むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

March 20, 2005

海外から見る「日本の保守派」の風景

竹島問題、また歴史教科書問題などをめぐって、保守系のブログが盛り上がっているのだが、今回は、日本の保守派には日本の外にはあまり味方がいない、という話をあえてしてみたい。

NHK・朝日問題の発端となったNHKの番組が放送されたとき、放送が政治的圧力を受けたのではないか、という疑惑はかなり早い時点からあった。それで、アメリカの日本研究の研究者の間で、そのような不当な圧力に抗議しましょう、ということで、署名運動が起こったことがあった。私のところにも回ってきたが、署名はしなかった。

その時の声明と署名はこちら。この数ヶ月のNHK・朝日問題をめぐる論争を受けて改めて見ると、釣りに引っかかった人達のリスト、という風情もあるが、ここに署名をしている人達を見ると、若手・ベテランを問わず、有力な研究者が名前を連ねている。この人達は、事実をチェックしたのかなあ、という疑問とは別に、「人民法廷」の意味とか、放送の編集における政治的圧力の意味とか考えて署名したのかなあ、と思うのだが、逆に言えば、このような文書に署名する大学教授・院生がこれだけいるということの意味は考えた方がいいと思う。

もう一つ、身近な体験から。
ある日本の近代史関係のイベントで、「従軍慰安婦」をめぐる映画を見たことがあった。韓国系アメリカ人制作のこの映画、「ドキュメンタリー」ではあるが、演技過剰気味の再現映像を多く交えていて、とても事実に基づいた公正なドキュメンタリーとはいえない代物だったのだが、これに、「つくる会」の、藤岡信勝教授と西尾幹二教授が登場する。発言自体は、日本でも主張されている内容と同じものだったのだが、ここではそれは問題にしない。むしろ、演出が問題だ。
 お二人が座っているのは、殺風景な、会議室のような部屋。お二人は、やや疲れ気味の表情なのだが、カメラは少し引いた固定アングルからツーショットを撮り続ける。プロフェッショナルな雰囲気は全くない。
 一人(どちらかは忘れた)のクロースアップ。汗をかいている。言葉が詰まり気味になる。
 このような映像で、「従軍慰安婦は『従軍』ではなく…。」とか、「彼らは売春婦で…」という発言を聞くと、一般人には歴史修正主義者とはこのような姿をしているのか、などと思う人も多いのではないかと思う。こんな映像を撮らせてしまうなんて、「つくる会」にはPR担当がいるのだろうか? と思ってしまった。

いわゆる歴史問題などの問題は、アメリカでも日本でも、出来れば関わりたくない種類の問題ではある。関わったら関わったでいろいろと面倒なことになるのは目に見えている。しかし、この手の問題を看過することにより、取り返しのつかない事態になることもある。たとえば、前に書いたように、『レイプ・オブ・南京』が出たときに、専門が日本の歴史家が批判出来なかったことによるダメージははかりしれないと思う。そういうとき、どう行動したらいいのだろうかと思ったりする。

このように、日本国内の言論と海外の日本研究における日本像のギャップを思うとき、心に引っかかっている一つの文章がある。
シカゴ大教授のノーマ・フィールドが著した『天皇の逝く国で』という本がある。昭和天皇が崩御した1989年に日本にいたフィールド氏が、本島長崎市長、夫が靖国神社に祀られることを拒否した妻、沖縄で日の丸を燃やしたスーパーマーケット店主などに話を聞いた書いた本だ。この本、実はアメリカの大学ではよく授業で使われていたりする。

この本で、本島市長に送られた手紙が多く紹介されているのだが、そのうちの一つ、ある神主が書いた「お決まりの反論」について、著者は次のように書いている。

冷静な論証の口調でありながら、議論の土俵をすりかえていく論法からすると、この筆者と議論するのは困難だろうと察せられる。天皇の開戦の宣言は忠実な立憲君主としての行為であるという彼の最初の主張はーーこれは完全に西洋近代の考え方に立っているーーそれに続く論点によってたちまち土台を掘りくずされてしまう。あとのほうの主張全体を支配しているのは、日本人たることが意味するものへの揺るぎない感覚なのだから。それでいてこの議論自体に、下部・上部構造というマルクス主義の語彙が援用されている。幾世代もの日本の思想家が身につけてきたとおり、日本を西洋近代から救出する努力それ自体が、西洋の道具、とりわけそれらを定式化するのに使われる哲学概念と言語によって、避けがたく汚染されている。 (『天皇の逝く国へ』p.248 )

この一文を読むと、私は途方に暮れてしまう。
 一見、この文章は、日本の保守派によくある、「議論のすり替え」に対する批判とも思える。確かに、日本の保守派の議論というのは、「国益」とか「人権」などという概念をその場の都合がいいときだけ援用することがある、という批判は免れないと思われるときがある。この点は、日本の保守派の言論を、日本の論壇の文脈から外に出したときに明らかになることが多い。歴史教科書問題に加え、最近議論になっている、外国人参政権の問題、竹島問題の保守側のトーキング・ポイントを見ると、全体として一貫しない意見の寄せ集めであることがある。それは国内では通用するが、一度日本の文脈から外に出したら、議論の一貫性を問われるだろう。その意味で、この批判は、日本の保守派の言説のひとつの有効な批判になっている、と私は思う。

しかし、「日本を西洋近代から救出する努力それ自体が、西洋の道具、とりわけそれらを定式化するのに使われる哲学概念と言語によって、避けがたく汚染されている」としたら、いったいどうしたらいいのだろうか。彼女の議論の論理的な帰結を考えたら、その「汚染」は、「日本を西洋近代から救出する努力」というより、それを含む日本近代の言論、ひいては「日本の近代」という体験そのものの宿命になりはしないのだろうか。また、もしそうだとしたら、「日本の近代」というのは、常に借り物でしかありえないのだろうか。いっそのこと、その「借り物」感を全肯定できればいいのに、という気もするのだが、ああ、それは出来ない気がする私は何なんだろう。そんなことを言ったら、誰の「近代」が「借り物」でない、と言えるのだろうか。また、日本の近代に語られた言葉の総体を想い、現在あるその英訳を想うとき、確かにそれは「借り物」的オーラを放出しているのだが、だからといって、その言葉の重みを無視する訳にはいかない気がする。映画 "MISHIMA" で、三島が、東大学生たちに向かって語っていた、「君たち、僕はもう、ここまで来たら意地だ」と言う言葉を思い出す。
 私は、フィールド氏の文章は正しいと思うが、また同時に、そのあまりの正しい言説を(そのあまりの正しさ故に?)認めたくない気持ちもある。私は、正統であり・確かである「西洋の近代」という基盤に立っている著者が、あいまいであやふやな基盤にある「日本の近代」を見下して、軽蔑しているのではないかと思うし、その軽蔑にどうしても反発してしまう。それゆえ、この本で軽くいなされている、論理的には圧倒的に不利ないち神主(というか、彼が代表するもの)の味方をしたい、と思ってしまう。とはいえ、アメリカの学会では、このような声の味方は少ない。この状況については、いろいろと根本的に考えていく余地があると思うのだが、別に短期的な解決があるわけではない。まあ、私はヘタレなので大きな声では応援できないが、小さな声で、こっそり応援を続けていきたいと思う。

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March 12, 2005

ライス国務長官、08年の大統領選出馬を否定せず

Washington Timesの独占インタビュー記事。インタビュー全文はこちら。(via Althouse
もちろん、むちゃくちゃ気の早い話なのだが、ライス国務長官、フランスやドイツなどでの受けもいいし、早くも2008年の大統領選に対する期待が幅広い層で高まっている。このロング・インタビューでは、大統領選でリトマス試験紙になる中絶問題について答えている。

ポイントとなる部分については、Althouseのエントリを参照して欲しいのだが、「私は深い宗教心を持っている」という反面、政府が中絶問題に介入することに関しては反対ということで、pro-choiceのスタンス。pro-choiceで、共和党の支持を得られるのか? と疑問視する人もあろうが、自分の宗教心に触れながら、政策的にはpro-choiceというようなバランス感覚は、実にアメリカに幅広く受け入れられそうなスタンスではある。少なくとも、自称穏健派のAlthouse教授のテストはパスしている。

あるアメリカ人の友だちに、「ライス国務長官が大統領に立候補するかもしれないってさ。どう思う?」と聞いたら、バリバリ民主党支持者の彼は、「そうだね、彼女ならアフリカン・アメリカン票を半分は取れるし、女性にもアピールできる。共和党にとっては理想的だよね」などと分析していた。政策とか人柄じゃなくて、票田や利益団体にどうアピールするかで考えるあたり、なんかアメリカ人が総カール・ローブ化しているのかなあ、と思ったのだった。

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March 11, 2005

保守とリベラル in 日本/Political Compassと日本のブロガー

例のPolitical Compassの件。
主な日本のブロガーについて、shibudqnさんがまとめて下さってます。GJ!

