むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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November 23, 2004

サンクスギビングと憂国忌

サンクスギビング・デーは今週の木曜日なのだが、ここ2年ほど、サンクスギビングというと三島由紀夫を思い出す。

というのも、2年前のちょうど今頃、学部生向けの日本文学の授業の教材を探していて、 "MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS" (1985) をDVDで借りてきていた。ちょうどサンクスギビングの休暇間近の月曜日だったので、友人達を何人か誘って見たのだが、見終わった後もしばらく映画の余韻を味わっていたのを今でも思い出す。そして、その日に思い出したのか、後になって気がついたのか失念したのだが、その映画を見た日がたまたま11月25日、いわゆる憂国忌だった。それで、ああ、アメリカでこの日本で公開されなかった映画を見ながら知らずに憂国忌を記念していたのか、と思って感慨に打たれたのだった。それから、何だかこの映画とサンクスギビングには縁がある。去年、今年と秋学期に "MISHIMA" を学生に見せているのだが、なぜかこの時期に重なってしまう。今年も、水曜日に見せるから、一日早い憂国忌である。

この映画は1985年封切。監督は「タクシー・ドライバー」の脚本家であり、小津安二郎をいち早く米国で紹介したことでも知られるポール・シュレーダー。三島役には緒方拳。その他、沢田研二、永島敏行、佐藤浩市、左幸子など。若き日の板東八十助や三上博史も出ているし、萬田久子や烏丸せつ子がチョイ役で出ていたりする超豪華な顔ぶれ。笠智衆もカメオ出演したのだが、惜しくも最終版で編集されてしまったそうだ。(私の持っているDVD版ではこの場面もおまけで見られる。)フィリップ・グラスがドラマチックでぎらぎらした音楽を提供している。また、舞台美術はのちにアカデミー賞を受賞することとなる石岡瑛子。この映画、1985年カンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞していることからもわかる通り非常に完成度の高い映画なのだが、日本では未公開。それも、三島の未亡人が、三島の同性愛を描いたシーンを削除するよう依頼したが聞き入れられず、未だに許可が得られていないためだという。輸入版がレンタルビデオ屋で出回っているという情報もあるが、不明。ま、米国在住の私には関係なく見られる。しかし、この映画が日本で見られないというのは、どうしたものか。まあ、未見の方は是非見て頂きたい作品だ。(amazon.comの商品ページ; Region-1なので注意)

本編は、1970年11月25日の出来事を追いながら、三島の生涯をフラッシュバックで補い、それに更に『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』のストーリーを織り込むという形式を取っている。フィクション部分は、石岡氏デザインの、色鮮やかにデフォルメされた舞台美術が際だち、ずいぶん簡略化した「映画化」ながら、三島作品の世界の感触を再現している。また、小説の場面と三島自身の生涯をオーバーラップさせることにより、フィクションに影を落とす作家のメンタリティを描くことに成功している。

この映画を見ていると、三島が海外の意外なところで理解者を得ていたのかな、という不思議な気分にとらわれる。たしかDVD版の解説で聴いたのだが、シュレーダー監督は三島を自ら創作した「タクシー・ドライバー」の殺人犯トラヴィス・ビッケルと比較している。どちらも、自意識過剰な人間が都市の中で孤独に耐えられなくなって精神異常になるまで追いつめられたのだと。こう書くと、三島を崇拝する人達に叱られそうだが、映像で描かれた三島には監督のシンパシーを感じる。特に、切腹直前に三島が演説するシーンでは、画面は昼食休みに出てきたあきらかに無関心な自衛隊員、そして空中を飛ぶマスコミのヘリコプターなどを余すところなく捉える。本人の熱情とは対照的に冷め切った周囲の反応。そして、一生最後・最大の芝居として用意周到に備えてきたが思わず現実に裏切られる皮肉。

私は、三島の割腹事件の後に生まれた。もちろん三島の事はリアルタイムでは知らない。三島作品というのは、高校生のころはいまいちぴんと来なかった。というか、読まなかった。せいぜい、島田雅彦と浅田彰が「三島の割腹事件のとき何してた?」とか雑談していたのを読んだくらい。しかし、ネットで憂国忌についてのレポートなどをどこかで読んだのだが、三十年以上経った今でもますます盛況のようだ。日本文学を学ぶようになって自分でも三島の作品をいくつか読んでみた今は、やはり今の日本人として「ミシマをどう思うか」という問いには答えられなければならないような気がする。三島が切腹することで、なにが死んだのか、そして何が生きながらえることになったのか、と。それは、エキゾチックな日本を見たい・知りたいアメリカ人のまなざしに応えるということではなくて、いまの日本にある、身近な何かを再確認する契機になりそうな気がするからだ。そう、ちょうど村上春樹がプリンストン大学の図書館でせっせとノモンハンの井戸を掘り続けたように。

