むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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February 26, 2005

若手官僚、留学後の退職多発

若手官僚、留学後の退職多発…費用返還ルール作り悩み (読売)

 入省8年未満の若手官僚を2年間、海外の大学院などに留学させる「行政官長期在外研究員制度」は、行政の国際化に対応する人材を育成する目的で、1966年に始まった。
 2004年は129人が派遣され、制度開始からの派遣者は1910人に達している。
 しかし、90年前後のバブル期のころから、留学後、数年以内に退職する官僚が増え始めた。人事院によると、98年から2002年までの5年間に派遣された506人のうち、2004年10月現在ですでに45人が辞めている。
 退職者の所属は総務省が11人で最も多く、経済産業省、農水省、国土交通省なども目立つ。外資系企業のヘッドハンティングを受けたり、家業を継いだりと、事情は様々だ。「バブル期は企業の引き抜きが多かったが、最近は『官僚に魅力を感じない』という理由も多い」(人事院関係者)という。

是非はともかく、こういう実態は多くの人が知っていた方がいいんじゃないかなあ。

そもそも若手官僚に海外留学をさせたりして、お金と時間をかけて人材を育てるというのは、その後も長期で勤めるという前提があってのことだが、若い世代の官僚にしては、国家公務員としての特権として受けるものは受けて、明文化されている義務を果たしたらさっさと辞めるというドライな感覚に変わってきているのだろう。そういうつもりだったら、雇う側も、留学先の斡旋をしたり制度的には優遇しても経費は自腹でするか、留学後に何年か勤務するという念書を書かせるとか(奨学金ではそういう制度はありますね)どんどん切り替えていかないと。また、終身雇用の前提が成り立っていないという問題についても、有為な人材は実力主義で中途採用できるようにするとかしていくことも必要だと思う。

官僚で米国の大学院に留学している人は何人か知っているが、最近は普通の留学生と変わらない感性の人が多いと思う。いい意味で実力主義だし、国というバックアップがなくても十分生き残っていけるというか。そういう優れた人材には是非官僚として残っていただきたいのだが、逆に、国家公務員をステップアップのための仕事の一つとして捉えているんだったら自腹で留学した方が楽なんじゃないのだろうか? いっぽう、留学を特権として捉えている人々の話もいくつか聞いた。毎週オペラ観に行ってましたとか。そういうのは私にしてみれば言語道断である。(私のように、民間の奨学金+自費で留学した者にとっては、こういう人達に対しては厳しい目を向けざるを得ない。)それに、官僚の皆さんも世の寒風にさらされる時があってもいいんじゃないの? 

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February 23, 2005

iPod mini と iPod Photo がアップデート

ほぼ予想通り。(macrumors.com) 

アップル・ジャパンのサイトはこちら。(iPod mini / iPod Photo

iPod Mini
- New 6GB Model. $249
- 4GB Model. $199
- Up to 18hrs Battery Life
- 4 Colors (Goldが消えた模様)

こちらの目玉はバッテリー駆動が18時間になったこと。4GBモデルは$200を切った。

iPod Photo
- 30GB. $349
- 60GB. $449
iPod Photoのほうは、3月に、カメラから直接データ記録できて、そのまま iPhoto にアップロードできるアダプタが発売になるとのこと。(詳細:macrumors.com)これで、撮った写真をその場でプレビューできる記録媒体として、iPod Photo がかなり使えるものになってきた。30GB バージョンの登場で、第4世代の iPod は引退という方向になってくるのだろう。

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February 19, 2005

飽きてきた。

あちこちで、私の「リベラルブロガー」論に関する一連のエントリが、「今評判の…」とか、「今話題になっている…」というような枕で紹介されているようなのだが、そんなに話題になってるのだろうか。たまたま皆さんが巡回しているブログで同時多発的に話題になっているのでそう見えるだけなんじゃないかと。【追記:とか言って私自身、このエントリでは「いろいろなところで反響を呼んでいるようです」と書いたわけですが。まあそんなに「今話題の…」と言われるほどではないのではないかと。】私のブログのここ数日のアクセス数もせいぜい普段の2倍くらいで、米大統領選挙の前後、typepadの容量を超えそうになって困っていた頃には遙かに及ばないし。それとも、この話題はとりあえず「自分はそんなに関心はないんだけどね」というジェスチャーを見せつつ、核心部分はスルーして、それでも傍観者的に絡んでコメントしたい種類のトピックなのだろうか。それに、「理性的な人たち」はみんな「ネット右翼」とか「リベラルブロガー」とかいうラベルには実体がないという点で合意しているらしいし。なんだか面倒くさくなってきたな。

結局のところ、SOUL for SALE のこのエントリが指摘している通り、「ネット右翼」に実体があるか、という問いは、ネット言論がリアル社会にどれだけインパクトを与えているのか、という大きな問いにつながってくるのだろう。日本はともかく、アメリカでは進行形だが大いにあると言っていい。ブロガー向けの広告 blogads も定着して久しい。また、今年に入ってNew York Timesの動向が非常にあわただしい。ポータルサイト About.com を買収したりしているし、新聞記事自体にもブログを意識したものが今年に入ってからはほぼ週2〜3本のペースで出ているような印象がある。この週末だけとっても、今日(土曜)もPodcastingについての記事が出たし、明日付の記事にはグーグルの社員が社内事情をブログで明かしたという小話をレポートしている。私も、こんな与太話を書くよりは、今年に入ってからのNYTのブログ記事をひとつひとつ検証しながら、大手メディアとブログの距離感覚を実証的に追っていく方が有益なのかもしれないとは思っている。とまれ、最近のNew York Timesのブログに対する意識過剰ぶりはかなり面白い。また、戦争を止められるかどうか、という問いも、去年のハワード・ディーンの盛衰、また、夏場の「高速艇退役軍人」の話をみれば、ブログは人を辞めさせるだけではなく、選挙戦の帰結に影響を与えたことは疑いないだろう。それで、こういうアメリカの状況を横目で見ながら、「では日本ではどうか…」とかいう話が去年の末頃の「論壇系ブログ」云々の話だったわけで。で、結局日本ではまだまだとかいう話だったんだよな。ああ、既視感ありあり。

