むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

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March 23, 2005

お知らせ

多くの人に支えられてここまで続けてきた「むなぐるま」ですが、更新を中止することにしました。最近リンクを頂いているページもあるので、サイトはしばらく残しておきますが、近日中にアカウントごと消します。

実は、この前の "Courage" というエントリ、元ネタはダン・ラザーが最後の『イブニング・ニュース』出演で "Courage." と言って締めくくったののパロディだったんですけど。(このブログエントリから動画を見ることが出来ます。また、"courage"をめぐるエピソードはこちら。)皆さん気づかなかったのかスルーしたのか、全然反応がなかったのでちょっとがっかりしたんですが。

去年11月に一度休養宣言をしてから、しばらく見切り発車で続けてきたのですが、結局やめることにしました。最大の理由は、本業の方がなかなか落ち着かないこと。今秋からの仕事も決まっていないですし、長期的なキャリアの見通しも、なかなか先が見えない状況です。そういう状況がしばらく続きそうな情勢で、また夏からは長期にわたってオフラインになりそうなので、ここでブログの方は区切りをつけようと思います。拙ブログのようなものでも続ける意義はあるのかなあと思ってきましたが、本業の方で倒れてしまっては意味がないので。というわけで、安定した仕事を持つブロガーの皆さん、頑張って下さい。(笑)

総括とかはしたくありません。このブログが日本語のブロゴスフィアで占めていた位置は、誰かが埋めてくれるでしょう。

一つだけいうならば、このブログではニューヨークタイムズの日本報道について何度か書きましたが、最近は「オオニシ記者」というだけで日本語のネットでもかなり認知度が高まってきているのは嬉しいことです。
ただ、オオニシ記者もまた懲りずに朝日新聞社内のオフィスから、バランスを欠いた記事を世界に向けて垂れ流しているようです。(詳しくは、pantomimeの日記のこのエントリで。)こういう記事がなぜ出てくるか? 日本人の立場から、このような外国メディアの記事をウォッチしながら、世論を喚起することはもちろん大切だと思います。(皆さん、あとはよろしく。)ただ、こういう記事にアメリカの専門家からチェックが入らないこと、日本からのこのような記事への反論が彼らに届かないこと、などを含め、もっと大きな構造的な問題があることは知っていて欲しいと思います。New York Timesという組織内部の問題もありますが、また、世界における日本をめぐる言説に関わる大きな問題もあります。端的に言って、日本の言語空間は、世界から孤立しています。それは、保守・リベラルに関係なくそうでしょう。日本の言葉を世界に発信する、そして、世界の「日本」像を変えていくにはどうしたらいいか、知恵を寄せ合って考えていく必要があると思うのです。それは結構地道な仕事なのではないかと思います。

メールアドレス(munaguruma@gmail.com)は生かしておきますので、連絡のある方はそちらの方へ。

それでは、もう一度、皆様の「勇気」に…

Courage.

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March 20, 2005

Courage

本業の方がなかなか落ち着かない。落ち着く目処も立たない。

テレビや新聞などに関わるジャーナリストが、ネットの言説を横目で見ながら、自分たちにしかできないことがある、という発言が最近いくつか出て、それについてこのエントリで書いたのだが、もう少し書いておきたい。

ブログには「組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けること」ができない、などという技術論については、新聞の将来をしっかりと考えないと時代遅れになりますよ、と申し上げておきたいのだが、やっかいなのは、ジャーナリストは一般人より社会正義を追求する理想がある、という種類の論だ。いわく、ブログには倫理観、責任感がないと。

しかし、ダン・ラザーが失敗したのは、社会正義を実現しようという「勇気」によって、冷静に資料の真偽を吟味する理性を失ってしまったからであって、「勇気」だけではだめだという典型的な例になってしまった。金平氏などにはその辺りに気が付いてもらいたい。(参考)また、ネットで情報を発信し、受信するのは、社会のひとりひとりであることを考えると、テレビや新聞のジャーナリストが、倫理観や責任感において自分たちがネット世論より高い位置にあると宣言するというのは、傲慢である。ジャーナリストに「倫理観」とか「勇気」という言葉を独占させるわけにはいかない。

いっぽう、ブログなどのインターネットの言論を通して、いままで声を持たなかった一般人が、それぞれの専門と見識を武器に「勇気」を発揮するチャンスが生まれた、といえるし、その意味で、現在の状況というのは、実に希望に満ちた状況といえるのではないだろうか。

そうした無名の一般人の「勇気」に…。

Courage.