他に、私が気がついたブロガー関係で、メモ。以下、Economic / Social の順で。(ちなみに私は 0.50 / -2.21)

左右軸が、経済問題。(弱者救済<=>自由主義)

上下軸が、社会問題。国家・権威主義が上、リバタリアンが下。

○4分割の図で右下
svnseedsさん@ svnseeds' ghoti! 3.88 / -2.72

○右の真ん中
かんべえさん@溜池通信  3.88 / 1.03
shibudqnさん@DQN_Diary(+ +) 2.00 / 1.03
Tatsuさん@Silly Talk 3.88 / -0.62

○右上
マイクさん@保守思想 4.88 / 3.13

○左上
きぐつさん@きぐつのつぶやき(仮) -4.50 / 2.10

○左の真ん中
adoruk626さん@log -2.38 / 0.46
mumurさん@mumurブログ -3.88 / 0.21
社長さん@社長の覚え書き -3.38 / -0.10
Soredaさん@セカンド・カップ -5.50 / -0.46

○左下
草加耕助さん@旗旗 -5.00 / -5.64 (このテストを日本語に紹介した記事を書かれた方)
standpoint1989さん@小さな目で見る大きな世界 -1.75 / -3.95
Giraudさん@月ナル者 -2.63 / -3.90
らーさん@コリアン・ザ・サード -3.25 / - 2.00
やじゅんさん@世界ブログ -2.75 / -1.44
小倉秀夫さん@IT法のTop Front -2.13 / -2.72
おおやさん@おおやにき -2.13 / -1.90
JSFさん@週刊オブイェクト -1.88 / -2.31
稲葉振一郎さん -2.38 / -2.62
R30さん@R30: マーケティング社会時評 -1.50 / -3.49
id:kanryoさん@霞が関官僚日記 -3.63 / -2.00
山形さん -2.88 / -2.62

○下
kagamiさん@ロリコンファル 0.13 / -3.59
finalventさん@極東ブログ -0.25 / -3.03
むなぐるま 0.50 / -2.21

※訂正などがあったら教えて下さい。なお、これは私的メモであって、「日本のブロガー」全体を網羅的にカバーする意図はありませんのでご理解下さい。追加することはあるかもしれないけれども。

こうしてざっと見てみると、たしかに左下(経済的には弱者救済、社会的にはリバタリアン)という、いわゆる「リベラル」が多い。日本人は、アメリカでいわゆるところのリベラルが多いという傾向はうなずける。なんだ、みんなリベラルブロガーだったのか! みたいな。もちろん、政治思想の問題として日本における「リベラル」概念のねじれ、という問いは残る。
しかし、それ以外の人も多い。2ちゃんねるの「ネットウヨ」が多いことで有名な板でこのテストをしたら左下ばかりでみんなへこんだという話を聞いたが、ブロガーに限って言えば、それ以外の人もけっこういる。ブログの言論というのは多様というべきか、ブログは(日本で)境界的な立ち位置の人も発言しやすいメディアというべきか。

追記:shibudqnさんの、「ブログが炎上する構造の模式図」も面白い。

追記2:山形さんを追加。

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March 08, 2005

「結局ブッシュは正しかったのか?」(英インディペンデント紙)

時間がないのでメモするだけなのだが、これどうよ。
Was Bush right after all? (The Independent - UK)
Via Instapundit. レイノルズ教授、先日からレバノンのデモを詳しく追っている。というか、美人女性のデモ参加者の画像、最近多すぎ。(参考)ともあれ、イラク、パレスチナの選挙実施、パレスチナ情勢の交渉進展に続いて、この時期のシリアのレバノン撤退ということで、英メディアの風向きが変わってきているということか。 Instapunditの記事に貼ってある新聞1面のスキャン画像が誇らしげではある。
それから、これも。Springtime for Mid-East Democracy? (BBC)

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March 07, 2005

アメリカではBlogが選挙資金規制法の対象に

The coming crackdown on blogging (news.com)
記事は、現在連邦選挙委員会(FEC)の委員を務めるBradley Smithのインタビュー。ちょっと物々しいタイトルが付いているが、要するに、2002年に成立した選挙資金規制法(マケイン=ファインゴールド法)から、インターネットに関する例外条項を破棄する判決が出て、FECでも民主党員の委員が支持したことにより、Blogなどのインターネット・サイトにおける政治活動を「献金」または「政治活動」として規制するための準備が進んでいるらしい。このインタビューによると、選挙中に候補の発行した文章や素材を使うことはもちろん、選挙サイトにリンクを張ることも選挙資金規制の対象となるようだ。

 リンクを張るという行為は、支持を表明したり選挙運動を助けたりという意味だけでなく、反対したり時には「晒し」たりするという意味も持つこともあるわけだが、それも政治活動または献金と見なされるのだろうか。また、「ブロガー」が、ジャーナリストと同じ特権(報道関係者の例外規定)を得られるのかどうか、ということも争点の一つになっている。インターネットには様々なサイトが存在するから、まずそれをどう分類するかということが当然問題になる。ともあれ、もしネット上の政治言論が選挙資金規制法の対象になるとするならば、ネット言論の規制の第一歩と言ってもよく、当然ながらブロガーの関心も高い。(news.com記事へのトラックバックはこちら

関連記事:F.E.C. to Consider Internet Politicking (NYT) こちらの記事では「(一般人のブロガーなどは)心配することはない」という民主党の委員のコメントを載せているが…。

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February 26, 2005

若手官僚、留学後の退職多発

若手官僚、留学後の退職多発…費用返還ルール作り悩み (読売)

 入省8年未満の若手官僚を2年間、海外の大学院などに留学させる「行政官長期在外研究員制度」は、行政の国際化に対応する人材を育成する目的で、1966年に始まった。
 2004年は129人が派遣され、制度開始からの派遣者は1910人に達している。
 しかし、90年前後のバブル期のころから、留学後、数年以内に退職する官僚が増え始めた。人事院によると、98年から2002年までの5年間に派遣された506人のうち、2004年10月現在ですでに45人が辞めている。
 退職者の所属は総務省が11人で最も多く、経済産業省、農水省、国土交通省なども目立つ。外資系企業のヘッドハンティングを受けたり、家業を継いだりと、事情は様々だ。「バブル期は企業の引き抜きが多かったが、最近は『官僚に魅力を感じない』という理由も多い」(人事院関係者)という。

是非はともかく、こういう実態は多くの人が知っていた方がいいんじゃないかなあ。

そもそも若手官僚に海外留学をさせたりして、お金と時間をかけて人材を育てるというのは、その後も長期で勤めるという前提があってのことだが、若い世代の官僚にしては、国家公務員としての特権として受けるものは受けて、明文化されている義務を果たしたらさっさと辞めるというドライな感覚に変わってきているのだろう。そういうつもりだったら、雇う側も、留学先の斡旋をしたり制度的には優遇しても経費は自腹でするか、留学後に何年か勤務するという念書を書かせるとか(奨学金ではそういう制度はありますね)どんどん切り替えていかないと。また、終身雇用の前提が成り立っていないという問題についても、有為な人材は実力主義で中途採用できるようにするとかしていくことも必要だと思う。

官僚で米国の大学院に留学している人は何人か知っているが、最近は普通の留学生と変わらない感性の人が多いと思う。いい意味で実力主義だし、国というバックアップがなくても十分生き残っていけるというか。そういう優れた人材には是非官僚として残っていただきたいのだが、逆に、国家公務員をステップアップのための仕事の一つとして捉えているんだったら自腹で留学した方が楽なんじゃないのだろうか? いっぽう、留学を特権として捉えている人々の話もいくつか聞いた。毎週オペラ観に行ってましたとか。そういうのは私にしてみれば言語道断である。(私のように、民間の奨学金+自費で留学した者にとっては、こういう人達に対しては厳しい目を向けざるを得ない。)それに、官僚の皆さんも世の寒風にさらされる時があってもいいんじゃないの? 