また、日本とアメリカの現在の政治思想的な状況を比較した場合に、アメリカのほうが、2004年の大統領選挙を経てますます「リベラル対保守」という対立的構図が深まっているという事情もあるのだろう。(それがブッシュ政権の Red Statesを囲い込む政策によるのか、ラディカルに左傾した民主党のせいかはここではおく。)そういうなかで、たとえばInstapunditほどに影響があるハブサイトが中立でないのはまずいんじゃないとか、Kosがリベラル最大のブロガーというのはどうよ、とかいう話はアメリカのブログ界隈では時折出てくる話。もちろん、9/11以来「リベラル/保守」というラベル自体が大きく再定義されているというのは、「ネオコン左翼」クリストファー・ヒッチンスがイラク戦争を支持したり、「アイソレーショニスト」パット・ブキャナンがイラク戦争に反対していることなどに端的に現れているわけで、9/11以前の歴史も重要だが、その後の状況をきちんと再検討しないといけないわけだが。ともあれ、この話題も急速に飽きてきたので別の話題に。

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マツケンサンバがNew York Times(オンライン版)フロントページに

何ともシュールな…。ちょっとショックでした。

Matsuken Nyt-1

記事のほうは、おなじみのノリミツ・オオニシ氏。「マツケンサンバは、日本の変わりつつある男性像を反映している」とか書いているが、大衆演劇のショー形式の歴史的な解説など、きちんと調べて書いている。結びには、松平健の言葉として、「こういう時代には、サンバしかない!」という言葉を引用している。

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ハーバード大学の総長が「女性科学者」発言で窮地に

今頃になってマイアヒーがぐるぐる(挨拶) (参考

ハーバード大学総長のローレンス・サマーズが、自然科学の分野で活躍する女性が少ない理由について持論を展開したところ、強烈な反論にさらされている。この発言自体は1か月以上前のある学会での発言なのだが、つい数日前に大学側が圧力に負けて発言全文を公開、波紋が広がっている。
 リベラル系のAtriosは、「実際の発言は報道されていたのよりもずっと、ずっとひどいな」とコメント。リベラル・フェミニスト系のブロガーでは激怒している人も。一方、Andrew Sullivanは、彼が辞任したら大学という理想、研究の自由に対する脅威になる、と危惧している

 問題になっている部分を、オリジナルと私訳で引用しておく。

It is after all not the case that the role of women in science is the only example of a group that is significantly underrepresented in an important activity and whose underrepresentation contributes to a shortage of role models for others who are considering being in that group. To take a set of diverse examples, the data will, I am confident, reveal that Catholics are substantially underrepresented in investment banking, which is an enormously high-paying profession in our society; that white men are very substantially underrepresented in the National Basketball Association; and that Jews are very substantially underrepresented in farming and in agriculture. These are all phenomena in which one observes underrepresentation, and I think it's important to try to think systematically and clinically about the reasons for underrepresentation.

There are three broad hypotheses about the sources of the very substantial disparities that this conference's papers document and have been documented before with respect to the presence of women in high-end scientific professions. One is what I would call the-I'll explain each of these in a few moments and comment on how important I think they are-the first is what I call the high-powered job hypothesis. The second is what I would call different availability of aptitude at the high end, and the third is what I would call different socialization and patterns of discrimination in a search. And in my own view, their importance probably ranks in exactly the order that I just described.

科学界における女性の役割というのは、ある重要な役職において特定のグループの占める割合がかなり低いため、そのグループに属する人が目標と出来る人々(ロール・モデル)が少ない、というケースのたった一つにすぎない。いくつか例を挙げると、データが示すようにーーそういうデータがあると確信しているーー我々の社会では非常に年収の高い投資家という職業にはカトリックの人々が少ない。NBAには白人選手は少ない。ユダヤ人で農業に携わる人は少ない。このような、あるグループの割合が低い例があるわけで、その理由を系統的に、臨床的に考えることが重要なのだ。

最高レベルで活躍する科学者に女性が少ない原因について、この学会における論文、また過去の研究によると、大きく3つの仮説がある。それぞれについて順番に説明すると、まず、一つ目は「上級職仮説」[訳注:結婚して子供もいる女性は、高い時間や労力を要求する上級職に就きたがらないのではないか、という説]っである。第2には、高度な仕事に必要な適性の問題[訳注:生物学的その他の理由で、女性には科学に向いていないという説]、そして第3には、社会的な役割づけ、あるいは就職における差別など[訳注:要するに様々な社会的要因]などがある。そして、私見では、この3つの理由は今挙げた順に重要度が高いのだろうと考えている。

要するに、女性の社会進出【追記:特に学内での性別による差別をなくすこと】に責任をもつべきはずのハーバードの総長が、女性の科学者が少ないのは、社会的な差別の構造という理由よりは、まず女性がそのようなきつい仕事を求めないこと、また、生物学的に女性に科学は向いていないことという理由のほうが大きいのではないか、と発言しているわけである。

こういう発言が出てくると、とにかく男女平等の見地から、「生物学的な要因などと言うのは社会的な差別を正当化するもので認められない」という公式的な反論が出てくるのが目にみえるようなのだが、男女の性差、特に専門職などに対する適性などが、生物的な要因によるものか、社会的な要因によるものかというのは、アメリカでもはっきりした研究結果が出たわけではないのではないだろうか。こう書くとあちこちからいろいろ飛んで来そうなのだが、私はこの議論そのものについては専門外なのでどちらがどうと判断することはできないと言っておく。むしろ、この発言でサマーズ氏の首が危なくなるというのは、ちょっとどうかとは思う。この発言を見る限りでは、女性はどう頑張っても科学者になれないと言っているわけでもないし、差別的発言をしているわけでもない。大学という場所では、言論の自由、思想の自由というのは、左右構わず守られなければならない、という見地に立つと、これが「失言」と見なされて辞任に追い込まれるということになったら、アメリカの大学という場所も窮屈になると思う。