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海外から見る「日本の保守派」の風景

竹島問題、また歴史教科書問題などをめぐって、保守系のブログが盛り上がっているのだが、今回は、日本の保守派には日本の外にはあまり味方がいない、という話をあえてしてみたい。

NHK・朝日問題の発端となったNHKの番組が放送されたとき、放送が政治的圧力を受けたのではないか、という疑惑はかなり早い時点からあった。それで、アメリカの日本研究の研究者の間で、そのような不当な圧力に抗議しましょう、ということで、署名運動が起こったことがあった。私のところにも回ってきたが、署名はしなかった。

その時の声明と署名はこちら。この数ヶ月のNHK・朝日問題をめぐる論争を受けて改めて見ると、釣りに引っかかった人達のリスト、という風情もあるが、ここに署名をしている人達を見ると、若手・ベテランを問わず、有力な研究者が名前を連ねている。この人達は、事実をチェックしたのかなあ、という疑問とは別に、「人民法廷」の意味とか、放送の編集における政治的圧力の意味とか考えて署名したのかなあ、と思うのだが、逆に言えば、このような文書に署名する大学教授・院生がこれだけいるということの意味は考えた方がいいと思う。

もう一つ、身近な体験から。
ある日本の近代史関係のイベントで、「従軍慰安婦」をめぐる映画を見たことがあった。韓国系アメリカ人制作のこの映画、「ドキュメンタリー」ではあるが、演技過剰気味の再現映像を多く交えていて、とても事実に基づいた公正なドキュメンタリーとはいえない代物だったのだが、これに、「つくる会」の、藤岡信勝教授と西尾幹二教授が登場する。発言自体は、日本でも主張されている内容と同じものだったのだが、ここではそれは問題にしない。むしろ、演出が問題だ。
 お二人が座っているのは、殺風景な、会議室のような部屋。お二人は、やや疲れ気味の表情なのだが、カメラは少し引いた固定アングルからツーショットを撮り続ける。プロフェッショナルな雰囲気は全くない。
 一人(どちらかは忘れた)のクロースアップ。汗をかいている。言葉が詰まり気味になる。
 このような映像で、「従軍慰安婦は『従軍』ではなく…。」とか、「彼らは売春婦で…」という発言を聞くと、一般人には歴史修正主義者とはこのような姿をしているのか、などと思う人も多いのではないかと思う。こんな映像を撮らせてしまうなんて、「つくる会」にはPR担当がいるのだろうか? と思ってしまった。

いわゆる歴史問題などの問題は、アメリカでも日本でも、出来れば関わりたくない種類の問題ではある。関わったら関わったでいろいろと面倒なことになるのは目に見えている。しかし、この手の問題を看過することにより、取り返しのつかない事態になることもある。たとえば、前に書いたように、『レイプ・オブ・南京』が出たときに、専門が日本の歴史家が批判出来なかったことによるダメージははかりしれないと思う。そういうとき、どう行動したらいいのだろうかと思ったりする。

このように、日本国内の言論と海外の日本研究における日本像のギャップを思うとき、心に引っかかっている一つの文章がある。
シカゴ大教授のノーマ・フィールドが著した『天皇の逝く国で』という本がある。昭和天皇が崩御した1989年に日本にいたフィールド氏が、本島長崎市長、夫が靖国神社に祀られることを拒否した妻、沖縄で日の丸を燃やしたスーパーマーケット店主などに話を聞いた書いた本だ。この本、実はアメリカの大学ではよく授業で使われていたりする。

この本で、本島市長に送られた手紙が多く紹介されているのだが、そのうちの一つ、ある神主が書いた「お決まりの反論」について、著者は次のように書いている。

冷静な論証の口調でありながら、議論の土俵をすりかえていく論法からすると、この筆者と議論するのは困難だろうと察せられる。天皇の開戦の宣言は忠実な立憲君主としての行為であるという彼の最初の主張はーーこれは完全に西洋近代の考え方に立っているーーそれに続く論点によってたちまち土台を掘りくずされてしまう。あとのほうの主張全体を支配しているのは、日本人たることが意味するものへの揺るぎない感覚なのだから。それでいてこの議論自体に、下部・上部構造というマルクス主義の語彙が援用されている。幾世代もの日本の思想家が身につけてきたとおり、日本を西洋近代から救出する努力それ自体が、西洋の道具、とりわけそれらを定式化するのに使われる哲学概念と言語によって、避けがたく汚染されている。 (『天皇の逝く国へ』p.248 )