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February 19, 2005

ハーバード大学の総長が「女性科学者」発言で窮地に

今頃になってマイアヒーがぐるぐる(挨拶) (参考

ハーバード大学総長のローレンス・サマーズが、自然科学の分野で活躍する女性が少ない理由について持論を展開したところ、強烈な反論にさらされている。この発言自体は1か月以上前のある学会での発言なのだが、つい数日前に大学側が圧力に負けて発言全文を公開、波紋が広がっている。
 リベラル系のAtriosは、「実際の発言は報道されていたのよりもずっと、ずっとひどいな」とコメント。リベラル・フェミニスト系のブロガーでは激怒している人も。一方、Andrew Sullivanは、彼が辞任したら大学という理想、研究の自由に対する脅威になる、と危惧している

 問題になっている部分を、オリジナルと私訳で引用しておく。

It is after all not the case that the role of women in science is the only example of a group that is significantly underrepresented in an important activity and whose underrepresentation contributes to a shortage of role models for others who are considering being in that group. To take a set of diverse examples, the data will, I am confident, reveal that Catholics are substantially underrepresented in investment banking, which is an enormously high-paying profession in our society; that white men are very substantially underrepresented in the National Basketball Association; and that Jews are very substantially underrepresented in farming and in agriculture. These are all phenomena in which one observes underrepresentation, and I think it's important to try to think systematically and clinically about the reasons for underrepresentation.

There are three broad hypotheses about the sources of the very substantial disparities that this conference's papers document and have been documented before with respect to the presence of women in high-end scientific professions. One is what I would call the-I'll explain each of these in a few moments and comment on how important I think they are-the first is what I call the high-powered job hypothesis. The second is what I would call different availability of aptitude at the high end, and the third is what I would call different socialization and patterns of discrimination in a search. And in my own view, their importance probably ranks in exactly the order that I just described.

科学界における女性の役割というのは、ある重要な役職において特定のグループの占める割合がかなり低いため、そのグループに属する人が目標と出来る人々(ロール・モデル)が少ない、というケースのたった一つにすぎない。いくつか例を挙げると、データが示すようにーーそういうデータがあると確信しているーー我々の社会では非常に年収の高い投資家という職業にはカトリックの人々が少ない。NBAには白人選手は少ない。ユダヤ人で農業に携わる人は少ない。このような、あるグループの割合が低い例があるわけで、その理由を系統的に、臨床的に考えることが重要なのだ。

最高レベルで活躍する科学者に女性が少ない原因について、この学会における論文、また過去の研究によると、大きく3つの仮説がある。それぞれについて順番に説明すると、まず、一つ目は「上級職仮説」[訳注:結婚して子供もいる女性は、高い時間や労力を要求する上級職に就きたがらないのではないか、という説]っである。第2には、高度な仕事に必要な適性の問題[訳注:生物学的その他の理由で、女性には科学に向いていないという説]、そして第3には、社会的な役割づけ、あるいは就職における差別など[訳注:要するに様々な社会的要因]などがある。そして、私見では、この3つの理由は今挙げた順に重要度が高いのだろうと考えている。

要するに、女性の社会進出【追記:特に学内での性別による差別をなくすこと】に責任をもつべきはずのハーバードの総長が、女性の科学者が少ないのは、社会的な差別の構造という理由よりは、まず女性がそのようなきつい仕事を求めないこと、また、生物学的に女性に科学は向いていないことという理由のほうが大きいのではないか、と発言しているわけである。

こういう発言が出てくると、とにかく男女平等の見地から、「生物学的な要因などと言うのは社会的な差別を正当化するもので認められない」という公式的な反論が出てくるのが目にみえるようなのだが、男女の性差、特に専門職などに対する適性などが、生物的な要因によるものか、社会的な要因によるものかというのは、アメリカでもはっきりした研究結果が出たわけではないのではないだろうか。こう書くとあちこちからいろいろ飛んで来そうなのだが、私はこの議論そのものについては専門外なのでどちらがどうと判断することはできないと言っておく。むしろ、この発言でサマーズ氏の首が危なくなるというのは、ちょっとどうかとは思う。この発言を見る限りでは、女性はどう頑張っても科学者になれないと言っているわけでもないし、差別的発言をしているわけでもない。大学という場所では、言論の自由、思想の自由というのは、左右構わず守られなければならない、という見地に立つと、これが「失言」と見なされて辞任に追い込まれるということになったら、アメリカの大学という場所も窮屈になると思う。

一方、ある職種において人種・性別によって割合が異なるということは事実としてあって、それが社会的にいろいろな意味合いを持ってくるというのは、アメリカにおいては見逃せない事実。私だって、「あなたは英語のネイティブ・スピーカーじゃないからアメリカでは大学で就職できません」とかいわれたらイヤだろう。特に、大学という場の特性もあって、むしろネイティブ・スピーカーじゃないことによって教育・研究に寄与できることもありますよ、と言いたくなる。そういう意味では、大学にいろんな人がいた方がいいわけで、女性の科学者には、ブラック・クォーターバック同様がんばれと言いたい。(そういえば、この前のNFLのオールスター・ゲームであるプロ・ボウルでは、NFCのQBがマクナブ、ヴィック、カルペッパーと3人とも黒人だった。3人で並んで撮った映像が印象的だった。

【追記】Washington Postの社説(2/19付け)では、サマーズ氏の発言を詳細に検討しながら、「この件でサマーズ氏が辞職に追い込まれたら研究の自由に対しての脅威となる」と結論づけている。また、過去のサマーズ氏の学内政治における発言(アフリカ系アメリカ人研究学部との対立、終身雇用制度の再検討、学内の反イスラエル運動に対しての発言)などを挙げ、過去に対立した教授がこの問題を通してサマーズ氏の首を狙っている可能性についても言及している。

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February 12, 2005

ハワード・ディーンがDNC委員長に選出

民主党全国委員会(DNC)の委員長に、去年の米大統領選で旋風を巻き起こしたハワード・ディーン元バーモント州知事が選出された。

Democrats Elect Howard Dean as Chairman (ABC News)
他の候補が既に撤退を表明していたため、今日の選出は形式上のことといえる。

DNCとは、党としての選挙戦略・資金集めを担う組織であり、議会・州知事の外にあって党の顔ともなる存在。ディーン氏は、大統領選のときにインターネットを用いた小口・草の根の新しい選挙資金集めの戦略を編み出して勢いのある選挙戦を戦ったのだが、早くからイラク戦争反対を打ち出したり、かなり思ったことをはっきり言う癖がありかならずしも安心できる候補ではないという印象があった。そこで、アイオワ党員集会後の例の絶叫演説がテレビで何度も流れて大統領候補として抹殺された。

これからの民主党の方向性を見る上で、彼がDNC委員長という要職についたことの意義は大きい。
先の大統領選を振り返って、民主党の戦略として、必ずしも中道寄りに歩み寄る必要はない、という声がちらほらと聞かれる。ケリー氏のように、戦略的に幅広い層にアピールしようとして、結局「意見をコロコロ変える」というイメージを払拭できないよりは、思ったことをはっきり言えばいいのではないか、と。ディーン氏選出は、その流れを民主党全体の意思として表明したように思う。

Althouseの最近の記事で、2008年の大統領選にウィスコンシン州選出上院議員のファインゴールド氏を大統領候補に推す、というのがあった。この記事では、ブッシュ大統領、クリントン前大統領、そしてシュワルツェネッガー知事の3人を挙げ、それぞれ政策的な立ち位置も生まれ育ちもだいぶ異なるが、だれも幅広い有権者に訴える力を持っているという。(過去2回の民主党の大統領候補、ゴア氏、ケリー氏には確かにこの資質が欠けていた。)ファインゴールド氏は、上院でただ一人愛国法に反対したりと、かなりリベラルな投票歴を持つのだが、確かに思ったことをはっきり言うし、言ったことは実行する。全国的には、選挙資金規制法のマケイン=ファインゴールド法の起草者としても知られているから、いい意味での知名度はある。アルトハウス教授は中道なのだが、彼ならケリー氏よりはましな大統領候補になるのでは、と言っている。ちなみに、教授は共和党側の候補ではコンディ・ライス国務長官を推しているのだが。ライス国務長官、就任してまだ間もないが、アメリカのブロガーたちの間の人気は上々だ。

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February 09, 2005

日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか

NHK・朝日問題についてトラックバックを頂いた。

祭り、そして対話ということ(Silly Talk)
できるだけ多くの素材と、広い視野から語れるように(NHK番組編集問題・議論の交差点)

