サマワの治安、自衛隊の活動などがどうなっているのか、興味があります。事実に基づいたレポートがありましたらここのコメント欄などでお知らせ下さい。

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October 06, 2004

副大統領討論

元ハリバートンCEO対元法廷弁護士の討論。何か書こうと準備していたのだが、討論の中継の途中で友人から電話がかかってきて、中断。(非常に実りのある会話で満足した。本件とは関係ないのだが。)ということで、きちんと見ていないのだが、最初の1時間ほどを見た感想を短く。
○両者の準備がずいぶん違う形で現れた。エドワーズ氏は、特にイラク戦争については、同じ論点をとにかく繰り返すこと。それは、自分の信条や経験から生み出されたものではなく、ケリー陣営として現大統領を批判するために練りに練られたポイントだったと思う。経験不足のため説得力が薄いと思われる部分もあったが、特にイラク戦争については、現政権側として反論しきれないものもあるわけだから、それは両者の違いとして残った。例えば、エドワーズ氏が、先週のケリー氏の議論をくり返しながら、アメリカが「90%の犠牲者、90%のコスト」を負担しているというと、チェイニー氏は、「その数字にはイラク人の犠牲者が入っていないし、先進国がイラクへの債権放棄したのも含まれていない。イラクの人々や同盟国を尊重しないのか」と反論。これに対してエドワーズ氏は「現政権が国民をミスリードする典型例だ」と。

○イラクの論点は、基本的には、イラクの現状を悲観的に見るケリー氏側と、今までの業績を強調し、「自由」という目的の高邁さを訴えるブッシュ氏側ということになる。今から喜んでイラクに派兵しようという国がないから、イラクの治安維持に多くの国の参加を求めるのは夢物語、という意味ではブッシュ氏側が正しいが、ケリー氏側は、そもそもこうなったのはブッシュ氏の失政なのだ、と言っている。この点に限って言えば、アメリカの世論はケリー氏側に傾きつつあると思う。

○チェイニー氏は、ケリー氏とエドワーズ氏の両方にかなり厳しい個人攻撃を加えていた。とくに、ケリー氏の30年にわたる上院での投票行動をやり玉に挙げていた。30年間投票していれば、いろいろと攻撃材料が出てくるものである。ブッシュ大統領は今のところこれを攻撃材料として使っていなかったのだが、今日の討論ではチェイニー氏が具体例を挙げて攻撃した。「90分の言論で30年の投票行動を隠せない」と。また、エドワーズ氏が上院の欠席率が高いとして、「私は(上院議長として)毎週火曜日に議会に出ていますが、今日初めて会いましたね」などと批判していた。それに対して、エドワーズ氏はチェイニー氏の下院議員時代の投票行動をもちだして反論。「キング牧師記念日に反対」とか、「マンデラ氏釈放決議に反対」とか、今の常識では考えにくい保守的な例を挙げていた。この攻撃はけっこう有効だったのでは。この辺りの個人攻撃は、共和党が広告などを通して進めている戦術と一貫していて、チェイニー氏は自分の役割を果たしていたと思う。しかし、あまり繰り返すと国民に飽きられるのではないかという気がした。

○一方、現政権は国内政策ではかなり問題を抱えているのではないだろうか。この討論が行われたオハイオ州クリーブランドは貧困率がアメリカ一高い都市だそうだが、現政権の政策で貧困層が助かるようなものはない。せいぜい減税くらい。(しかし、減税で最も潤ったのは高所得層なのだ。)この問題は民主党のおはこである。特に、法廷弁護士として一般庶民の側に立って戦った(ということになっている)エドワーズ氏は、この辺りの問題になると説得力があると思った。論争が国内問題に移る3回目