この一文を読むと、私は途方に暮れてしまう。
 一見、この文章は、日本の保守派によくある、「議論のすり替え」に対する批判とも思える。確かに、日本の保守派の議論というのは、「国益」とか「人権」などという概念をその場の都合がいいときだけ援用することがある、という批判は免れないと思われるときがある。この点は、日本の保守派の言論を、日本の論壇の文脈から外に出したときに明らかになることが多い。歴史教科書問題に加え、最近議論になっている、外国人参政権の問題、竹島問題の保守側のトーキング・ポイントを見ると、全体として一貫しない意見の寄せ集めであることがある。それは国内では通用するが、一度日本の文脈から外に出したら、議論の一貫性を問われるだろう。その意味で、この批判は、日本の保守派の言説のひとつの有効な批判になっている、と私は思う。

しかし、「日本を西洋近代から救出する努力それ自体が、西洋の道具、とりわけそれらを定式化するのに使われる哲学概念と言語によって、避けがたく汚染されている」としたら、いったいどうしたらいいのだろうか。彼女の議論の論理的な帰結を考えたら、その「汚染」は、「日本を西洋近代から救出する努力」というより、それを含む日本近代の言論、ひいては「日本の近代」という体験そのものの宿命になりはしないのだろうか。また、もしそうだとしたら、「日本の近代」というのは、常に借り物でしかありえないのだろうか。いっそのこと、その「借り物」感を全肯定できればいいのに、という気もするのだが、ああ、それは出来ない気がする私は何なんだろう。そんなことを言ったら、誰の「近代」が「借り物」でない、と言えるのだろうか。また、日本の近代に語られた言葉の総体を想い、現在あるその英訳を想うとき、確かにそれは「借り物」的オーラを放出しているのだが、だからといって、その言葉の重みを無視する訳にはいかない気がする。映画 "MISHIMA" で、三島が、東大学生たちに向かって語っていた、「君たち、僕はもう、ここまで来たら意地だ」と言う言葉を思い出す。
 私は、フィールド氏の文章は正しいと思うが、また同時に、そのあまりの正しい言説を(そのあまりの正しさ故に?)認めたくない気持ちもある。私は、正統であり・確かである「西洋の近代」という基盤に立っている著者が、あいまいであやふやな基盤にある「日本の近代」を見下して、軽蔑しているのではないかと思うし、その軽蔑にどうしても反発してしまう。それゆえ、この本で軽くいなされている、論理的には圧倒的に不利ないち神主(というか、彼が代表するもの)の味方をしたい、と思ってしまう。とはいえ、アメリカの学会では、このような声の味方は少ない。この状況については、いろいろと根本的に考えていく余地があると思うのだが、別に短期的な解決があるわけではない。まあ、私はヘタレなので大きな声では応援できないが、小さな声で、こっそり応援を続けていきたいと思う。

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March 16, 2005

「調査報道は新聞の生命だ ブログに使命感あるか」だそうだが

記者の目:ライブドア堀江貴文社長への反論=渡辺雅春(社会部)(毎日新聞)
via: finalventの日記ネットは新聞を殺すのかblog

表題のように、「ジャーナリズムは、自由で公正な社会を実現するため、人々に必要な情報を提供することだと考える。」と言う記者のご意見。

 ただインターネットもジャーナリズム的機能を担う可能性はある。注目されるのはウェブログ(ブログ)だ。ホームページより簡単に開設できるウェブサイトで、誰もが情報を発信できるだけでなく、知らない人同士で双方向のコミュニケーションができる。

趣味の話から、専門家が政治・社会問題を論じるなど、内容は幅広い。米国ではブッシュ大統領の軍歴報道を巡り、ブログが発信した情報からCBSテレビの誤報が明らかになり、幹部が辞任した。影響力を持ち、多種多様な意見の交換が可能なブログには、一種の世論形成機能もある。

 しかしながら、組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けることがブログでは不可能だ。情報を集め、裏付けを取り、その事実が社会にどのような影響を与えるのかを考慮して報道するのは、訓練を積んだプロのジャーナリストでなければできない。社会は倫理観と責任感を持ったジャーナリズムを必要としている。そう信じる。

「そう信じる。」(笑)…と書いて終わりにしてもいいのだが、もう少し書く。

 私は、基本的に「ネットは新聞を殺すのか」の湯川氏が上のエントリで書いておられるように、ブログは単体でなければ「ブロゴスフィア」の総体として、現在新聞が担っているような継続性・倫理性を発揮出来るのではないかと考えている。もちろん、ブログがそのような役割を果たすためには、ブログの書き手・読み手共に改善すべき点はある。しかし、大手マスコミの書けないタブーに果敢に挑戦したり、ネット全体の調査能力をフルに活用した、ブログならではの情報というのも出てきている。NHK・朝日問題とか、まさにそうだと思う。
 それより、前にこのエントリで書いたように、アメリカでは、ニュース源としての新聞(紙メディア)の退潮が深刻である。この記者のような変なプライドにとらわれている場合でなく、メディアの潮流の大きな変化に新聞という組織がどう生き残っていくのか、真剣に考えた方がいいんじゃないの?
 もちろん、現在のブログが、調査に基づく大手ジャーナリズム記事に依存するという現状はあるわけで、それこそ新聞がブログになってしまってはブロガーの方が困ってしまうわけだが、いっぽう、情報のスピード、また、組織体質・思想的な足かせから自由な議論など、ブログが現在大手メディアに欠けている部分を補完している部分もかなり出てきたと思う。だからこそ、アメリカでもブログからニュースを仕入れる人が増えているわけで。そういう現状を無視して、こういう、ブログを見下す偏見たっぷりの記事を書いても、ブログ界隈で晒し上げを食らうだけだと思うのだが。ということで、やっぱり
「そう信じる。」(笑)
で締めたいと思う。