この1か月、猛烈に時間がなかった。今もあまりない。そういうわけで、NHK・朝日問題についてはあまりきちんと追うことが出来ていない。巡回するブログでも熱く語られているところがあったが、きちんと読んでいなかった。こうして少し距離を置いてみると、政治オタクかなにか(失礼)でもない限り、そういうあり方のほうが普通なのではないだろうかと思ったりする。その意味では、「議論の交差点」のようなまとめサイトはたいへん重宝する。管理人の方には、これからもご活躍を期待したい。

ざっと見出しを読んでみると、朝日を批判する保守側としては、朝日新聞の見解の矛盾を指摘する論証的な部分では、「鳴かぬなら 鳴いたと書いて すりあわせ」(@圏外からのひとこと)という対応ぶりという点でコンセンサスがあるようだ。いっぽう、最近は、慰安婦関係の集会の主催者と朝鮮総連の関係が明らかになり、こうしてこのタイミングで問題を蒸し返すこと自体に北朝鮮シンパの政治的意図があるのではと指摘されている。 この辺は、朝日新聞の過去の報道姿勢などをみて激しく既視感で、「またか」と思っていたのだが。また、「民間法廷」なるパフォーマンスに対する疑問を提起しているエントリも多い。こういうイベントはパフォーマンスであって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。

いっぽう、安倍氏や中川氏の政治的圧力を指摘するリベラル側は、「議論の交差点」のまとめによると、

リベラル系ブログは、「政治とNHKの関係」に絞って議論する例が多いが、総じて事実関係の確認が甘く、限られた情報のみで結論を断定してしまうものもある。良心的な専門家の中に、「言論の自由」「政治的公平」の概念について突っ込んだ議論が見られる。

ということのようで、そのあたりの議論としては「数学屋のメガネ」の一連のエントリなどが目につく。あと、「おおやにき」の大屋さんが絡んだやりとりなどがある。

振り返ってみると、保守系の議論の流れは、ひとつひとつの記事をきちんと読み込んでいないにしても、見出しを見たり流し読みしたところでだいたい話の流れがつかめていたのに対して、リベラル系の議論はきちんとフォローできていなかったように思う。これはなぜだろうか。私自身、情報の取り方が偏っている、ということもあるだろうが、「議論の交差点」を見渡しても、リベラル系の議論のポイントがうまくまとまったサイトというのはないように思う。これは残念なことだ。このサイトを見渡すだけでも、たとえば放送法の「公平原則」について、現在規定されていることの法的議論、法哲学的な観点、またこのような法的規制の未来(アメリカでは「フェアネス・ドクトリン」は80年代に廃止され、さまざまな視点のニュース番組が乱立する状況になっている)など、じっくり考えてみたい問題は多い。(たとえば、13Hz!のこのエントリでは公平原則の将来について論じている。)また、政治の言論に対する「圧力」という問題は、じつに微妙な部分を含んでいて、事実関係の洗い出し以上の議論が必要、というような議論には考えさせられるものがある。(そういう議論に納得できるか、という問題とは別に、安倍氏の事件当初の発言などを見ると、議論がそっちの方向に向かった場合の危険性を十分認識しているとは言えると思う。)

トラックバックを頂いた「Silly Talk」の記事のコメント欄で、左翼にしっかりした論客がいない事が問題だ、というのがあったが、論客がいない、というよりは、論点を簡潔にまとめたりする編集技術とか、レトリックを備えたハブサイトがないのではないだろうか。それに比べて、保守系のサイトは、そういう編集技術に優れたサイトが多いという印象がある。また、リベラル系のサイトを読むと、重要な論点はそこにはあると思うのだが、意外と「感性」とか「センス」とかに依拠した議論が目立つ。リベラル系の人達は自分の感性に合わない議論は拒絶しているのかなあ、という印象がある。これは、個々のサイトというよりは私のおおざっぱな印象なのだが。

アメリカ政治の問題について、リベラル系の動向を知ろうと思ったら、The Nationのサイトを見るとか、ブログではKos, Atrios, Talking Points Memoをざっと読むとかの方法がある。日本の場合はどうだろうか? 

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December 28, 2004

Amazon.comでインド洋津波救援金を受付

アメリカ赤十字社がamazon.comのオンライン決済を利用してインド洋津波の救援金を受け付けています。(via instapundit) このサイトで面白いのは、救援金総額がリアルタイムで表示されること。今のところ、1時間に10万ドルくらいづつ増えている模様。
日本の方はこちらから。(via: kagamiさん

今回の事件は想像を絶するレートで死者数が増大しており、これからも伝染病・水の汚染などによる二次災害が懸念されています。アメリカでも、ニュース番組などでその被害の大きさが連日伝えられています。何か出来ることは…と考えさせられます。

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December 25, 2004

The Hookie Awards

拙ブログも今日をもって20万PVを達成致しました。読者の皆さんにはこの場を借りて御礼申し上げます。
4月にTypepadに移転してからの累計ですので、総アクセス数ではR30さんのところとほぼ同規模と言うことになりますか。

さて。

Op-Ed Columnist: The Hookie Awards (NYT)
NYT コラムニストのデーヴィッド・ブルックスが、「2004年に書かれた最も重要なエッセイ」を独断で選んで自分で創った賞 "The Hookie Awards" を贈っています。個々のエッセイには目を通していないのですが、ブルックスのコラムのほうをご紹介。散人先生が「無断転載」しているファローズのエッセイもこの賞の受賞エッセイです。ブルックスらしく、社会における Public intellectual の役割などを力説しておりますが、アメリカの政治・経済・文化エッセイを読むと、「反知性主義の国」というレッテルがいかに表層的なものかを感じさせます。

【追記 12/27】第二弾が出ました。「冬休みの宿題」ということで。

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December 15, 2004

ネオコン・クリストルのラムズフェルド批判

今日のワシントン・ポストのオピニオン欄に、ネオコン系雑誌 "The Weekly Standard" 主幹のビル・クリストルがラムズフェルド国防長官を名指しで批判している。
The Defense Secretary We Have (Wash Post)
イラク戦争の遂行上の諸問題はともかく、その大義については100%支持してきたクリストルからの批判ということで、その内容というよりはネオコン論客の動向として興味深い。早速、ケーブルTVの政治番組の "Hardball" でも特集を組むようだ。

ラムズフェルド氏は、先週、クウェートを訪問したときに現地の兵隊から「装甲車の装甲が足りない」と直接質問を受けたことで批判の矢面に立った。この場面、テレビで何度も放送されたのだが、質問の後に聴衆の軍人たちから拍手が起こったり、彼の解答が「軍人とは手元にある装備で戦うものだ」と、事実上「文句言わずに黙って仕事しろ」という内容だったりして、現在の現地の兵隊たちの不満表明という意味では、非常に象徴的でわかりやすい映像だった。

で、クリストル氏の論点だが、装備や備品の不足、地上兵力の不足など、この戦争にかかわる失政についてラムズフェルド氏がまったく責任を取らない、という一言にまとめられる。上の問答のラムズフェルド氏の言葉を引きながら、計画遂行について陸軍にまかせっきりで、失敗については責任を取らないという態度が、言葉の端々にまで表れている、という。

また、現在のイラクの混迷の原因は、戦闘が終結した時点で十分な兵力をつぎ込んで治安安定をしなかったからだ、と批判している。このての批判は、イラク戦争開始から懐疑的だった、たとえばハワード・ディーンのような人たちではなく、戦争自体には賛成していたジョー・リーバーマンなどからよく聞かれたものだが、クリストル氏のような立場の人が軍事思考の根本的な差異をこのような形ではっきり提示しているというのは興味深い。(ちなみに、リーバーマン氏は現政権2期目の本土防衛長官や国連大使に名前が挙がっているが、本人は拒否しているらしい。)戦闘が終わったころは、ハイテク兵器を駆使して最小限の兵力でミッションを遂行するラムズフェルド氏のドクトリンが賞賛されていたのだが、今振り返ると、戦後の混乱はその辺りの根本的な軍事思考の違いから出て来ているということだろう。ともあれ、ラムズフェルド氏の味方はホワイトハウスの外にはほとんどいないということを感じさせる。

さて、そのホワイトハウスだが、民間人に与える最高の栄誉である「自由勲章」を、

  • 9/11についての情報を断片的に得ていながら阻止できず、イラクの大量破壊兵器疑惑について「スラムダンクですよ(間違いない)」と言ったテネット前CIA長官
  • イラク戦後、「兵隊は足りていますよ」と言い続けたフランクス前中央軍司令官
  • イラク戦後統治の責任者であるブレマー行政官

