むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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October 13, 2004

New York Times のデリダ訃報に抗議殺到

New York Timesのジャック・デリダ氏の訃報(10/10付)にアメリカの大学教授有志が抗議の手紙を投稿。13日付で掲載された。元の訃報を読んでみたのだが、これが確かにひどい。こんな記事がアメリカ最高級の「クオリティ・ペーパー」に載ってしまうなんて、アメリカには知性を尊重する風潮が死に絶えてしまったのかと愕然とした。

この訃報を一読して、まず気が付くのは、著者がデリダの本一冊も読むばかりか、彼の思想を理解しようとした形跡すら見あたらないということ。タイトルからして、"abstruse theorist" (難解な理論家)と少々軽蔑のニュアンスのこもった言葉を使っている。この訃報のひどさが如実に出ている、前半の一部を引用してみよう。

Toward the end of the 20th century, deconstruction became a code word of intellectual discourse, much as existentialism and structuralism - two other fashionable, slippery philosophies that also emerged from France after World War II - had been before it. Mr. Derrida and his followers were unwilling - some say unable - to define deconstruction with any precision, so it has remained misunderstood, or interpreted in endlessly contradictory ways.

Typical of Mr. Derrida's murky explanations of his philosophy was a 1993 paper he presented at the Benjamin N. Cardozo School of Law, in New York, which began: "Needless to say, one more time, deconstruction, if there is such a thing, takes place as the experience of the impossible."

Mr. Derrida was a prolific writer, but his 40-plus books on various aspects of deconstruction were no more easily accessible. Even some of their titles - "Of Grammatology," "The Postcard: From Socrates to Freud and Beyond," and "Ulysses Gramophone: Hear Say Yes in Joyce" - could be off-putting to the uninitiated.

"Many otherwise unmalicious people have in fact been guilty of wishing for deconstruction's demise - if only to relieve themselves of the burden of trying to understand it," Mitchell Stephens, a journalism professor at New York University, wrote in a 1994 article in The New York Times Magazine.

Mr. Derrida's credibility was also damaged by a 1987 scandal involving Paul de Man, a Yale University professor who was the most acclaimed exponent of deconstruction in the United States. Four years after Mr. de Man's death, it was revealed that he had contributed numerous pro-Nazi, anti-Semitic articles to a newspaper in Belgium, where he was born, while it was under German occupation during World War II. In defending his dead colleague, Mr. Derrida, a Jew, was understood by some people to be condoning Mr. de Man's anti-Semitism.

さて、どこから反論を始めましょうか。((c)ディック・チェイニー)

まず、脱構築が「ファッショナブルで、滑りやすいフランスの哲学」と括ってしまう筆者の度胸にも感嘆してしまうのだが、その上に「脱構築」を理解できないことを少しも恥じずに、「脱構築が誤解されて続けているのは、きちんと定義しないデリダのせい」と言い切ってしまっている。いや、確かに脱構築は一言では定義できないですよ。西洋哲学を読破している必要はないが、多少哲学史を理解していて、哲学のテクストを丁寧に読む根気がなければ。ここに引用されている、「デリダを理解するという重荷から解放されるからというだけで、脱構築の死の宣告を願っている人は多い」という言葉は、まさにこの著者にあてはまると言っても良い。

その上、ポール・ド・マンが「ナチ協力者」だった、という疑惑を持ち出して、デリダ自身がアンチ・セミティズム擁護しているのようなレッテル貼り。そのようなレッテル貼りこそ、デリダが脱構築を通して解体しようとしていたことなのに。あ、著者はデリダの本を読んでないからそんなことはわかりませんね。

なぜデリダの訃報がこんなことになってしまったのか。思うに、「脱構築」という言葉が一人歩きして、フェミニズムやらポストコロニアリズムやらにかなり甘い形で援用され過ぎてしまった現実があると思う。そこで、誰もが脱構築に興味を持ったが、はっきり定義するのが難しいとわかって幻滅するか、わからないままに誤用し続けたかどちらかになってしまったことだと思う。そういう意味では、脱構築の人気がデリダの哲学を正当に評価する眼を曇らせてしまっているのかもしれない。

私自身、今は昔ほどデリダの熱狂的なファンというわけではない。デリダの哲学を理解して、手っ取り早く世界観が変わるとか、そういうことはない。また、冷めた目で見れば、デリダは、世界を変革するような哲学者ではなかったかもしれない。(例えばフーコーはそういうポテンシャルを持った思想家だと思う。)しかし、哲学という営みに誠実に向かい合おうとする人々(あるいは、そういう価値を哲学に未だに認めている人々)にとって、デリダは無視することのできない仕事をしたと思う。無知を晒すのを承知で言うならば、私がデリダから学んだのは、哲学を神としないこと、それから、それでも哲学は続けていく価値があるものだということだと思う。

それにしても、こういう「わたしはデリダを読んでもわかりませんでした」的な訃報が新聞に堂々と載ってしまうということ自体、アメリカの反知性主義を如実に示している気がしてがっかりする。ところで、冒頭で紹介した抗議の手紙なのだが、現在でもウェブサイトで賛同者を募っている。現在1000人弱。趣旨に賛同する方はぜひ署名してみてはどうだろうか。(学者が署名運動をするというと普通はあまり賛同できないのだが、この趣旨には賛成できる。)

トラックバック:NYTのデリダ氏の訃報(自由手帖)

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Listed below are links to weblogs that reference New York Times のデリダ訃報に抗議殺到:

» NYTのデリダ氏の訃報 from 自由手帖 A Day in The Life
先日、フランスの哲学者、ジャック・デリダ氏が亡くなったと報じられていたが、この件... [Read More]

Tracked on Oct 28, 2004 12:17:48 AM

Comments

こんにちは。
この記事、全然気づいていませんでした。大変興味深く読みました(笑いましたが)。デリダに限らず基本的に欧州大陸プロパーの思想系にはあまり好意的でない、ひいては理解の筋道がおぼつかない人が多いのが英語圏というもの、というのはある種現実的な前提のような気もしますのであまり、びっくりはしないんですが、でも、やっぱり物事には限度というものが(^.^;;とは思います。

Posted by: Soreda | Oct 16, 2004 7:08:08 PM

> Soredaさん
こんにちは。デリダは北米の大学では人気あるんですがね。著作はほとんどペーパーバックで出てますし、フランスでオリジナルが出版されるか、されないかというころにアメリカで英語訳がでることもありました。でも、アメリカで「哲学」というとどうしても経験主義系になりますから、フランス・ドイツの思想はそれぞれの言語・文学部で扱われることが多いようです。

Posted by: むなぐるま | Oct 18, 2004 4:58:38 PM

すみません! せっかくトラックバックさせていただいたのに、文字化けしてしまいました。

Posted by: Hata | Oct 22, 2004 6:37:47 AM

> Hataさん:
本文の最後に追記としてリンクさせて頂きました。
このブログでは、文字コードに Unicode (UTF-8) を使っているので、それ以外の文字コードを使っているサイトからトラックバックを送ると文字化けするみたいです。

Posted by: むなぐるま | Oct 22, 2004 9:06:10 AM

むなぐるまさん! 素早く対応してくれて、ありがとうございます。(はた)

Posted by: Hata | Oct 22, 2004 10:28:02 AM

ID:munaguruma さん:

この記事を読んだら大して問題を感じません。Derridaに対して関心が無いからではありません。あなた程度には関心を持っています。

私が問題を感じない理由を簡単に述べると、
「一般向けにDerridaの業績を紹介する場合に、これ以上のものを書く事は私にもできそうにない」
という事です。
(Lacan, Foucault, Barthes, 等なら、もう少し一般読者にも興味がある紹介文が書けると思うが。)

あなたは、「こういう事を書くべきだ」というような根拠があって、「がっかりする」と嘆いてみせているのですか?
もし そのような根拠があれば教えていただけますか?

(英語で書いてくださっても構いません。あなた程度には英語の読み書きはできます。)

ただし、この批判は付和雷同して署名しているアメリカ人「学者」達にも当てはまる事であって、「何か学べる事があるかな?」 と思って、こうしてあなたに質問しているわけです。

Posted by: http://d.hatena.ne.jp/kishida_shu/ | Oct 22, 2004 7:12:37 PM

> id:kishida_shu さん (書き換えに他意はありません。できればName: 欄にウェブアドレスを書くのはやめて頂きたいのですが、実際問題として)
こんにちは。
「一般向けにDerridaの業績を紹介する場合に、これ以上のものを書く事は私にもできそうにない」
ですが、自分ができないから批判するべきではない、とは私は思わないわけです。実際、アカデミックの世界だって、専門では門外漢の人が他の人の文章について文体やら基本的な姿勢やらで批判することは日常茶飯事ではないでしょうか。

数日後に同紙に出たMark C. Taylor氏のオピニオン記事は、脱構築の意味を丁寧に説き明かしながら現代の問題に関連づけたいい文章だっだと思いました。NYTのような新聞の訃報欄の場合、こうした良き理解者というべき外部の人に依頼することはできないのだろうかと思います。

私の件の訃報への批判は、まず、ソースの欠如というか、原典に当たった形跡がないという問題、それから、敵意を感じさせるようなトーンの問題でした。内容的にいうならば、デリダの哲学が各分野の思想家に与えた影響についてもう少し詳しく書いて欲しかったと思いました。あらゆるシステム的な哲学についての根本的な批判は、哲学や文学研究に限らず、人類学、神学、精神分析などに大きな影響を与えたといえます。また、個人的には、彼のユダヤ人としてのアイデンティティについて関心がありました。"Archive Fever" では、Yerushalmiのフロイト論と対話しているのですが、ユダヤ人であることを回避し続けることによりかえってユダヤ的になっているという気がしました。この辺りについては映画 "Derrida" でもう少し率直に語っていますがね。

Posted by: むなぐるま | Oct 23, 2004 8:11:21 AM

ID:munaguruma さん:

(Name: 欄に関して、「実際問題として」 どうして欲しいか書かぬと解らぬが、無礼傲慢な効果を出したかったのなら成功している。)
Taylorの記事はやや良い。記事としては元の記事の方が面白い。

満足に英語も聞き取れず、読み書きも不自由な日本人がNYTimesの記事の批判を書くときには少しは謙虚さも必要だろう。
(ID:munaguruma さんの英語については気が向けば具体例を挙げます。)

>> ソースの欠如というか、原典に当たった形跡がないという問題、

元の記事の方が、あなたの発言よりは多くの実質的内容を含んでいる。
昔は「デリダの熱狂的なファン」だった、とか、そういう空疎な事は記事に書かないだけ。

Posted by: ID:hatena/kishida_shu/ | Nov 4, 2004 11:52:50 AM

(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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