p.s. 渡辺記者は、まだ見てなかったら、これ見て下さいね。
Epic 2014 (日本語訳)
フィクションには違いないが、恐ろしいほどリアルな可能性を描いているのではないかと思う。
好むと好まざるとにかかわらず、こういうのがメディアの未来なんじゃないかと。

p.p.s. 「愛と妄想の日々」からのTBで知った産経抄(3/18)。これも、実態を知らない新聞界のおエライさんのつぶやきという感じ。「プロ集団」というなら、その実力を発揮して、ネットでは絶対見られないような紙面を作って下さい。話は、それから。これも(笑)である。

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March 12, 2005

ライス国務長官、08年の大統領選出馬を否定せず

Washington Timesの独占インタビュー記事。インタビュー全文はこちら。(via Althouse
もちろん、むちゃくちゃ気の早い話なのだが、ライス国務長官、フランスやドイツなどでの受けもいいし、早くも2008年の大統領選に対する期待が幅広い層で高まっている。このロング・インタビューでは、大統領選でリトマス試験紙になる中絶問題について答えている。

ポイントとなる部分については、Althouseのエントリを参照して欲しいのだが、「私は深い宗教心を持っている」という反面、政府が中絶問題に介入することに関しては反対ということで、pro-choiceのスタンス。pro-choiceで、共和党の支持を得られるのか? と疑問視する人もあろうが、自分の宗教心に触れながら、政策的にはpro-choiceというようなバランス感覚は、実にアメリカに幅広く受け入れられそうなスタンスではある。少なくとも、自称穏健派のAlthouse教授のテストはパスしている。

あるアメリカ人の友だちに、「ライス国務長官が大統領に立候補するかもしれないってさ。どう思う?」と聞いたら、バリバリ民主党支持者の彼は、「そうだね、彼女ならアフリカン・アメリカン票を半分は取れるし、女性にもアピールできる。共和党にとっては理想的だよね」などと分析していた。政策とか人柄じゃなくて、票田や利益団体にどうアピールするかで考えるあたり、なんかアメリカ人が総カール・ローブ化しているのかなあ、と思ったのだった。

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What's the Frequency, Kenneth?

ヤフーUSの質問コーナー "ask.yahoo.com" から。
REMの"What's the Frequency, Kenneth?"の裏話って?」(New HampshireのDanaさんから)
これは、「あれ確か…」と思っている方も多いと思うので、ヤフーの回答に沿って、一応メモ。

1986年10月、CBSニュースのダン・ラザーがマンハッタンで歩いていると、突然後ろから殴られ、路上に倒された。男は、「Kenneth, what's the frequency?」(ケネス、周波数は何だ?)という意味不明の言葉を繰り返しながら、ラザー氏に殴る蹴るの暴行を加えた。

ラザー氏は、心当たりがない、と主張していて、この件は都市伝説のようになっていたのだが、それをREMのマイケル・スタイプがネタにして、"What's the Frequency, Kenneth?" として1994年にリリース。後で、スタイプは、「シュールでアメリカンな、20世紀の未解決の謎」と発言している。REMがプロモでThe Late Show with David Letterman(CBS)に登場したとき、ラザー氏も登場、曲を紹介した。

いっぽう、1997年には、ラザー氏を暴行した男が判明。現在、TV局員を殺人した罪で服役中なのだが、ニュース・メディアが彼の頭に電波を送っていると信じていて、周波数さえわかれば、その電波をブロックできたのに、と思って犯行に及んだ、と言っているらしい。

しかし、このヤフーの回答、「ラザー氏は多彩な人生を送った」とかいって、ratherbiased.comのページにリンクを貼っているのはどうよ。しかし、この回答が2001年6月のもの、ということを考えると、ratherbiased.comの主催者は少なくともその頃からネットで活動していたことになるわけで、ラザーゲートも、単なるブロガーによる突発的事件と考えるのはナイーブすぎるようだ。