一方、ある職種において人種・性別によって割合が異なるということは事実としてあって、それが社会的にいろいろな意味合いを持ってくるというのは、アメリカにおいては見逃せない事実。私だって、「あなたは英語のネイティブ・スピーカーじゃないからアメリカでは大学で就職できません」とかいわれたらイヤだろう。特に、大学という場の特性もあって、むしろネイティブ・スピーカーじゃないことによって教育・研究に寄与できることもありますよ、と言いたくなる。そういう意味では、大学にいろんな人がいた方がいいわけで、女性の科学者には、ブラック・クォーターバック同様がんばれと言いたい。(そういえば、この前のNFLのオールスター・ゲームであるプロ・ボウルでは、NFCのQBがマクナブ、ヴィック、カルペッパーと3人とも黒人だった。3人で並んで撮った映像が印象的だった。

【追記】Washington Postの社説(2/19付け)では、サマーズ氏の発言を詳細に検討しながら、「この件でサマーズ氏が辞職に追い込まれたら研究の自由に対しての脅威となる」と結論づけている。また、過去のサマーズ氏の学内政治における発言(アフリカ系アメリカ人研究学部との対立、終身雇用制度の再検討、学内の反イスラエル運動に対しての発言)などを挙げ、過去に対立した教授がこの問題を通してサマーズ氏の首を狙っている可能性についても言及している。

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February 18, 2005

論壇系ブログの方法分析:「カルト形成型」か「リンク・ハブ型」か

Battle for the Blogosphere (JustOneMinute)
「圏外からのひとこと」で紹介されているのをkagamiさんが教えてくださった。2ちゃんねるのあるスレに抄訳が出ている。このエントリの筆者が私の最近のエントリを読んでいるはずがないので、奇妙なシンクロニシティではある。まあ、日本では朝日・NHK事件、アメリカではCNNのジョーダン氏辞職など、ブログが活躍する目立った事件があって、その理由を考察するコラムが書かれているということなのだろう。

この記事はたしかに面白い。

この記事について、「圏外」さんは「カルト形成型」「リンク・ハブ型」(オリジナルでは "The Hive" (蜂の巣)vs. "The Pack" (オオカミの群れ))の対比に注目しているが、私が興味を持ったのは、リベラル系大物ブログには前者が、保守系大物ブログには後者が多いのはなぜか、という分析の部分。記事の上の方でリンクされている、U.S. NewsのMichael Barone氏(記事)によると、リベラルブロガーがブッシュ大統領への憎悪を煽ったのに対し、保守系ブロガーは「大手メディア」を攻撃し、結果、民主党はさらに左寄りになり、大手メディアの信頼性が失われた。両方ともブッシュ大統領を助ける結果になっているというのは興味深い。

また、保守系コラムニストのJonah Goldberg氏(記事)によると、リベラル系ブロガーの問題は、大手メディアがそもそもリベラル寄りのものが多いので、メディア批判をするためには、Fox Newsのような保守系メディアに集中するか、大手メディアを左から批判するしかない状況になっていると。この説は、もちろん「大手メディア」がリベラル側に偏向しているという前提を受け入れなければならないのだが、「リベラル」系大物ブロガーがNew York Timesよりも更にリベラルで、大きな視野に立つとかなり極端に見えるのに対し、「保守」系大物ブロガーはNew York Timesより保守で、むしろ中道的なスタンスに見えるという現状をよくつかんでいると思う。

この点に関連して、muse-A-museさんは

ラザーゲートとかイーソンゲートってのは保守系ブロガーがリベラルの失態に対して重箱つつき緻密に事実を調べ上げていってひとつの結果を出したっていう面からみると「ウヨ/サヨ戦争におけるウヨの勝利」ってことのメルクマールってことになるんだけど、同時に「ジャーナリスト vs. ブロガー」って側面もある
で、2つのゲート事件に対して 前者の視点では、「ウヨ vs. サヨ」における事実性をめぐった同一条件での争い ⇒ ウヨの正当な勝利(殊勲)、って感じになるんだけど 後者の視点に立つとやっぱバイアスっていうか・・なんか変な力み(あるいは妬み)みたいなのがあるのかなぁ、って感じになる

と指摘していて、そういう意味では、一連のブログ「炎上」やら大物ジャーナリスト辞職などの事件を左右の対立として捉えることじたいある種のバイアスなのかもしれないが、別の言い方をすれば、大手メディア攻撃というゲームは、保守系が得意なゲームであって、結果としても保守系を利する、という認識はリベラル系にもあると思う。(例えば、リベラル系Washington MonthlyでのKevin Drumのこのエントリなど)

JustOneMinuteの記事に戻ると、この記事で保守系のハブサイトとしてあげられているのが、Instapunditなのだが、このサイトは、確かに「ハブ」的な役割を効果的にこなしていると思う。私が「日本のリベラル系ハブサイト」などと書いたのも、日本の左派のほうでこういう感じのサイトがあればいろいろ便利だなあと思ったからという理由もある。(現に、アメリカのリベラル派もInstapunditを通して保守系の情報を入手しているようでもあるし。)

Instapunditの特徴を挙げると、

• 長尺のエントリもあるが、ほとんどのエントリが短く、出所と大まかな論旨やキー・ワードのみ。
• 感想も、"Heh." (「(笑)」) "Indeed." (「その通り」)"Read the whole thing" など、むしろ省略しすぎと思えるほど。(これらの彼の口癖はけっこう真似されたりしていて、Heh. Indeed. というブログが出来たりした。)
• 他のブロガーの紹介が多く、Althouseなど、多くのブロガーがInstapunditを通してブレイクしたりしている。
• コメントとトラックバックがない。そのため、読者はサイトのコメント欄に居残る代わりに、他のサイトへと流れていく。