【追記 04/11/23】このエントリ、読み直してみると肝心のことが書けてないような気がします。ブログの記事を書きながらある事柄について「書きにくいなあ」と思うのは、結論がわからずに書き始めて、書くプロセスで模索したのだが結局答えが出なかった、という場合と、書きたいと思うことは何となくわかっていながら、それをどう書いていいかわからない場合とあると思うのですが、このエントリは後者のケースだと思います。その点、finalventさんの三島についてのエントリは参考になります。結局、三島の死が表象する「日本」とは何なのか、ということなのでしょう。この辺の話を始めると話が救いようもないほど錯綜して手に負えないという反面、少しずつほどいていく努力も必要だと感じています。ともあれ、もう少し勉強します…。

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11月25日は憂国忌。とは言いつつすっかり忘れていたのを、むなぐるま氏のブログが [Read More]

Tracked on Nov 23, 2004 3:17:38 PM

Comments

また失礼致します。
私は、むなぐるま様の授業で、どのように教えているのか、また学生からの反応はどういうものか、そして生徒の質問にどう応えたのか、非常に興味があります。


現実的に日本で日本人の間で三島を話題に出すことは難しいかと思います。私も一度もありません。それが良いことか悪いことかはわかりません。

一度日本で、日本文学を勉強しているというアメリカ人(40歳くらいでした)と話をした時に私が「三島とか昔よく読んだ」といった途端、急に怒り出して「あんなファシスト!」と言ってその後の会話が出来なくなったことがあります。

一方、私の知り合いで村上春樹が大好きというモスクワ大phdのロシア人がいて、日本文学に興味あるから何か紹介してくれ、と言われて、ノーベル章の川端と大江、それから三島を紹介したのですが(三島については一杯言い訳をしました、政治的な意味で薦めたわけではないと)、三島を凄く気に入って、一ヵ月後くらいに会った時に、英語化しているものほとんど読んでおり、映画も見ていました(むなぐるま様のblogで初めてどういう映画かわかりました、日本にないのですね)。三島がいかに良いかをトルストイと最近ピアノコンクールで大賞をとったピアニストとを引き合いに出して説明してくれ、私には全くわかりませんでした。ただ、私が、「三島は日本で最も優秀な作家の一人だと思うよ」といったら、その人は「いや違う」と、「世界で最も優秀な作家の一人だ」と言い直ししたのが印象に残っています。


長くなりましたが、要は、どう三島を理解するか、その文学を、その行動を、どう理解するか、もう一段踏み込んだお話をおきかせいただければ幸甚です。失礼致しました。


Posted by: mt | Nov 26, 2004 11:30:14 PM

はじまめして。ドイツから書き込みます。

今週の木曜日、うちの学科(日本学科)の学生たちが主催する日本映画上映会で「ミシマ」をやりました。最後にテロップが出て、1970年11月25日という事件の日付に仰天した次第です。そう、まさにその34年後の「憂国忌」にあれを見ていたわけです。企画した学生たちはまったくその日付については知りませんでした。そしてその後ネットを徘徊していたら、むなぐるまさんが全く同じ体験をされていると知り、なんとも不思議な気持ちになりました。

私自身は三島をほとんど知りませんが、うちの主任教授の女性(ドイツ人)は授業で三島を扱っています。ちなみに私はあの事件のとき14歳、中学校から帰宅すると、自衛官だった親父がとんでもないことが起きたと事の次第を話してくれたのを覚えています。

と、毒にも薬にもならないコメントで失礼します。

Posted by: 焼きソーセージ | Nov 27, 2004 8:37:55 AM

コメントありがとうございます。
> mt さん
前授業で『憂国』を読ませたときは、強烈に拒否感を覚えた学生がひとりいましたね。台湾生まれの学生でしたが。三島の美学とナショナリズムのつながりを感覚的に理解できる学生がそういう反応を示すのはわかる気がします。ただ、三島のような存在を無視して自分の好きな「日本」だけとつきあうわけにはいかないから、まあ納得はいかなくても理解の努力はすべきだとは言ってます。
 三島をどう理解するか、というのは、自分の専門にも関係あるし、個人的にもいろいろ考えさせられる大事な問題なので、さらっと書いてブログで発表するという質の問題ではないかな、と。(正直、これは私にとってはウクライナ情勢などよりずっと大事な問題です。)ま、そういう意味ではこの前みたいな、ちょっとかすったような書き方で良かったのかなと今は思っています。この件はもう少し考えてみて、何か考えがまとまれば書きたいと思います。すみません。

> 焼きソーセージさん
ドイツからいらっしゃいませ。三島が絡むと、何か見えない糸でこうなってるのかとかつい考えちゃいますよね。それとか、三島の生まれ変わりが転生してどこかに居るんじゃないかな、とか。なーんてね。

Posted by: むなぐるま | Nov 27, 2004 1:06:49 PM

(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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