さて、「イブニング・ニュース」のほうは、日曜の政治番組の司会者でもあるボブ・シーファーに交代。この人は、今回の大統領選討論の司会をしたりして、フェアネスという意味では定評のある人。まあ、臨時職という位置づけのようだが、出来る限りこの人で行くという手もあるんだろう。シーファー氏の最初の放送のコメントを読むと、アメリカのニュース・アンカー職の重みというのをひしひしと感じて仕事をしているのがわかる。個人的にはこの人に続けて欲しいなあ。シーファー氏については、nprのこの記事も良い。

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March 11, 2005

保守とリベラル in 日本/Political Compassと日本のブロガー

例のPolitical Compassの件。
主な日本のブロガーについて、shibudqnさんがまとめて下さってます。GJ!

他に、私が気がついたブロガー関係で、メモ。以下、Economic / Social の順で。(ちなみに私は 0.50 / -2.21)

左右軸が、経済問題。(弱者救済<=>自由主義)

上下軸が、社会問題。国家・権威主義が上、リバタリアンが下。

○4分割の図で右下
svnseedsさん@ svnseeds' ghoti! 3.88 / -2.72

○右の真ん中
かんべえさん@溜池通信  3.88 / 1.03
shibudqnさん@DQN_Diary(+ +) 2.00 / 1.03
Tatsuさん@Silly Talk 3.88 / -0.62

○右上
マイクさん@保守思想 4.88 / 3.13

○左上
きぐつさん@きぐつのつぶやき(仮) -4.50 / 2.10

○左の真ん中
adoruk626さん@log -2.38 / 0.46
mumurさん@mumurブログ -3.88 / 0.21
社長さん@社長の覚え書き -3.38 / -0.10
Soredaさん@セカンド・カップ -5.50 / -0.46

○左下
草加耕助さん@旗旗 -5.00 / -5.64 (このテストを日本語に紹介した記事を書かれた方)
standpoint1989さん@小さな目で見る大きな世界 -1.75 / -3.95
Giraudさん@月ナル者 -2.63 / -3.90
らーさん@コリアン・ザ・サード -3.25 / - 2.00
やじゅんさん@世界ブログ -2.75 / -1.44
小倉秀夫さん@IT法のTop Front -2.13 / -2.72
おおやさん@おおやにき -2.13 / -1.90
JSFさん@週刊オブイェクト -1.88 / -2.31
稲葉振一郎さん -2.38 / -2.62
R30さん@R30: マーケティング社会時評 -1.50 / -3.49
id:kanryoさん@霞が関官僚日記 -3.63 / -2.00
山形さん -2.88 / -2.62

○下
kagamiさん@ロリコンファル 0.13 / -3.59
finalventさん@極東ブログ -0.25 / -3.03
むなぐるま 0.50 / -2.21

※訂正などがあったら教えて下さい。なお、これは私的メモであって、「日本のブロガー」全体を網羅的にカバーする意図はありませんのでご理解下さい。追加することはあるかもしれないけれども。

こうしてざっと見てみると、たしかに左下(経済的には弱者救済、社会的にはリバタリアン)という、いわゆる「リベラル」が多い。日本人は、アメリカでいわゆるところのリベラルが多いという傾向はうなずける。なんだ、みんなリベラルブロガーだったのか! みたいな。もちろん、政治思想の問題として日本における「リベラル」概念のねじれ、という問いは残る。
しかし、それ以外の人も多い。2ちゃんねるの「ネットウヨ」が多いことで有名な板でこのテストをしたら左下ばかりでみんなへこんだという話を聞いたが、ブロガーに限って言えば、それ以外の人もけっこういる。ブログの言論というのは多様というべきか、ブログは(日本で)境界的な立ち位置の人も発言しやすいメディアというべきか。

追記:shibudqnさんの、「ブログが炎上する構造の模式図」も面白い。

追記2:山形さんを追加。

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March 09, 2005

匿名のゴミコメントが良質ブログを潰すこともある

私のところにもTBを頂いた、団藤氏の「ブログ時評」のエントリにコメントが殺到している。といってもせいぜい30から40くらいなのだが。それで団藤氏が、ハウスルールに従ってコメントを管理人のみが読めるモードに変えたところ、R30さんには「ステルスコメントスクラム」などと揶揄されている。また、ブログ界隈のあちこちで批判の声があがっている。

私自身は、「ブログ時評」のエントリはなんとも答えようがないなあ、と思って静観を決め込んでいた。というか、正直、一般のブロガーとはだいぶ感性がずれているように思うし、揶揄されても、テンプレになっても仕方ないと個人的には感じていた。でも、コメント欄の管理については団藤氏に同情する。つうか、コメントを削除したり閲覧不能にしたりしたから言論弾圧っていうのはおかしくないか?

