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アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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January 04, 2005

新年に:(1)第一の祖国への片想い

皆様、明けましておめでとうございます。私がこのブログを始めてちょうど1年になりました。このブログをやっていて良かったと思うのは、私が日頃思っていることを発信する場を与えられたこと、そしてこのブログを通して多くの人々に出会えたことです。ご愛読感謝します。

さて、この数日、新学期の授業の準備や大きな研究発表の準備などをしていて、とてもブログのほうにまとまった時間がとれない状況が続いている。この状態は今月いっぱい続くと思う。
 そんなわけで、新年早々盛況なブログ界隈で静観を決めこんでいたのだが、ひとつだけどうしてもコメントしておきたいエントリがあった。

第2の祖国(小さな目で見る大きな世界)

このブログ、前にも紹介した通り、standpoint1989さんが豊富な知識・見識を背景に歴史・文明論・時事評論などを展開しておられる。「おまえのいうことには賛成はしないが面白くはある」と評されることが多いそうだが(私も含めて・笑)、それは氏の文章の質の高さを裏付けているとも言える。意見が同じ人を説得するのはたやすいが、意見が違う人をも先入観を越えて読ませ、説得させられる(説得させられかける)ということは、文章の力に寄るところが多いからだ。
 しかし、このエントリについては、特に「世界各国に散らばっているブロガー」について向けられたものであり、その一人としてお答えしたいと思う。

standpoint1989さんの論旨は本エントリを読んで頂くのがよいが、主張を簡単にまとめると、海外在住の日本人は、住んでいる国の「一般的な考え方」に影響されるあまり、日本の国益というような視点が欠けてしまうのではないか、ということになろうか。

私の最初のリアクションは、正直、「またか」というものだった。海外在住の日本人は、アイデンティティを失い、要するにその国の考えにかぶれてしまっている、という見方は、ひとつのステレオタイプとしてある。私自身アメリカで長期滞在を始める前にはそう考えていたから、それはわからないでもない。しかし、当事者から見れば、このような見方を海外在住の日本人にあてはめるのは安易だと思わざるをえない。このような発言が出てくるシチュエーションを考えると、内容はほとんど関係ないのでは、と思うこともある。それは、一度このような枠の中で見られてしまうと、はめられた方はなかなか抜け出せないやっかいさがある、ということでもある。いつもはシャープな論理展開をするstandpoint1989さんなのだが、このエントリに関して言えば、前半でエピソード的に紹介される海外在住者の現実と、後半で勧められている「国益」中心の考え方の議論とがどうもしっかりと接続しない。

standpoint1989さんは、例として、アメリカ在住の日本人で「アメリカ的な宗教原理を背景とした保守主義」に共感を覚える人、というのを挙げている。これは私のブログのことを指しておられるのかな、と想像する。(そうでなければ失礼)確かに、私は一連の米大統領選に関するエントリで、「宗教右翼」の影響力というのが、メディアで喧伝されているほどに大きくないというポイントを強調した。町山氏とのやりとりもその辺りが焦点にはなった。しかし、それは、「宗教右翼」に共感を覚えているというわけではない。むしろ、私はアメリカのクリスチャンには違和感を覚える。(内村鑑三の『余は如何にして基督教徒となりしか』を読めばわかるが、日本人であることと、アメリカのクリスチャンの内実には本質的に相容れないものがあると思う。)

では、なぜ、日本人の多くの先入観に反してそんなエントリを書いたかというと、まず、日本のマスコミでは、アメリカの大統領選挙に関して、アメリカの庶民の実態について冷めたところで分析しようとした記事がなかなか見られなかったこと。日本のマスコミは、基本的に反ブッシュの色眼鏡で現象を見ている記事が多く、これでは現実的な視点がみられないと思ったのだった。「国益」ということでいうならば、ブッシュ氏が51%の得票率を得るアメリカ合衆国という国の実態を冷静に見つめるということこそ、現実的であり、国益にかなった判断をするための基礎的な資料となるのではないだろうか。その点で、もし私のブログが住んでいる国の「一般的な考え方」に影響されているとするなら、町山氏のブログも、いわゆる民主党支持者のtalking pointsを受け売りした記事が多かったように思う。その意味では、町山氏のブログこそ住んでいる国の「一般的な考え方」を反映したものではなかったか。私がそれに対して実際に「宗教右翼」がこの選挙を左右したのかどうかを検討することの何が悪いのか、という気がする。

もうひとつ、大統領選以来しきりに強調した「対話」ということなのだが、他の国籍・社会・文化の人々に「異質なもの」を見るならば、その人々たちと共通の基盤を見つけ、対話の言語を切り開いていくことがいっそう重要になってくると思われる。北朝鮮の指導者たちは「対話」が成り立つかどうかのぎりぎりのところにあると思うが、日本にとってアメリカは良くも悪くももっとも重要な外交相手ではないのか。対話の空気が希薄になりつつある現在だからこそ、誰かが共通の基盤を探る作業をしなければならないと思う。それは誰かがしなければいけないことだからだ。

海外に長く住んでいると、日本への思いというのはなかなかわかってもらえないことが多い。アメリカに住んでいると言うだけで、どうせ好きでやっているんだろうとか、物質的に豊かな暮らしに慣れてしまったのだろうとか思われているのだろう。それは、こちらで知り合った日本人に限らず、家族や友人にもそう思われているのかもしれない。しかし、それは必ずしも正しくない。まず、日本社会は、私のように海外で教育した者は「アウトサイダー」扱いだから、この時点で日本社会に復帰することには余計なエネルギーを費やすことになると思う。また、私なりにアメリカでニッチというか、なすべきことを見いだしつつある、ということもある。たとえば日本の研究者がアメリカに来て、言葉の問題と言うよりは文化・学問の習慣の問題で浮いてしまうような状況を何度も見て、そのような現状をここからでも変えられれば、と思っている。それは、私がこれから仕事をしていく上で根幹となりうるものだ。しかし、そのような現実、また想いは日本に住んでいる人にはなかなか伝わらない。

私のアメリカ生活も長くなった。現地の多くの人々にお世話になったし、私のアメリカが「第二の祖国」になりつつある、ということは否定しない。しかし、私にとっては、「第二の祖国」が「第一の祖国」(こなれない言い方だが)に取って代わったわけではないし、それはこれからも変わらないと思う。しかし、「第一の祖国」への想いは片想いなのかなと思うことは多い。一見「第二の祖国」を抱えていそうな人に出会ったら、その人の「第一の祖国」への想いに想像力を働かせてみてほしいと思う。その「第二の祖国」という、派手で大げさな看板の背後にあるものを。

この点について、私の専門に関わることでこれだけは言っておきたいということがあるのだが、これはエントリを改めて書く。

【追記】このエントリをアップした直後にstandpoint1989さんのところに新しいエントリが。ちょうどすれ違いで妙なシンクロニシティだなと思うのだが、読んでみると我が意を得たりという気がした。このエントリに書かれている内容は杞憂なのかもしれないということを記しておく。

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(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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