の3人に与えると発表。揃いも揃って、現在のイラク情勢に責任のある人々を選んだ。テネット氏はイラク戦争の諜報活動失敗の責任を取らされたと思っていたのだが、結局そうでもないらしい。クビにできないとしても、何も最高の勲章を与えなくても、と思うのだが、現政権は、失政したら責任を取らせるという思考とはまったく別のロジックで動いているらしい。これがあと4年続くと思うと少々うんざりという気もしてくるのだが、上下院も共和党が握っている現在、民主党の動向よりも、共和党内が分裂するかどうかが鍵になってくる。その意味でも今日のクリストル氏の発言が注目を集めているのだろう。

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November 30, 2004

国連アナン事務総長と有名ブロガー

国連アナン事務総長退任まであと二手(極東ブログ)

石油プログラムの汚職事件に絡んでアナン事務総長の立場がかなりやばいという話。スキャンダルが辞任に値するところまできていることに異論はないのだが、このWSJの記事の著者が、ラザーゲートで旗振り役を演じた有名ブログ instapundit.comのブロガー、グレン・レイノルズ教授というのは頭に入れておいたほうがいいかもしれない。彼は国連のOil-for-Food program についてはかなり執拗に追っかけていた。ラザーゲートとの共通点は、ある意味、イラク戦争の裏ネタでアメリカの大手メディアに乗りにくい話題と言うことといえるだおるか。

ここでチェコのハベル元大統領の名前が出てくるのは、ウクライナ情勢でポーランドやチェコなど旧東欧諸国の対応にスポットが当たっているということと関係がある。ワレサ議長は「民主化」の名の下にユシチェンコ派を支持しながら「しかしこのことは(他国の介入ではなく)あなたたち国民が成し遂げなければならない」という微妙なメッセージを送り、ハベル氏は再三野党候補を支持する人々を応援する声明を出したりしている。レイノルズ氏のような人には、このケースも、イラク戦争でアメリカ支持にまわった「新しいヨーロッパ」諸国と、事なかれ主義で腐敗している国連やフランスという対比が見えるのだろう。この記事では「ハベルを国連総長に!」という声が聞こえる、とあるが、instapundit.com 系の右派ブログが中心だと思う。この数日のinstapundit.com ではこの話題を扱うブログへのリンクが張られていた。ここにもブロガー対大手メディアの対決の余波が見えるということか。しかし、レイノルズ教授は言ってしまえばいちブロガーであり、つい最近までは大手メディアへの露出は少なかったが、先日は英ガーディアンのサイトで米大統領選コラムを連載したり、今回はWSJのOp-Ed登場と、だんだんメジャーになってきた。

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November 26, 2004

ウクライナ情勢〜革命はブログに記録される

"The revolution will be blogged." というのはandrewsullivan.comのトップページに掲げてあるあった言葉なのだが、現在のウクライナ情勢でも数多くのブログが詳細なレポートを発信している。英語圏のブログで見つけた関連のブログをいくつか記しておく。
Europhobia: ここ数日の出来事をほぼライブで伝えている。事態の進展がよくわかる。
Le Sabot Post-Moderne, TulipGirl, Neeka's Backlog: キエフからのレポート。デモのフォトログも。
A fistful of Europe: まとめ記事。リンクも多い。

これらのブログを読む限りでは、野党候補のユシチェンコ氏への支持の熱気が伝わってくる。例えば、上にあげた "TulipGirl" に載っている、著者の友人からの手紙:

"Quite recently I didn't believe that my people able to resist to violence and humiliation. 2 month ago I guessed that I live in the worst country in the world. I was oppressed when I could not see a dignity in my fellow citizens, that I could not see the willingness to freedom and happiness in them. I considered that there is no passionaries in my country, and even when they appear all the rest start make propaganda: "they just have nothing to do" or "they just want to take the power". And for me there was obviously the main difference between Ukrainians who says "What can I do?..." and for example Americans who says "Just do it!" I hated that strong negative feeling rising in me every time when I saw alcoholics or drug addict urinating at doorway, when I saw students who are timid to reject an extortion of theirs corrupted professors, when I saw animal obedience of journalists and governmental administrators to theirs masters who even does not paid them enough.

November, 22 I started to be really proud of my co-citizens. Now I can see that them are not passive mammals who want just to dig comfortable burrow, to generate they own posterity and to finish life in poverty, pretending that there is no another way. Since November, 22 there was not a crowd on the main square of my country. It is the PEOPLE. It is the NATION. Love, faith and hope filled up a whole space of capitol of my country and warm these people who spend the nights on the frost snowing street instead to lie down on the sofa and watching the "pocket" TV channels and chewing sausage…

And now I know for sure that there are a lot of us. But we are not only the force able to be the opposition to a criminals and cads. It can not be enough for me, I think. We are the people in the most exalted and humane sense of this word. And not only number turns us to be the force, but exactly these LOVE, FAITH and HOPE which live in everybody now.

Ukrainians, I am happy that I was so wrong about you before!"

キエフのデモの参加者を読んでみると、冷戦終結後に見られた「民主化」デモと同じような雰囲気が伝わってくる。現地情勢の背景について私はよく知らないのだが、チェコ元大統領のハベル氏がデモ参加者にエールを送った(参考)ことが一つのバロメーターにはなっていると思う。また、ウクライナの地政的な位置づけから、この情勢をロシア・EU・米国などの外交的な駆け引きのなかで捉えることももちろん重要だろう。(極東ブログの記事はそのようなスタンスで書かれている。)しかし、ワシントン・ポストの社説では、ロシアと西側のウクライナへの影響力をめぐる綱引きという見方を「大きな歪曲」としている。人々が厳寒のキエフの夜に4日連続でデモに参加したのは、自由なマスコミや民主的に選ばれた政府のためであると。(さらに、この社説では、民主化と言うことで筋を通すならば西側はプーチン氏と袂を分かつべき、と書いているのが興味深い。)地政的な情勢を前提にしつつも、民主的なプロセスという視点に立ってあえてスタンスを取っている。たとえば朝日新聞はこういう社説を書くような新聞を目指したらいいのではないだろうか。また、ハベル氏の発言を紹介しているinstapunditの読者からは「ハベル氏を国連総長に!」という声が上がっているのも面白い。レイノルズ教授は国連のoil-for-foodプログラムの国連腐敗疑惑については徹底的にフォローしてきた。つまりは、アメリカで国連に不信感を抱き、イラク戦争を支持するような層は、このような時こそ国連が仕事をすべき、と考えているということだろう。イラク戦争以来、「民主化」「自由」という言葉も、アメリカの国益の隠れ蓑になっているという側面に焦点が当たっているが、それはそれ、これはこれと考えられないだろうか。

もちろん、ブログだけを読んで客観的な情勢把握ができるわけでもない。特に、英語で発信するブロガーは現地の米国人や親米的なウクライナ人(またはその声を代弁する人々)だから、情報が偏っている可能性はある。また、現地のブロガーの多くはユシチェンコ支持に回った国の西側にあるキエフから書いているようで、ヤヌコビッチ氏の地元のドネツクでは氏が根強い支持を得ているという報道(BBC)もある。しかし、現在のキエフの情勢のように、マスコミは与党のコントロール化にあったのが、ストライキやボイコットにより野党側の声を伝え始めている、という情勢の中で、このように現地の人の声が聞けるというのは興味深い。また、民主化支持の署名活動なども始まっており、これらのブログはそれらの活動の広報・宣伝に一役買っているようだ。英語圏のニュースソースでは例えばBBCなどがかなり包括的に情勢を伝えているが、ブログも独自のニュースソースとして他のメディアでは得られない情報を発信していることは確かだと思う。

ふと思うのだが、日本人が英語で発信しているブログがいくつあるのかな、とは思う。現在キエフで起こっていることが東京で起こるとは考えにくいが、たとえば何か国際的に関心を呼ぶ事件があった場合、地元の視点から英語で発信するということは、かけがえのない価値があると思うのだ。日本のブログの現在をめぐる状況に関して、私自身も含めてそれこそ超どうでもいい議論が続いているが、日本のブログ(というか、日本のメディア全体)が英語圏、あるいは他の言語圏のメディアに開いていないというのがひとつの大きな課題だと思う。それは、英語などで手に入る情報が日本語のメディアに流れないということもそうだし、日本語圏から英語圏に発信することが少ないということでもある。どちらにせよ、英語がデファクトの世界公用語である以上、そこに流れている情報、あるいはそこに通底する価値観の体系のようなものに日本語の世界をどうつなげていくか、というのはとても重要な課題だと思う。