など。(2ちゃんねるの訳者の言葉を借りれば)訪問者の流れを止めて「ロックコンサート」や「カルト」的状況を創り出すのではなく、訪問者のフローを制御するだけ。しかし、それによって、リンクされた中堅ブログが育っていくという側面がある。この記事(Marginal Utility)によると、Instapunditを中心に、まとまった数の大手ブログが「組織化」されてくるのに対し、リベラル系では、あるブログが「ブレイク」するのは、偶然のファクターの大きい「自己組織化」による場合が多いと指摘している。

振り返って日本の状況を考えるに、ざっくり一般化して言うならば、日本のネット言論が、右派の場合は朝日新聞や「ニュースステーション」「News 23」などの大手メディアへの対抗言論として育ってきたのに対し、左派の場合は既存の団体を補完するメディアとして起こったということはいえるかもしれない。その結果、右派のほうは、ネットを個人をつなぐハブとして使う技術やレトリックを発展してきているし、また、「また朝日新聞か」というようなある種のコンセンサスを形成している。しかし、左派でも組織化した「左翼」ではなく、大学人や在野の左派言論に共鳴する人達などのネットワークというのは、まだ「自己組織化」の初期段階なのではないだろうか。

最近のエントリでずっと「リベラル系のハブがない」と嘆いてばかりいたのだが、実は成城トランスカレッジ!をよく読んでいたりする。いわゆる左派の講演記録やらインタビューやらが多く紹介されていて、情報収集に役に立つ。このサイトのフォーマットは、instapunditによく似ているかもしれない。私としては、ブログが、ものを考えたり、議論したり、違う意見の人達との対話を促進したりするツールになりうるのか? というところに興味があって、特に、違う立場の人と落ち着いて議論したり対話したりすることはできないかなあと思っているので、そういう意味では左派でも右派でもブログ文化がもっと成熟して欲しいと思っている。

最後になるが、前の一連のエントリでは日本の「リベラル系」という表現を使っていたが、やじゅんさんkagamiさんが指摘しているように、アメリカの保守対リベラルという構図をそのまま日本に当てはめることの問題というのもあるような気がする。私のアメリカ英語の語感では「右翼」・「左翼」というとかなり敵対的で「極端な思想の持ち主」という感じがするが、「保守」「リベラル」という言葉は、左右の対立軸を意識しつつもそれぞれの良いところを尊重した呼び方だと思うので、その語法を日本の事情にあてはめただけ。ラザーゲートや朝日・NHK事件のようにアメリカと日本の状況にパラレルがある可能性はそれとして、日本の思想状況はもちろんアメリカと異なるし、左右の思想的対立軸の歴史的・文化的背景については当然検討を要する。そんなこともあって、このエントリでは「右派」「左派」とした。でも、思想としてのリベラリズムが日本の現在の政治・思想状況でどういう意味を持つか、というのはとても重要な問題だと思う。「極東ブログ」のfinalventさんや「おおやにき」のおおやさんがブログでやっている仕事というのはそのあたりに関わるものだと思うけれど。

【追記 2/19/05】「絵文録ことのは」でJustOneMinuteの記事の全訳が掲載されています。お疲れ様です。

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February 15, 2005

ネット右翼とリベラルブロガー:とりあえずリンク集

先日来の「リベラル派のハブサイト」に関するエントリ(ここここ)には、かなりいろいろな所で反響を呼んでいるようです。何か議論を深めるきっかけになったのならば幸いです。この議論をベースにさらに深めたいところなのですが今仕事が大きなヤマでして、とてもお返事できません。ですが、議論が熱いうちに、ということもあり、とりあえず言及・リンクいただいた主なブログ・エントリへのリンクをまとめておきます。だいたい時系列順です。

finalventの日記:2005-02-10 WP Online Reporter Quits After Liberals' Expose
セカンド・カップ はてな店:リベラルを叩く
pantomimeの日記@隠棲準備中:ネット右翼について
愛・蔵太の気ままな日記:[ネットの話題]ネット右翼
Silly Talk: 実はどっちもどっちなんだけど
news_from_japan:リベラル派にとってのblogの役割とは?
悪魔のうたたね、天使の寝言:リベラル思想のコモデティ化~リベラルは当たり前で陳腐
圏外からのひとこと:日本にリベラル系のハブサイトが無い理由
小さな目で見る大きな世界:リベラルの不在、保守の不在

また、直接言及されてはいませんが参考までに。
数学屋のメガネ:何が助け合いか

他にも私の知らないところでこのトピックに言及されているサイトがあれば、コメント欄ででもお知らせ下さい。

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February 14, 2005

Bull****の哲学

A Princeton Philosopher's Unprintable Essay Title (New York Times)

秀逸。
記事に引用されている一節から。

"One of the most salient features of our culture is that there is so much [bull]. Everyone knows this. Each of us contributes his share. But we tend to take the situation for granted. Most people are rather confident of their ability to recognize [bull] and to avoid being taken in by it. So the phenomenon has not aroused much deliberate concern, nor attracted much sustained inquiry."

記事では、"[bull]" と "lies" は違うという議論が紹介されている。すなわち、"lies"は真実に明らかに反するもので、われわれはそれに怒りをもって反応するが、ウソをつく人は真実を意識しつつもあえてそれに反しているぶん、真実に関心がある。しかし、"[bull]"は、真実もウソもなく発せられるのだから、われわれはそれにさまざまな反応をするのだという。
 何でも、現プリンストン大学名誉教授の著者がこのエッセイを書いたのは20年ほど前で、著者のエッセイ集に所収されていたが、アングラで根強い人気があり、このたび「単発のエッセイで出版しませんか」 と声を掛けて出版に至ったとのこと。
 哲学というのは人間の根本問題を扱う学問なのですが。まじめにこういうシリアスな問題に取り組んでいる哲学者をほめるべきか、こういう素晴らしいネタ哲学者を見つけてくるNew York Timesをほめるべきか。
本の情報はこちら。

On Bullshit
Harry G. Frankfurt



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本のリンクを右の"Featured Items"にも貼っておきました。