愛読していた「小さな目で見る大きな世界」が、開設1年を期に更新停止された。最近は、ブログのエントリやコメントを通して、意見が違うなりにも(あ、また言っちゃった)有意義な交流をさせてもらっていたので寂しい気がした。全く会ったことのない赤の他人のブログが更新停止になってこんな寂しい思いがするというのも変だなあと思っている。standpoint1989さんには、半年といわず、できるだけ早く復帰してもらいたいと願っている。

さて、更新停止にいたるいきさつについては氏が最近のいくつかのエントリで語っておられるのだが、そのうち、このエントリでは、匿名コメントに腹立たしさを感じた、というのがあった。匿名コメントの管理に時間が取られているのかなあ、と思ったが、匿名でコメントを残すというメンタリティに苛立つのだという。
 時間を掛けて、自分の思考を文章にしていく。その過程で、自分の内面を多くの人に晒しているという感覚にもなる。リアルタイムで文章を発表し、それが読まれていくブログというフォーマットなら尚更だ。そのような状態で、ネットの向こう側から、誰とも知れない人々が、悪意のあるコメントを残していく。これは何とも不快で、standpoint1989さんの言うように、やられた人にしかわからない厭な感覚が残る。文章を売ることで生計を立てている言論人ならそういうリスクも引き受けようが、ブロガーの多くは素人である。物書きとしての覚悟がない、と非難する向きもあろうが、要するに実質的にもそれだけのリスクを引き受ける事への対価が少ないということなのである。
 拙ブログでも「ブロガー燃え尽き症候群」というエントリで書いたのだが、アメリカの大物ブロガーには、コメント欄やトラックバックをオフにしているブロガーも少なくない。Instapunditのような超大物ブロガーだけでなく、最近よく読むAlthouseもコメント欄を廃止していて、彼女自身も時々コメント欄について語ったりする。その判断の基準だが、単純に、コメント欄の管理の時間がもったいない、という現実的な基準によるようだ。時々「オープンでない」という批判もあるようだが、日本のように「言論の自由を抑圧した!」というようなあからさまな非難にはならないようだ。これは、日本では「話せばわかる」というような、対話のために必要な共通の基盤というような幻想があるのに対し、アメリカにはそのような幻想はゼロに近いからではないだろうか。アメリカのブログにも「荒らしコメント」という意味で、trollという言葉が使われるし、「荒らしはスルーの方向で」というような共通理解があるのも同じ。ただ、日本のように、ブロガーが対抗処置としてコメント欄を閉鎖したりすると「言論弾圧」と言われて非難されるということはない。それは何ともやりきれない気がする。それによって、standpoint1989さんのような良質のブロガーが「ブロガー燃え尽き症候群」に追い込まれるのなら尚更のことだ。
(以上、私がstandpoint1989さんの思いを勝手に推測してのコメントということを明記しておく。)
 日本の例では、finalventさんなんか、基本的にコメントがオープンだし、日記の方では丁寧に対応しておられる。ずいぶん耐性の強い方だなあと感心せざるをえない。ただ、誰もが氏のように仏の心を持っているわけではない。

私は、というと、ポリシーの欄で説明している通り、コメントとトラックバックを区別している。これは、トラックバックならば、ブログという形で、その人物(匿名、実名を問わず)の発言を通してみることが出来るので、どのような人格を相手にしているかわかるからだ。また、発言が残るとなれば、後で自分が恥ずかしくなるようなことは言わないだろう。最近は無料ブログサービスも増えたので、今まで以上にブログから発信することが容易になっている。ブログを持たない理由は、ない。
 また、よくわからないコメント・TBは削除している。別に断りもしない。読んでいる皆さんとしても、書き手である私がコメント管理やらに時間と労力を取られてブログを辞めてしまったらつまらないでしょ?

他人の意見に反対するのは結構。また、他人の意見が許せなくて嫌がらせをする人が絶えないのも仕方ない。しかし、それに対して対策を講じたらファシスト扱いされるというのは、何とも困ったものだと私は思う。

【追記】このエントリの表題は、standpoint1989さんのブログが匿名コメントのために潰された、という意味ではなく、一般論としてのことです。念のため。

【追記2】「ブログ時評」は今度から『世界』に連載されるそうで。(via: muse-a-muse)あらら、団藤さんのコラムはMSM(大手メディア)的なニオイがするなあと思ったら…。ブログの本質は速報性(無編集)、双方向性にあると思うのですが。まあ、本論でのべた双方向性のデメリットについて私の考えは変わりませんが、ブログエントリがそのまま雑誌記事になるというのでは「ブログ」のメリットを生かし切っているとは言えないと思うんですが。