【追記 11/30】"The revolution will be blogged" という言葉は、前はandrewsullivan.com のトップページに載っていましたが、現在は別の言葉が出ています。今載っている "Freedom means freedom for everyone." というのは、チェイニー副大統領のゲイの権利擁護発言の言葉ですね。

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November 23, 2004

ダン・ラザー、3月に「CBSイブニング・ニュース」降板へ

Rather to leave anchor desk in March (CNN)

 今日、ラザー氏自身が3月をもって「CBSイブニング・ニュース」を降板することを表明。これからは『60ミニッツ』(日曜・水曜版両方)の特派員としての役割に集中するとのこと。後任は未定。
 ラザー氏からはメモ疑惑(ラザーゲート)についての言及はなしだが、他のメディアは当然ながらその関係についていろいろと言及することだろう。メモ疑惑についての調査結果の発表も間もなくありそうだ、ということ。
 一つの区切りなのだが、「パジャマハディン」ことブロガーたちとの関係では、もう勝負はついていたという気がする。でも、メモ疑惑で問題になった『60ミニッツ』のほうは辞めない、というのは、これはスキャンダルの責任を取っての降板、ということではないのだろうか。ラザー氏が平気な顔をして『60ミニッツ』に登場したとき、ああ何も変わってないんだな、という実感がわくことだろう。
 『60ミニッツ』の報道は、リベラル偏向などの批判もあったが、私は調査ジャーナリズムの模範の一つと思っていたので、はやくそちらの方の信頼を回復してもらいたいと思う。しかし、『60ミニッツ』の面子もお年寄りが多い。アンディ・ルーニーとか、最近はお小言を聴いているような印象しか受けない。チャーリー・ローズあたりを中心に据えて世代交代しないと。

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November 05, 2004

「政治的資本」

ブッシュ大統領が再選が決まって初めての番記者との記者会見。「すべての人々に手をさしのべます。あなた達記者も含めて」と冗談を飛ばすなど、余裕と自信に満ちた会見
 日本のメディアでは、「国民に団結呼びかけ」(読売)「対テロ戦争を最優先」(朝日)などの見出しが付いているようだが、アメリカのメディアで一番注目を集めたのは、「私はこの選挙で政治的資本(political capital)を稼いだ。それをこれから使うつもりだ」("I earned capital in the campaign, political capital. And now I intend to spend it.")というフレーズ。

このフレーズにより、大統領は、この選挙によって国民の信任と負託を得たという認識を示し、大胆に公約を果たすと約束した、と解釈されている。今回の選挙は接戦だったが、純粋な票数で過半数を得られず、最高裁のアシストもあって選出された2000年のときと比べ、今回はケリー氏に300万票の差をつけて、1988年以来初めて総投票数の過半数を得た大統領となった。いま国民が分裂しているという現状を鑑み、国民の団結を優先して中道・穏健な政策を優先して実行していくというチョイスもある。しかし、今日の記者会見は、「選挙で信任を受けたんだから、今まで通り自分流でやりますよ」という宣言、という理解をされている。
 昨日の「私的総括」では、ケリー氏支持のリベラル派から歩み寄る必要について書いた。それについてコメント欄で、「では逆はどうか」、つまり現在の分裂状態の責任は保守側にもあるのではないかという意見をいただいた。それはまったくその通り。特に、現大統領は、一度決めたら頑固に意見を変えないし、自分の世界観に合わない現状は無視する。また、彼を支持する人々も、何かあると「リベラル・メディアの陰謀」と言うだけで、建設的な議論にならないことが多い。これからの4年間は、上下両院も最高裁も共和党多数で、権力のチェックがない。だからこそ、ブッシュ氏にも謙虚さが求められるのだが、リベラル系ブログなどでは今日の様子を見てすでに悲観視している見方も出てきている。「国の団結を優先して穏健な政策を」という見方自体が現実離れしている、ということか。どちらにせよ、民主党としては厳しい現状に追い込まれた。これをきっかけに民主党は自己改革できるのか、どうか。そのへんの議論もすでに始まっている。ケリー氏支持者の間では「これから」を議論している人が半分、がっくりきている人が半分という感じ。

 昨日の「総括」に補足。アメリカ人はなぜブッシュ氏に投票したのか、についての記事をご紹介しておく。資料的価値が高い記事だと思う。

Why did you vote for Bush? (BBC)
英国BBCで、アメリカの人々に問いかけた結果を発表。ブッシュ大統領の「信仰」に反応しているものもあるが、マイケル・ムーアやハリウッド、リベラルなメディア、そしてヨーロッパの世論に反発して決めた、というのも多い。今のアメリカ人のムードをよく表しているかもしれない。昨日のエントリでは「福音派」を悪魔化するのはやめよう、と書いたが、敬虔なクリスチャンがアメリカには多いのだな、という印象は受ける。それがどれだけ政治組織化されるか、というのはまた別の問題だが。

GOP Won With Accent on Rural and Traditional (Washington Post)
オハイオ州での選挙運動についてのリポート。共和党では、激戦州などを中心に11州で「同性の結婚を禁止する決議」を住民投票にかけた。もちろん、マサチューセッツで同性婚を認知するという州最高裁の決定に反発してのものだが、このような保守系の市民が反応しやすい議決を住民投票にかけることにより、「この決議に投票しましょう」と呼びかけたという。そして、住民投票が目的で投票場に足を運んだ人々がついでにブッシュ氏に投票する、という作戦だったらしい。ケリー氏もオハイオでは相当頑張ったが、及ばなかった、ということ。
 しかし、共和党の、保守から中道のアメリカ人の道徳的危機感に訴えるという戦術は、メディアではほとんどノーマークだった。私自身、こういう動きに気づいていなかったのは盲点だった。しかし、だからといってアメリカの大部分の人々を極右扱いすることへの疑問は変わらないが。

最後に、面白かったコラムから。ふたつの対照的な視点。
Two Nations Under God (Tom Friedman - NYT)
America's Shifting Reality (George Will - WaPo)

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October 29, 2004

自国の歴史の「切り離し」を生きること

連続と切断、内なる歴史をどうするか。」(fenestrae)

fenestraeさんのブログで私の南京事件についてのエントリについてコメントを頂いた。そこからリンクされている「過ぎ去ろうとしない過去」のエントリなども含めて、特に欧州における史観論争についての歴史的経緯が精確に提示されていて、勉強になった。(私もブログとはいえもう少し緻密に書こうかと反省している。)あまり時間がないので簡単になってしまうが、これらのエントリを読んで思ったことを書きたいと思う。【註:少しあわてて書いたので、後で読み直して修正するかもしれません。まあ、はやくお返事したかったから、ということでご寛恕を。】

まず、歴史問題の扱いについて北米と欧州は区別して考えるべきというのは、おっしゃる通りだと思う。ドイツのシュレーダー首相が昨夏ワルシャワでした演説というのは、確かに日本の対中国の関係やアメリカの対ベトナムに置き換えて想像してみると、かなり踏み込んだ発言ではあると思う。日本の対外関係を日米関係中心に見ることに関しては注意すべきだと私も思っているので、その点については訂正します。

で、「欧米の「戦争責任」論を日本がそのまま受け入れることは、そのような欧米の算段をも一緒に受け入れることだから、そのこと自体も十分に検討する必要があると思う。欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。」という私の発言についてだが、ここでアメリカとヨーロッパ(fenestraeさんの例では仏独)とを切り離して考えると、
1) (アメリカ)日米関係において「戦争責任」論がアメリカのナショナリズム的な言説にからめ取られてしまうという問題
については、これは主にアメリカの学会・メディア、そして日本側がこれにどう関わるかという問題で、私が前のエントリでも指摘した問題はまだ残ると思う。さて、
2) (仏独)仏独の立てている「過去の清算」についての基準に日本が合わせる必要があるのか。そこに算段はないのか。
という問題については、別の問題なのだが、fenestraeさんの文章を読んで考えさせられたので少し書いてみたい。

fenestraeさんの論考では、この問題について、

ここまでは、戦争で他国を占領し被害を与えた当事国の旧敵国との関係を念頭に置い書いてきた。が、実のところは、日本の戦争犯罪の問題、戦争に至るあるいは戦争中の体制のありかたやその中での日本人の行動についての評価、自らの過去を現在われわれがどう評価するかという問題は、むしろ他者との関係よりも自らの問題として考えるべきだと基本的には思っている。