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February 12, 2005

リベラルブロガー論:追記

前のエントリに自己レス。長くなったので独立エントリとする。
 こういう記事を書いたのには、「もし『リベラルブロガーのハブサイト』というのがあるとしたら教えて下さい」という情報収集の意図もあったわけだが、あちこちTBやリンクされたサイトを見てもなかなかないようだ。もちろん、掲示板、MLなどで左翼系の情報が集まるところはいくつか知っているし、Academia RSS Projectのようなところもあるが…。ブロガーで、一般向けにリベラル系の論点をまとめてくれるようなサイトはないのかなあと思う。「暗いニュースリンク」はアメリカ左翼の言説をそのまま翻訳しているようなサイトだもんなあ。批判という意味ではなくて。それとも、他に多く指摘されているように、ハードコアな反日左翼が穏健なリベラルを圧倒して、一般人的には近寄りがたい状況になっているということなのだろうか。

 それから、あちこちのブログで「ネット右翼」の存在について議論が出ている。ま、一般のネットユーザーやブロガーに保守的な人々が多いように見えるのは、リベラル寄りである大手のメディアがあまりにも酷い現実に対する異議申し立てという側面があるのではないかと。ラザーゲートに代表されるように、アメリカも似たような流れはある。そのような現実は、「庶民の側に立つ」というタテマエのリベラル・エリートたちには何とも理解しがたいというか、裏切られたような感覚というのはあるのだろうが。もう少し現実を見て欲しいものだ。
 私の立ち位置は、というと、バックナンバーを読んで頂ければだいたいわかると思うのでここでは繰り返さない。まあ、右上に貼ってあるブルーリボンは一つの意思表示と取って頂いて構わないが。ともあれ、左右にかかわらず建設的な対話が重要であるというのはひとつ大きな原則として持っている。最近、記者や弁護士のサイトが「炎上」するケースがいくつかあったわけだが、もちろん、公人や朝鮮総連のような政治団体の動向についての検証・調査は意味があるが、一般人の個人情報を詮索して公開するのはどうかなと思う。そういう意味では、朝日新聞の擁護をする朝日新聞記者というのは微妙な立場ではあるが。まあ、インターネットは一部の人が想像するほど「匿名」ではないし、基本的に社会のルールがあてはまるというところで皆さんが自己責任で活動するしかないのではないか、というところが今の私の見解。

最後にもう一度だけ呼びかけ。運動家向けではなく、幅広い一般層・あるいは反対の思想の人々も読めるような形で、リベラル側の論点を簡潔に、論理的に、わかりやすくまとめている日本のブログサイトがあったら、ぜひ教えてください。つうか、リベラルな皆さんはどんなブログを読んでるの?

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ハワード・ディーンがDNC委員長に選出

民主党全国委員会(DNC)の委員長に、去年の米大統領選で旋風を巻き起こしたハワード・ディーン元バーモント州知事が選出された。

Democrats Elect Howard Dean as Chairman (ABC News)
他の候補が既に撤退を表明していたため、今日の選出は形式上のことといえる。

DNCとは、党としての選挙戦略・資金集めを担う組織であり、議会・州知事の外にあって党の顔ともなる存在。ディーン氏は、大統領選のときにインターネットを用いた小口・草の根の新しい選挙資金集めの戦略を編み出して勢いのある選挙戦を戦ったのだが、早くからイラク戦争反対を打ち出したり、かなり思ったことをはっきり言う癖がありかならずしも安心できる候補ではないという印象があった。そこで、アイオワ党員集会後の例の絶叫演説がテレビで何度も流れて大統領候補として抹殺された。

これからの民主党の方向性を見る上で、彼がDNC委員長という要職についたことの意義は大きい。
先の大統領選を振り返って、民主党の戦略として、必ずしも中道寄りに歩み寄る必要はない、という声がちらほらと聞かれる。ケリー氏のように、戦略的に幅広い層にアピールしようとして、結局「意見をコロコロ変える」というイメージを払拭できないよりは、思ったことをはっきり言えばいいのではないか、と。ディーン氏選出は、その流れを民主党全体の意思として表明したように思う。

Althouseの最近の記事で、2008年の大統領選にウィスコンシン州選出上院議員のファインゴールド氏を大統領候補に推す、というのがあった。この記事では、ブッシュ大統領、クリントン前大統領、そしてシュワルツェネッガー知事の3人を挙げ、それぞれ政策的な立ち位置も生まれ育ちもだいぶ異なるが、だれも幅広い有権者に訴える力を持っているという。(過去2回の民主党の大統領候補、ゴア氏、ケリー氏には確かにこの資質が欠けていた。)ファインゴールド氏は、上院でただ一人愛国法に反対したりと、かなりリベラルな投票歴を持つのだが、確かに思ったことをはっきり言うし、言ったことは実行する。全国的には、選挙資金規制法のマケイン=ファインゴールド法の起草者としても知られているから、いい意味での知名度はある。アルトハウス教授は中道なのだが、彼ならケリー氏よりはましな大統領候補になるのでは、と言っている。ちなみに、教授は共和党側の候補ではコンディ・ライス国務長官を推しているのだが。ライス国務長官、就任してまだ間もないが、アメリカのブロガーたちの間の人気は上々だ。

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February 09, 2005

日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか

NHK・朝日問題についてトラックバックを頂いた。

祭り、そして対話ということ(Silly Talk)
できるだけ多くの素材と、広い視野から語れるように(NHK番組編集問題・議論の交差点)

この1か月、猛烈に時間がなかった。今もあまりない。そういうわけで、NHK・朝日問題についてはあまりきちんと追うことが出来ていない。巡回するブログでも熱く語られているところがあったが、きちんと読んでいなかった。こうして少し距離を置いてみると、政治オタクかなにか(失礼)でもない限り、そういうあり方のほうが普通なのではないだろうかと思ったりする。その意味では、「議論の交差点」のようなまとめサイトはたいへん重宝する。管理人の方には、これからもご活躍を期待したい。