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iPod shuffleを買った

昨日とうとう買った。512MBの方で、アカデミック割引はこの機種はないので値段は定価通り$99。私はPowerBook 12inch のユーザで、ほとんどいつも持ち歩いている。私の音楽コレクションはせいぜい5GBくらいで、PowerBookの方に入れても支障がない。だから、iPodのほうは例えば通勤のバスの中で音楽やオーディオブックを聴くのに使えればよいので、iPod miniすらも必要ないと思ってshuffleを選んだ。

 軽さ、シンプルなデザインについては言うまでもなし。ただ、組み立てがタイトなせいか、ボタンの一つがギスギスいう。大学のストアに交換を頼んだら、仕様とのこと。まあ慣れるしかない。iBookを使っていたときにも思ったが、アップルのローエンド製品は製品の精度でいうとちょっと甘いか。(今使っているPowerBookには大満足だが。)
 パッケージを開けて、PowerBookのUSBポートにさしこむと、iTunesが立ち上がる。ドライブに名前を付けたり、ごく簡単な初期設定をすると、すぐに使用可能。ファイル操作も、iTunesに馴れていれば全く同じ感覚で出来る。買ったばかりなのに、ずっと使っていたかのような感覚。この簡単さがアップルの良さではある。
 オーディオブックを1つか2つ入れ、残りを音楽ファイルで埋めることにする。音楽の方は、現在の音楽コレクションからプレイリストをつくって、たとえば "Rock" とか "Classical" とか名前を付けておく。それで、オーディオブックのファイルをプレイリストの先頭に転送した後、その日の気分に応じてプレイリストからAutofillできる。この機種でも100曲くらい入る。(転送は5〜6分。)
 オーディオブックを聴くときは順番に再生し、そうでないときはシャッフル再生。音楽に飽きてオーディオブックに戻るときも、再生ボタンを軽く3回押すと、プレイリストの先頭に戻って、前に止めたところからから再開してくれるので、オーディオブックと音楽の間を行き来できる。ファイル内の早送り/巻き戻しも可能。また、充電はUSBポートからできるので、PowerBookに差しておけばOK。というわけで、そもそも用途をかなり割り切って考えていた私には十分な操作性といえる。
 唯一の難点は、構造上バッテリ交換が不可能なこと。バッテリが死んだら、終わり。まあ2年くらいで使い切ることになるだろうか。まあそのつもりで使い込もうか。

 早速、iTunes Music Storeで、Charlie Roseのトークショーをダウンロードした。iTunes Music Storeも、最近はオーディオブックのラインアップが充実し、ラジオやTV番組のトークショーをばら売りしたりしている。この番組はPBSの番組なのだが、1時間の番組の再録で$7で買える。私の買ったのは、Glenn Reynolds, Andrew Sullivan, Joe Trippi, Ana Marie Coxと大物ブロガーが勢揃いした話題の回で、面白かったのだが、こういう利用の仕方がこれから増えて、今まで以上にiTMSで散財してしまいそうだ。

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ダン・ラザー、今日「イブニング・ニュース」降板

今日の放送をもってダン・ラザーは「CBSイブニング・ニュース」を降板するのだが、CNN(AP)の記事によると、有終の美とはいかなかったようだ。

  • 3大ネットワークのニュース番組どうしの視聴率対決では、NBCの新人、ABCに次いで大差の3位
  • CNN/USA Today/Gallupの世論調査によると、「ラザー氏の発言のすべて/ほとんどを信じる」とした人は、2年前の34%から23%にダウン
  • この日、CBSではラザーの仕事を回顧する特番を放送する予定だが、ミシガン州のある系列局では、ラザー氏に対する批判の電話が多くあり、局のウェブサイトで「ラザー特番を放送すべきか?」というオンライン世論調査を実施。結果によっては放送を取りやめるとしていた。(この放送局のサイトに行ってみたところ、「当局の意図が誤解されてしまった。ラザー特番は予定通り放送する」との告知が。)

後任についてはまだ発表されていない。CBSの社長のコメントによると、複数のアンカーマン体制なども検討されているようだが。
 ラザーゲートについて、特に付け加えることはない。ラザー氏はまだ「あの文書の信憑性についてはわからない」などと言っているようだが、アメリカのブログの歴史において、ブロガーあるいはブロゴスフィア総体として最も効果的に機能した事件のひとつとして記憶されるだろうということは間違いないだろう。
 ※ラザーゲートについては拙ブログのこのエントリなどを読んでみて下さい。

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March 08, 2005

「結局ブッシュは正しかったのか?」(英インディペンデント紙)