と述べ、さらに、id:jounoさんの

「戦争の主体として大日本帝国を、現在の日本国家のアイデンティティから批判的に他者として切り離し、その連続性を断つということが問われているのだろう」

という意見に賛同しておられる。私も、南京事件の日本国内の事実論争は、たしかにこの「切り離し」をできるかどうかについての代理戦争なのではないかという意味では賛成する。
 しかし、ここで、この「切り離し」をあらゆる犠牲を伴っても強い意志を持って推し進めていくかどうか、という点には議論の余地があるように思われる。言い換えれば、「このような断絶を思想的、制度的に選択することは、民族的、文化的、倫理的な連続性と矛盾するものではない」ということについて、果してそうなのか。fenestraeさんはこの二つを両立することの難しさを認識しつつも、これを断固として機能させていく意志をもつかどうか、が判断基準になると考えていると思われる。一方、日本の保守派の人々にとっては、たとえば大日本帝国を断罪し、現在の日本国家のアイデンティティから切り離すことによって失われるものは大きすぎるから譲れないのだ、と考えているのだと思う。

この意味で、fenestraeさんがデリダの赦しについての文章を引かれているのは面白い。デリダのように、過去の言論の枠組を批判しながらもユニバーサルな言説の共通了解事項を仮定し、またなければ求めていこうという考え方と、そのような「共通了解事項」にまぎれこむ、「多様性」を抑圧するものを批判する考え方が対比されている。デリダの文章が手元にないので読んでから検討したいのだが、少なくともデリダを援用する者、また、後者の立場からポストコロニアリズムの批評家などを援用する者の間では立場の違いがある。fenestraeさんの文章を読んで、私の中ではこのあたりの問題のありかが鮮明になった。たぶん、fenestraeさんと私の立場のちがいはここにあるのだと思う。

ここからは印象批評なのだが、この「切り離し」ができるかどうか、という問題には、多分に個人差があるような気がする。というか、「日本人」の中にも、いろいろな存在のありかたが共存しているというのが実態だと思う。日本人全体に「切り離し」を求める人々は、もうすでに切り離しができてしまっているのではないかと思う。いっぽう、私はどちらかというと、この「切り離し」という事態を実際にやろうとすると自分の生活世界が根本的に変わってしまう、と考える人に共感してしまう。これは理論と言うよりは感情的なものなので仕方ない。こう書くと私があたかも時代遅れの歴史修正主義者のように思われてしまうとしたらそれは残念なことだ。

たとえばこう考えてみてはどうか。「戦前的なもの」というのは、単に思念的なものではなく、われわれの生活世界の行動とか習慣に深く根ざしている。たとえば、唱歌を聴いたらほっとする、とか、正月はやっぱり神社で初詣したい、とか。この文脈で、「戦前的なもの」との「切り離し」というのをどこまで考えるのか。別の視点から言えば、そうした日常の習慣に「政治的なもの」が食い込んでいるとしたら、それを完全に抜き去ったままで「生活」が成り立つのか。また、今までと同じとはいわなくても、新しい世界に生きる喜びが「喪失」感覚を上回るようなことができるのか。これは決して頭の中での史観問題ではない。「切り離し」を断固行うべき、と考える人々は、もしこの「切り離し」が起こった後の世界を具体的に想像できるような仕事をしてほしいと思う。

一方、決定的な「切り離し」を行わずに倫理的な立場を取ることは可能なのだろうか。私には、その可能性も考え尽くされていないように思う。そのためには、結局ヨーロッパの思想のあり方も批判して、ヨーロッパも変わらなければいけないと思う。つまり、ヨーロッパ生まれの社会思想が、一度その歴史から切断されなければいけないと考えている。

もうひとつ。このテの議論をすると、どうしても同じ意見の人々の意見を好んで聴き、違う意見の人を敵視しがちなのだが、二つの立場に共通点がなくても、その間をつなぐ言葉を創る努力は惜しんではならない思う。なんだか考えがまとまらないのだが、矛盾のなかで生きることを可能にするのはやはり言葉だけなのだから、対話が困難な状況でも対話のチャンネルは開いていたいと思う。これは自分自身への覚え書き。

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September 28, 2004

都会が地方を養っているアメリカ

アメリカ政府の財政と政治の関係について。
Red States Feed at Federal Trough, Blue States Supply the Feed
(TaxProf Blog; via Andrewsullivan.com)
前回の選挙でブッシュ氏を支持した州("Red State")は予算を多く受け取り、前回ゴア氏を支持した州("Blue State")はその逆だという。

連邦政府の予算割り当てが多い州(納めた税金1ドル当たりー太字はブッシュ氏を支持した州)

1. D.C. ($6.17)
2.
North Dakota ($2.03)
3. New Mexico ($1.89)
4.
Mississippi ($1.84)
5.
Alaska ($1.82)
6.
West Virginia ($1.74)
7.
Montana ($1.64)
8.
Alabama ($1.61)
9.
South Dakota ($1.59)
10.
Arkansas ($1.53)

連邦政府の予算割り当てが少ない州(納めた税金1ドル当たりー太字はゴア氏を支持した州)

1.
New Jersey ($0.62)
2.
Connecticut ($0.64)
3. New Hampshire ($0.68)
4. Nevada ($0.73)
5.
Illinois ($0.77)
6.
Minnesota ($0.77)
7. Colorado ($0.79)
8.
Massachusetts ($0.79)
9.
California ($0.81)
10.
New York ($0.81)

このデータ、もちろんブッシュ氏が自分の支持層に手厚い保護をしているという選挙対策的な理由もあるだろうが、それ以上に、都会対地方という構図もあるのではないかいう指摘がある。現在の政権は財政赤字が増加する一方で、伝統的に財政引き締めを支持するアメリカの保守政治とは相容れないといわれているが、じっさいにその支出の利益を受けているのは経済的に弱い田舎であって、そのツケを払わされているのが都市住民ということなのだ。だから、ブッシュ氏がいくら支出を増やしても自らの支持層からは文句が出ない。

さて、こうしてみると、この2、3年の共和党の政策は、日本のかつての自民党に似てきたのではないかといえる。地方を保護する予算を手厚くして地盤とする。財政均衡などにはあまり関心がない。一方、都会からは税金の持ち出しとなり比較的冷遇される。この構図を支えているのは、都市の一票が比較的軽くなると言う「一票の格差の不公正」である。アメリカの大統領選は単純多数決ではなく選挙人制だし、アメリカの上院(下院よりも多くの権限を持っている)では、議員はカリフォルニア州からメイン州まで各州二人ずつという、一票の格差という意味ではかなり極端な制度になっている。また、この制度を変えるための憲法改正には議会の2/3の賛成が必要だから、上院を通過するはずがない。

このような制度は、地方の発言力を強くするためであるといわれる。このしくみについては、はっきりソースがないのだが、ジェファーソン以来、都市住民というのはあまり政治判断という意味では信用できず、むしろ地に足のついた地方の住民が長期的に正しい判断をするという、ある意味保守的な原理に基づいたものだと聞いたことがある。都市住民と地方住民のどちらが正しい政治判断を下すかという原則論はともかく、とにかく現在のブッシュ氏のリベラルな財政政策は選挙力学的に理にかなったものといえるし、現代アメリカ政治のイデオロギーを考える意味でも面白い。

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September 24, 2004

古賀潤一郎議員辞職

古賀潤議員が辞職願、学歴詐称問題で引責(読売)
このブログでも、古賀氏の学歴詐称疑惑が問題になっていたときにはいくつか関連エントリを書いた。(ここここ)ま、多少アメリカの大学のしくみを知っている人ならば、彼の言い訳は余りにも無理があるというのは明らかだったので、少し調べて書いたのだが、この事件からブログの世界に入ったと言っても過言ではない。という訳で、記念のエントリ。
 振り返って思うに、このブログ、学歴詐称とか、捏造とか、そういうテーマに反応することが多いと思う。柄谷行人氏が、検閲について、「裁判」とか「検閲」という言葉にすこしも興奮をおぼえない日本の文学者は不審に思える、と書いたことがあったが(「検閲と近代・日本・文学」)、「捏造」という言葉にもそういう魔力はあるような気がする。まあ、高尚な興味とはとても言えないのだが…。