ざっと見出しを読んでみると、朝日を批判する保守側としては、朝日新聞の見解の矛盾を指摘する論証的な部分では、「鳴かぬなら 鳴いたと書いて すりあわせ」(@圏外からのひとこと)という対応ぶりという点でコンセンサスがあるようだ。いっぽう、最近は、慰安婦関係の集会の主催者と朝鮮総連の関係が明らかになり、こうしてこのタイミングで問題を蒸し返すこと自体に北朝鮮シンパの政治的意図があるのではと指摘されている。 この辺は、朝日新聞の過去の報道姿勢などをみて激しく既視感で、「またか」と思っていたのだが。また、「民間法廷」なるパフォーマンスに対する疑問を提起しているエントリも多い。こういうイベントはパフォーマンスであって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。

いっぽう、安倍氏や中川氏の政治的圧力を指摘するリベラル側は、「議論の交差点」のまとめによると、

リベラル系ブログは、「政治とNHKの関係」に絞って議論する例が多いが、総じて事実関係の確認が甘く、限られた情報のみで結論を断定してしまうものもある。良心的な専門家の中に、「言論の自由」「政治的公平」の概念について突っ込んだ議論が見られる。

ということのようで、そのあたりの議論としては「数学屋のメガネ」の一連のエントリなどが目につく。あと、「おおやにき」の大屋さんが絡んだやりとりなどがある。

振り返ってみると、保守系の議論の流れは、ひとつひとつの記事をきちんと読み込んでいないにしても、見出しを見たり流し読みしたところでだいたい話の流れがつかめていたのに対して、リベラル系の議論はきちんとフォローできていなかったように思う。これはなぜだろうか。私自身、情報の取り方が偏っている、ということもあるだろうが、「議論の交差点」を見渡しても、リベラル系の議論のポイントがうまくまとまったサイトというのはないように思う。これは残念なことだ。このサイトを見渡すだけでも、たとえば放送法の「公平原則」について、現在規定されていることの法的議論、法哲学的な観点、またこのような法的規制の未来(アメリカでは「フェアネス・ドクトリン」は80年代に廃止され、さまざまな視点のニュース番組が乱立する状況になっている)など、じっくり考えてみたい問題は多い。(たとえば、13Hz!のこのエントリでは公平原則の将来について論じている。)また、政治の言論に対する「圧力」という問題は、じつに微妙な部分を含んでいて、事実関係の洗い出し以上の議論が必要、というような議論には考えさせられるものがある。(そういう議論に納得できるか、という問題とは別に、安倍氏の事件当初の発言などを見ると、議論がそっちの方向に向かった場合の危険性を十分認識しているとは言えると思う。)

トラックバックを頂いた「Silly Talk」の記事のコメント欄で、左翼にしっかりした論客がいない事が問題だ、というのがあったが、論客がいない、というよりは、論点を簡潔にまとめたりする編集技術とか、レトリックを備えたハブサイトがないのではないだろうか。それに比べて、保守系のサイトは、そういう編集技術に優れたサイトが多いという印象がある。また、リベラル系のサイトを読むと、重要な論点はそこにはあると思うのだが、意外と「感性」とか「センス」とかに依拠した議論が目立つ。リベラル系の人達は自分の感性に合わない議論は拒絶しているのかなあ、という印象がある。これは、個々のサイトというよりは私のおおざっぱな印象なのだが。

アメリカ政治の問題について、リベラル系の動向を知ろうと思ったら、The Nationのサイトを見るとか、ブログではKos, Atrios, Talking Points Memoをざっと読むとかの方法がある。日本の場合はどうだろうか? 

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ブラック・クォーターバック

今年のスーパーボウルは、ニューイングランド・ペイトリオッツが24-21でフィラデルフィア・イーグルスを下した。
 このペイトリオッツというチーム、強いというだけでなく、あらゆる意味で模範的といえる。スターらしいスターはQBのトム・ブレイディくらいで、あとは全国区では無名の選手ばかり。しかし、緻密に、かつ相手の意表をつくように練り上げられた智将ベリチェック・ヘッドコーチのゲームプランを確実にこなす。今年のプレーオフでも、1シーズンTD記録を塗り替えたペイトン・マニングを擁するコルツ、ランプレイで相手を蹂躙してきたスティーラースを、相手よりひとレベルスマートなプレイを見せて意外な大差で撃破した。カネや知名度を渇望する、昨今の子供じみたプロスポーツの世界にあって、「チーム」を第一に置くこの選手たちは、誰もが応援したくなるといっていい。9/11後初のスーパーボウルで、選手紹介で個人ごとではなく「ペイトリオッツ」として全員一度に登場、有利と目されていたラムズを最後のFGで破ったのも印象深かったが、あれから4年の間に3回優勝したことになる。

そんなペイトリオッツなのだが、私はイーグルスが勝てばいいのに、と密かに思っていた。それはQBのドノバン・マクナブの存在だ。

 マクナブは、NFLでは数少ない黒人のクォーターバックである。アメリカン・フットボールというスポーツでは、それぞれのポジションごとに体型や運動能力などさまざまな適性が要求されるのだが、なぜか花形ポジションであるクォーターバック(QB)には白人が圧倒的に多い。他のポジションは白人・黒人・その他の人種が適度に混じっているのだが、NFLのレベルで黒人QBが目立つようになったのはほんのこの5年くらいのことだ。
 別に、黒人がQBをしてはいけないという理由はないのに、なぜ黒人QBが少ないか。誰もはっきりとは言わないが、スキル・知性が要求されるポジションで、黒人には向かないというステレオタイプが昔はあり、今もそれが尾を引いている、ということはあるのだろう。今そのような偏見を口に出して言うアメリカ人はほとんどいないわけだが、では、なぜ黒人QBが増えないのかと考えると、子供時代の現場で黒人の子供がQBをしたがるような環境がいろいろな意味でできていない、という辺りに落ち着く。黒人の子供がQBでプレイしたがらないというのは、コーチの大人の側に偏見があるのだろうか? それとも、子供の「文化」のなかで、黒人とQBが結びつかない、ということか。はたまた、子供たちが目指すべき「ロールモデル」たるべき黒人QBがいないためか。ともあれ、QBが、アメフトというスポーツの中で突出して知性を要求するポジションであり、そこに黒人選手がいないというのはある意味恥ずかしいこととして捉えられている、という暗黙の了解があると思う。そんなこともあってか、最近は、マイケル・ヴィックやスティーブ・マクネアなど、黒人QBも目立つようになってきた。