時間がないのでメモするだけなのだが、これどうよ。
Was Bush right after all? (The Independent - UK)
Via Instapundit. レイノルズ教授、先日からレバノンのデモを詳しく追っている。というか、美人女性のデモ参加者の画像、最近多すぎ。(参考)ともあれ、イラク、パレスチナの選挙実施、パレスチナ情勢の交渉進展に続いて、この時期のシリアのレバノン撤退ということで、英メディアの風向きが変わってきているということか。 Instapunditの記事に貼ってある新聞1面のスキャン画像が誇らしげではある。
それから、これも。Springtime for Mid-East Democracy? (BBC)

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March 07, 2005

ネット躍進の陰で政治ニュースの読者激減の米新聞界

覚え書き程度に。
Bad news or really bad news for newspapers? (danieldrezner.com)
日本では「政治ニュースの入手先、ネットがラジオ超える=米調査」と報じられたが、この記事の元になっているPew Research Centerの調査結果を読むと、この10年間で政治ニュースをインターネットから入手する人々の割合が3%から18%と増加した一方、紙媒体の新聞と答えた人は60%から39%に激減している。まあ、インターネットをニュース源とする人のうち43%はcnn.comやnytimes.comのような大手サイトを訪れるとしており、新聞社の危機というよりは、Pewの中の人が言っているように、新聞社の重役たちは "Newspaper people" から "contents people" へと自己イメージを変革すべきだということのようだ。

いっぽう、政治ニュースに関していえば、3分の1の人が「新聞・テレビには欲しい情報がない」、また11%の人々が、「インターネットには他では得られない情報がある」、と答えている。これらの層がブログやインターネットサイトに向かう率が高い、とこの調査は伝えている。大きな眼で見ればブログやインターネットの政治言論への影響力はアメリカでも限定されているが、ネットが既成メディアへの不満をベースにニッチを形成していることが明らかになった。

アメリカのメディアの見取り図の印象を大まかに書いてみると、インターネットを取ってもブログの他にPodcastingがどこまで定着するかなということもあるし、また、衛星ラジオ (XMやSiriusといった有料・衛生ラジオ放送を使えば、月$10くらいで百数十チャンネルの音楽・トークなどを聴ける)やフリーペーパーなどの動向も見逃せない。特に、衛星ラジオは、アメリカのようにラジオが生活に浸透している一方、土地柄ラジオの受信域がアメリカ全土のほんの一部しかカバーできないという事情があり、意外と根強いと思われる。一方、TVについては、アメリカの場合ケーブルTVの普及率が高いのだが、最近はデジタル化が進み、DVRなどの普及度が上がっている。衛星放送ではTiVOなどのサービスがある。オンデマンドということでは、ケーブルTVでは昔からあったわけで、それに加えてDVRの普及で自分の好きなときに好きな番組を観るというライフスタイルが定着しつつあるが、その次というのはなかなか見えない。アメリカでデジタル・ライフスタイルを引っ張る形のApple社も、音楽はiTunesが一人勝ち状態だが、なぜか映像・ビデオには手を出す気配がない。さて、どうなるのか。

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アメリカではBlogが選挙資金規制法の対象に

The coming crackdown on blogging (news.com)
記事は、現在連邦選挙委員会(FEC)の委員を務めるBradley Smithのインタビュー。ちょっと物々しいタイトルが付いているが、要するに、2002年に成立した選挙資金規制法(マケイン=ファインゴールド法)から、インターネットに関する例外条項を破棄する判決が出て、FECでも民主党員の委員が支持したことにより、Blogなどのインターネット・サイトにおける政治活動を「献金」または「政治活動」として規制するための準備が進んでいるらしい。このインタビューによると、選挙中に候補の発行した文章や素材を使うことはもちろん、選挙サイトにリンクを張ることも選挙資金規制の対象となるようだ。

 リンクを張るという行為は、支持を表明したり選挙運動を助けたりという意味だけでなく、反対したり時には「晒し」たりするという意味も持つこともあるわけだが、それも政治活動または献金と見なされるのだろうか。また、「ブロガー」が、ジャーナリストと同じ特権(報道関係者の例外規定)を得られるのかどうか、ということも争点の一つになっている。インターネットには様々なサイトが存在するから、まずそれをどう分類するかということが当然問題になる。ともあれ、もしネット上の政治言論が選挙資金規制法の対象になるとするならば、ネット言論の規制の第一歩と言ってもよく、当然ながらブロガーの関心も高い。(news.com記事へのトラックバックはこちら

関連記事:F.E.C. to Consider Internet Politicking (NYT) こちらの記事では「(一般人のブロガーなどは)心配することはない」という民主党の委員のコメントを載せているが…。

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(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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