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アメリカも注目するオーストラリア総選挙

ワシントン・ポスト紙の保守系コラムニスト、チャールズ・クラウトハマー氏が、今日(9月24日)のコラム "The Art of Losing Friends"でオーストラリアの総選挙について触れている。オーストラリアの総選挙は10月9日と、アメリカの大統領選が大詰めにさしかかってきたころで、アメリカの選挙にも影響を及ぼしそうな微妙な日付なのだが、アメリカがこの選挙に注目する理由は他にもある。クラウトハマー氏のコラムに沿って見てみよう。

クラウトハマー氏のコラムは、まず、過去100年間アメリカが戦った戦争で、常にアメリカの側で兵力を送って戦ったのはイギリスでもフランスでもなくオーストラリアだと指摘している。9・11テロの後も、もちろんオーストラリアはアフガン戦争、イラク戦争の両方で戦力を派遣している。しかし、ブッシュ大統領を支持してきたハワード首相の支持率はこのところ下降気味。先ほどあった党首討論会も手伝って、最新の世論調査では労働党のレイサム党首にわずかに後れをとっている。(ロイター

アメリカにとって問題なのは、レイサム氏は、選挙に勝った場合はイラクから撤兵することを公言していることである。過去の経緯を考えると、オーストラリアが撤兵するということの象徴的な意味は大きい。また、現場の兵隊の指揮も下がるだろう。ケリー氏とブッシュ氏のどちらが大統領になるとしても、イラク情勢が難しくなるのは間違いないだろう。

テロ組織もこの選挙に注目している。9月9日のジャカルタでの爆弾テロは豪大使館前で起こった。党首討論会の3日前というタイミングを考えると、スペインの総選挙前に列車同時爆破テロが起こったのと同じ状況である。スペインのテロは総選挙に影響を与えたが、オーストラリアの総選挙でも、テロの後にブッシュ氏を支持した現政権が不利になりつつある。もしハワード首相が退陣となると、またしてもテロの後にブッシュ氏を支持した政権が退陣することとなる。

ここまでの、オーストラリア首相選がもつ意味という意味では、あまり異論はないと思う。しかし、ここからクラウトハマー氏は、ケリー氏がオーストラリアの総選挙を政争の道具にしていると批判する。ケリー陣営は、豪メディアのインタビューに答えて、「ハワード政権がアメリカの政策を支持したために、オーストラリアは国際テロリストの大きな標的となった」(9/18)と発言し、また、オーストラリアでのテロの脅威は豪政府のブッシュ政権支持のために増大したか、と聞かれて「そういわざるを得ない」と答えた、という。(9/16)アメリカの最大の同盟国の一つをこのような形で軽視するのはまずいのではないか、とクラウトハマー氏は言っている。また、ケリー氏は「大統領になったらもっと多くの国にイラク再建に参加を呼びかける」というが、アフガン戦争、イラク戦争のときの同盟国だったイギリスのブレア首相やオーストラリアのハワード首相には冷たくし、アメリカを裏切ったフランスやドイツの参加を期待するケリー氏の姿勢を批判している。

以上、クラウトハマー氏のコラムの紹介。ここからは私見。
クラウトハマー氏の論調は一貫してタカ派だが、徹底したリアリストだともいえる。ともかくこのコラムの投げかけているケリー氏の外交の矛盾というのは、けっこう深刻な気がする。ケリー氏は「同盟国を大事にする」と言うが、これ以上ない同盟国のオーストラリアの現政権にはけっこう冷たいというのはどうなのか。また、もしハワード首相が退陣してオーストラリアがイラクから撤兵したら、イラクに派兵できる国がまた一つ減ることになる。ケリー氏は、イラク復興のためにもっと多くの国々を巻き込むの負担を要請する、と言っているが、どんどん状態が悪化する現在のイラクに喜んで派兵しようと言う国はないと思うのだが、どうするつもりなのだろうか。最近のケリー氏の言動を見ていると、選挙に勝つためならとにかく何でも言っておく、という姿勢が見える。特に外交、軍事ではけっこう近視眼でものを言っている気がする。これはもし勝った場合に世界が相当混乱する気がする。
 一方、ブッシュ大統領の外交は結構わかりやすい。同盟国は厚遇し、裏切り者は干す。ドイツも在独米軍撤退などでダメージを受けている。一方、日米関係がこれだけうまくいっているのは近年まれにみることである。
 まあ、そもそもハワード氏が米国支持で政治的リスクを負ってしまうのはブッシュ大統領の世界的不人気、ということが大前提にあるわけだが…。

それから、日本では、よく「アメリカの二大政党制では、政権交代しても外交・軍事政策はほぼ変わらない」といわれるが、今回の荒れた選挙戦ではそのルールも破られつつある、ということなのかもしれない。

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September 22, 2004

メモ疑惑:民主党とCBSの関係は?

月曜日にCBSとダン・ラザー氏がメモの扱いについて誤りを認め、独立調査機関による調査を決めてから、焦点はこの件に絡んでCBSとケリー選挙本部が連絡を取っていたかどうかに移っている。この事件、大手メディアでは特にワシントン・ポストが頑張っているのだが、今日のこの記事(登録必要)によると、今のところ、事実関係として当事者が認めているのは、 ○「60ミニッツ」プロデューサーのメアリー・メイプスが、ケリー陣営のジョー・ロックハート(クリントン政権で大統領報道官を務めた)に、メモを提供したビル・バーケット氏に電話するよう依頼した。その時に、メイプス氏は、バーケット氏のことを「CBSを助けてくれている人」と呼び、「60ミニッツ」の番組のストーリーについても言及した。 ○ロックハート氏はバーケット氏を誰か知らないまま、彼に電話をかけ、短時間話した。「60ミニッツ」の番組については話さなかった。 ○バーケット氏は、元上院議員でケリー氏の友人のマックス・クリーランド氏とも電話で話した。

メイプス氏は、メモの提供とメイプス氏がバーケット氏をケリー陣営に紹介したことについて、取引があったことについては否定している。ケリー陣営も、ロックハート氏に事情を聞き、特に問題はなかったという認識を示している。一方、ブッシュ陣営は、バーケット氏のメモとCBSの番組はケリー陣営の選挙運動と連動していたのではないかと追及している。

この問題については、もう少しはっきりするまで様子を見たい。CBSがメモが捏造と認めるかどうか、というのは比較的わかりやすいが、この捏造メモとケリー陣営が関係していたか、となると、事情は複雑になってくる。ブッシュ陣営は、この件を当然ケリー氏攻撃の材料にしてくるが、彼らの言うことを鵜呑みにすることはできない。ブッシュ陣営だって、あの「高速艇退役軍人の会」なるグループとの関係には怪しいものがある。情報が限られている現在の段階では、踏み込むのはフェアではないだろう。

さて、このメモ疑惑、「ジャーナリズムは、自らの先入観に合ったストーリーを造るためには事実を見る目も曇るか?」という問題をはらんでいるだけに、日本の大手マスコミは扱いに慎重になるだろうと思っていたら、予想通り、News 23の報道ではコメントなしでスルーだったようだ。(さぬきうどんさん、情報提供ありがとうございます。)このブログでも、メモ事件について書いて以来アクセス数が激増している。新聞・TVなどの大手マスコミにとって、都合の悪いニュースは飛ばしていればいい時代は終わった。

追記:Slate.comから、ダン・ラザー氏の奇行録とも言うべき記事。タフというイメージは昔からあったが、単に攻撃的な人柄なのかもしれないと思わせる、数々の奇行。名キャスター、ウォルター・クロンカイトの後釜にはなったが、結局クロンカイト氏にはなれなかったラザー氏、という人物像が浮かび上がってくる。

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September 20, 2004

ブッシュ氏再選なら来年イラク撤退?

イラク情勢だが、ボブ・ノーヴァックのコラムが話題になっている。ブッシュ政権内部で、準備ができていてもいなくても選挙後の来年イラク撤退、というシナリオが描かれている、というもの。ノーヴァックは、今夏、「イラクがニジェールからウラニウムを買い入れようとしている」という大統領発言を批判したジョセフ・ウィルソン氏の妻がCIAエージェントだとコラムに暴露して、大統領近辺から意図的なリークを受けたのではないかという疑惑の渦中にあった人。どちらにせよ、大統領のインナーサークルに特別のコネクションを持っているといわれている。その人の、この発言はどう読むべきだろうか? 支持層への意味深なメッセージか? 怪しい発言に変わりがないが、「現状維持」一本槍のブッシュ氏の表向きの発言と逆なだけに、気にはなる。

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