さて、昨シーズン(2003年)10月のこと、保守系ラジオ・パーソナリティのラッシュ・リンボウが、マクナブについて、「彼が過大な評価を受けているのは、リーグが彼のような黒人QBに成功して欲しいという、社会的な意味での関心があるためだ」と発言し、論議を巻き起こした。マクナブはシーズン当初不調気味で、なかなか結果が出なかったころだった。マクナブはあえて反論しなかった。リンボウは結局ESPNのコメンテイター役を辞めることになった。(Slateに、「リンボウは正しい」というコラムが載っていた。ったく。)NFLが、潜在的に黒人QBが少ないことを恥ずかしく思っている、という意味では、リンボウの言うことは間違ってはいないと思う。しかし、現在のアメリカには、リンボウの言っていることは許されない、という空気がある。現に、彼の発言は容認されなかったわけだ。

この発言を聞いて、最初はマクナブのような境遇を身近に感じることができなかった。黒人というのは大変なものだな、と。しかし、今この発言を思い返してみると、複雑な思いにとらわれる。まず、リンボウの発言を聞いて、カチンとくるものがある。リンボウなんて、そもそもラジオDJとして売り込むために保守路線を始め、その後にブレイクしたという、要するに商売のための言説をする人だから、そういう立場でマクナブの挑戦に水を差すというのも気に入らない。また、前に比べて、マクナブのような立場の人間に対する共感も自分の中に芽生えてきていると思う。自分の好きなことをやっていたら、いつのまにか見えない壁にぶつかる。誰かが、「お前になんか出来るわけがない」と思っている。しかし、アメリカって、自由で差別のない国だったんじゃないのか。そうなったら尚更、そういう偏見を持っている奴らを見返してやりたい。また、自ら成功することが、後から続く人々に「奴らは間違っている」ということを身をもって示したいーーという気持ち。

アメリカという社会は、自由という建前はあるが、見えない差別のようなものを感じることは絶対にある。それを打ち破るには、自ら圧倒的な実力で相手の間違いを示してやるしかない、ということは感じる。そういう見えない壁を感じるとき、「ならば絶対勝ってやる」と思う、そういうこともある。人気TVホストのオプラ・ウィンフリーが、あるとき現国務長官のコンドリーザ・ライスをゲストに迎えていたとき、「結局、差別を打ち破るのは実力ですよね」と語っていたのを思い出す。アメリカという国でも、「これはこの人にはできないだろう」という先入観がないわけではない。しかし、それを一度実力でやってみせると、皆が諸手をあげて認めてくれるというのもまたアメリカ的なありかたである。黒人にはQBが出来ないという偏見を打ち破るには、結局誰かがやって見せるのが一番なのだ。

このような考え方は実にアメリカ的で、自分もだいぶ染まってしまったのかな、と思ったりもする。しかし、どうせアメリカという土俵でやっているのだから、まず認められてやろうじゃないの、とチャレンジする気持ちを肯定したいとも思う。そのことが、日本人であることをやめることにはつながらないと思うのだ。人種を意識しすぎるのもおかしいが、いっぺん、実力でぐうの音も出ないくらいに勝ってみたい、とも思うのだ。一方で、このような原理原則を世界中にまき散らすアメリカ人のうさん臭さに気がついていないわけではない。しかし、アメリカ社会の、実力さえあれば認めてもらえる、という側面は、アメリカ社会で生きている以上意識するし、それを利用しない手はない。当事者にとっては、生き残るか死ぬだけだ。(今年のスーパーボウルのハーフタイムでポール・マッカートニーが歌ったように、"LIVE AND LET DIE" なのだ。)それはアメリカで生きている以上、仕方ないことだ。

日曜日のスーパーボウルに戻る。
この4年ほど、マクナブ率いるイーグルスは、「スーパーボウル候補」と目されながら、今一歩の結果が続いた。そして、今年とうとうたどり着いたスーパーボウル。マクナブはこの試合に勝てば、優勝チームQBとして歴史に名を残すことになる。
 しかし、日曜のマクナブは今ひとつさえなかった。獲得ヤードは357ヤード、また3TDと立派な結果も出したが、インターセプト3回は痛かった。また、土壇場で10点ビハインドの場面、2回スコアしなければいけない状況で、もたもたとして時間をロスしていた。ベンチで座っているときの表情もさえなかった。マクナブの体調がおかしかったというレポートがあるが、さもありなんという出来だった。ともあれ、マクナブとイーグルスがチャンピオンとなるのは来年以降にお預けとなった。

マクナブにはぜひいつかスーパーボウルQBになってほしいと願う。
【追記 2/9/05】表現を少し改めました。

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February 02, 2005

切込隊長がアルファブロガーの使命について語っている

アルファブロガーとやらに選出されてしまった件について (切込隊長BLOG)
「アルファブロガー」なるものを探すコンテストについては以前も少し触れたが、この度結果が発表されて、その結果に切込隊長が反応している。

コンテスト自体について言うと、「論壇系ブロガー」というカテゴリで、隊長のほかに極東ブログR30などといったところが代表的サイトとして挙げられているというのは、「論壇系ブログ」というカテゴリが一般に認知されるきっかけとしては好ましいことと思う。しかし、隊長は、「論壇系」の将来については悲観的なようだ。この隊長の記事でも、「ブログでは喰えない、だからブログには良質な書き手が集まりづらい、という問題意識を持って、そこから敷衍してブログはジャーナリズムたりえるか? という議論を吹っかけて途中で面倒くさくなって投げたというのも私にとっては痛恨の事態でした。」とあるが、この頃の議論には私も少し参加したりしていたので(ずいぶん昔のような気がするが)、隊長が、まだこの問題については関心というか、責任感を持っているというのはうれしいことだ。というか、隊長、しっかりやってください。そんな期待もこめつつ、少しコメントする。

隊長の認識として、「やはり仕事に直結している専門性のある内容をネット上に出す際の障害をブログはいまだ抱えているというのが現実ではないかと思います。」とあるが、これは確かにその通りだと思う。ネット言論の正統性の問題とか、たとえば大企業が絡んだりする場合の訴訟コストの問題などを指しているのではないかと思うが、そのへんはアメリカでも日本と似たような現状じゃないかな。

アメリカでは、数ヶ月前に、人気クイズ番組Jeopardy!の、連勝記録がかかった番組の結末について、ネタをばらすエントリが該当番組の音声ファイル付きでブログ界隈に流れて、番組の制作会社を所有するSONYが、ブログに圧力をかけて音声ファイルが削除される事態になったりした。その時の反応をみてみると、大手ブログはともかく、中小のブログの場合は、特に相手が大企業などの場合は、抱え込む訴訟などのコストが大きすぎて背負いきれないという現状が明るみに出たと思う。Instapunditなんかは、「訴訟費用をシェアする基金があったらいいのにね」と言っていたが、それは思いつきのレベルにすぎないという印象。一方、最近こちらでも書いたケースでは、Appleの新製品情報をばらしたThinkSecretが、支援を自主的に申し出た弁護士の支持を受けたりしてAppleと全面対決する様相を見せている。こちらの動向は注目したい。

さて、日本の「論壇系ブログ」の現状について、たとえば英語圏に向けてなにか書くとしたら、どういうことを書くかなあ、と想像してみたりすると、過去一年では、イラクの日本人人質事件に対する反応とか、先月の朝日・NHK問題についてとかを触れることになるのではないかと思う。朝日・NHKについては、既存メディアの報道に対して緻密かつ本質的な批判のできるメディアとしてインターネットが機能している、ということはいえると思う。実は、この一件、英語圏の日本学研究者のメーリングリストでも話題になったのだが、朝日などの既成メディアのみに頼っている外国人研究者などは、「まだ国家による言論弾圧か」くらいに思っていて、まったく現状を読み違えていると感じた。こういう人達には、日本のブログで起こっている議論を読んでもらえれば、現状認識が変わるだろうに、と思う。

いっぽう、論壇系が説得力を持つための責任感というか、重みというか、それを醸し出すまでには、まだまだ成熟が必要とか思う。オープンマインドなアメリカ人研究者に、日本語の人気ブログを見せようかと思うと少しためらわれるのは、ちょっとした表現とかを見て躓かないかなということ。特に、アメリカ人の研究者などは差別や外国人疎外の言説に敏感なので…。もちろん、責任を持って発言しているブログはあるけれど、その辺の感覚はまだまだかもしれない。隊長自身が、自分を「厨房」と規定しているのもその辺りを指しているのかと思う。

別に言葉狩りをしたりPCを押しつけたりしたいというわけではないので、この問題はなかなかうまく説明できないのだが、一言で言うと、政治的な問題のスタンスは何であれ、「公義」の感覚を持って書いているか、というふうになるかな、と思う。ここ10年ほど、小林よしのり氏などの発言により、日本の言論には「公=国家」が欠けているということが言われた。それは大筋でいいと思う。ただ、英語という土俵に立ったときは、「公=日本国家」では済まない部分もあると思う。では「公義」とは何なのか。そのことをもう少し考えて行くには、やはり日本のブログ界が英語圏に開いていくのが必要なのかなあ、と思う。いや、私自身、どちらかというと保守寄りと思われていると思うし、自分でもそのレッテルで結構なのだが、日本の保守言論を世界に開き、つなげていくということを考えたとき、この辺りはいつも気になっている。この問題については後日エントリを改めて書く。

最後に一言。finalventさんあたりは、日頃の発言を見るに「論壇系ブログ」なるものが日本の言論空間に与えるインパクトについては懐疑的だというようにお見受けする。しかし、現時点で、もし私が日本のブログ言論についてなにか英語で書くとするならば、「ダルフール問題のような、日本のマスコミがなかなか注目しない問題について人々の関心を喚起したという点において、ブログの意義は大きい」ということは言えるのではないかと思う。もし日本のブログのささやかな歴史が書かれるときがくるならば、この一点に関する極東ブログの意義は記憶されるべきであろうと思う。

【追記 2/3/05】

スーダン問題について (極東ブログ・2/4/05)

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アニメ・舞姫

アニメ・舞姫レビュー (uso8oo)
愛・蔵太の気ままな日記経由。テキストサイト的に秀逸な「アニメ・舞姫」の読み解き。

鴎外の「舞姫」は、私もアメリカ人学生向けの日本文学の授業で使ったりするのだが、確かに話の筋だけ見たらバッドエンドで終わるギャルゲーと思われても仕方ないかもしれない。事実、アメリカ人の学生からの反応をみると、「ガールフレンドを妊娠させて逃げるなんて豊太郎はひどい人ですね」というようなリアクションがあることはある。問題は、逃げるどころか、優柔不断で、自分でなにも決断しないままでいて、結局人を恨んだりするところなんだけれど。これで「エリスを捨てる!」と自分で決めたんなら、その理由はどうであれまだ勇気があるといえると思うのだが。

まあ、「舞姫」は、伝統的な価値観や国家への義務・忠誠心によって規定された自我と、ベルリンの自由な空気に触れて目覚めつつあった「まことの我」が、話のプロットだけでなく文体のレベルでもせめぎあっている作品、として読めば面白いと思いますけどね。しかし、西洋と日本、公と私の二つの価値観の相克に生きた明治人、というような歴史的・作家論的な読み方は、明治という時代に共感やつながりを覚えない人達にはあまり説得力のない読みになってしまっているというのは確かかも。(アメリカ人とか、最近の若い日本人とか。)

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(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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