むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

November 23, 2004

サンクスギビングと憂国忌

サンクスギビング・デーは今週の木曜日なのだが、ここ2年ほど、サンクスギビングというと三島由紀夫を思い出す。

というのも、2年前のちょうど今頃、学部生向けの日本文学の授業の教材を探していて、 "MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS" (1985) をDVDで借りてきていた。ちょうどサンクスギビングの休暇間近の月曜日だったので、友人達を何人か誘って見たのだが、見終わった後もしばらく映画の余韻を味わっていたのを今でも思い出す。そして、その日に思い出したのか、後になって気がついたのか失念したのだが、その映画を見た日がたまたま11月25日、いわゆる憂国忌だった。それで、ああ、アメリカでこの日本で公開されなかった映画を見ながら知らずに憂国忌を記念していたのか、と思って感慨に打たれたのだった。それから、何だかこの映画とサンクスギビングには縁がある。去年、今年と秋学期に "MISHIMA" を学生に見せているのだが、なぜかこの時期に重なってしまう。今年も、水曜日に見せるから、一日早い憂国忌である。

この映画は1985年封切。監督は「タクシー・ドライバー」の脚本家であり、小津安二郎をいち早く米国で紹介したことでも知られるポール・シュレーダー。三島役には緒方拳。その他、沢田研二、永島敏行、佐藤浩市、左幸子など。若き日の板東八十助や三上博史も出ているし、萬田久子や烏丸せつ子がチョイ役で出ていたりする超豪華な顔ぶれ。笠智衆もカメオ出演したのだが、惜しくも最終版で編集されてしまったそうだ。(私の持っているDVD版ではこの場面もおまけで見られる。)フィリップ・グラスがドラマチックでぎらぎらした音楽を提供している。また、舞台美術はのちにアカデミー賞を受賞することとなる石岡瑛子。この映画、1985年カンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞していることからもわかる通り非常に完成度の高い映画なのだが、日本では未公開。それも、三島の未亡人が、三島の同性愛を描いたシーンを削除するよう依頼したが聞き入れられず、未だに許可が得られていないためだという。輸入版がレンタルビデオ屋で出回っているという情報もあるが、不明。ま、米国在住の私には関係なく見られる。しかし、この映画が日本で見られないというのは、どうしたものか。まあ、未見の方は是非見て頂きたい作品だ。(amazon.comの商品ページ; Region-1なので注意)

本編は、1970年11月25日の出来事を追いながら、三島の生涯をフラッシュバックで補い、それに更に『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』のストーリーを織り込むという形式を取っている。フィクション部分は、石岡氏デザインの、色鮮やかにデフォルメされた舞台美術が際だち、ずいぶん簡略化した「映画化」ながら、三島作品の世界の感触を再現している。また、小説の場面と三島自身の生涯をオーバーラップさせることにより、フィクションに影を落とす作家のメンタリティを描くことに成功している。

この映画を見ていると、三島が海外の意外なところで理解者を得ていたのかな、という不思議な気分にとらわれる。たしかDVD版の解説で聴いたのだが、シュレーダー監督は三島を自ら創作した「タクシー・ドライバー」の殺人犯トラヴィス・ビッケルと比較している。どちらも、自意識過剰な人間が都市の中で孤独に耐えられなくなって精神異常になるまで追いつめられたのだと。こう書くと、三島を崇拝する人達に叱られそうだが、映像で描かれた三島には監督のシンパシーを感じる。特に、切腹直前に三島が演説するシーンでは、画面は昼食休みに出てきたあきらかに無関心な自衛隊員、そして空中を飛ぶマスコミのヘリコプターなどを余すところなく捉える。本人の熱情とは対照的に冷め切った周囲の反応。そして、一生最後・最大の芝居として用意周到に備えてきたが思わず現実に裏切られる皮肉。

私は、三島の割腹事件の後に生まれた。もちろん三島の事はリアルタイムでは知らない。三島作品というのは、高校生のころはいまいちぴんと来なかった。というか、読まなかった。せいぜい、島田雅彦と浅田彰が「三島の割腹事件のとき何してた?」とか雑談していたのを読んだくらい。しかし、ネットで憂国忌についてのレポートなどをどこかで読んだのだが、三十年以上経った今でもますます盛況のようだ。日本文学を学ぶようになって自分でも三島の作品をいくつか読んでみた今は、やはり今の日本人として「ミシマをどう思うか」という問いには答えられなければならないような気がする。三島が切腹することで、なにが死んだのか、そして何が生きながらえることになったのか、と。それは、エキゾチックな日本を見たい・知りたいアメリカ人のまなざしに応えるということではなくて、いまの日本にある、身近な何かを再確認する契機になりそうな気がするからだ。そう、ちょうど村上春樹がプリンストン大学の図書館でせっせとノモンハンの井戸を掘り続けたように。

【追記 04/11/23】このエントリ、読み直してみると肝心のことが書けてないような気がします。ブログの記事を書きながらある事柄について「書きにくいなあ」と思うのは、結論がわからずに書き始めて、書くプロセスで模索したのだが結局答えが出なかった、という場合と、書きたいと思うことは何となくわかっていながら、それをどう書いていいかわからない場合とあると思うのですが、このエントリは後者のケースだと思います。その点、finalventさんの三島についてのエントリは参考になります。結局、三島の死が表象する「日本」とは何なのか、ということなのでしょう。この辺の話を始めると話が救いようもないほど錯綜して手に負えないという反面、少しずつほどいていく努力も必要だと感じています。ともあれ、もう少し勉強します…。

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July 16, 2004

アメリカで『風雲!たけし城』がカルト番組になっている

「料理の鉄人」など、アメリカのテレビで日本の番組がカルト的人気を得ることは今までもあった。ホットドッグ早食いの小林尊クンなどもある意味そうだろう。で、最新の日本発ヒット番組は何と『風雲!たけし城』らしい。Slate.comの記事から。
No Pain, No Gain (Slate)
アメリカでのタイトルは "Most Extreme Elimination Challenge" (略称MXC) という。この番組を制作・放送しているチャンネルはSpike TVというのだが、このチャンネル、"First Network for Men" というだけあって、若い男性向けの番組を24時間放送していて、「マグガイバー」の再放送があったり、お色気番組があったりする。その中で、この評者はMXCを「奇妙に芸術的で、純粋に共感を呼ぶ」唯一の番組として紹介しているのだ。
最近、アメリカのテレビは「リアリティーTV」流行り。一般の視聴者が参加して、いろいろなゲームやら課題にチャレンジさせて勝者を決めるというフォーマットだ。一般人の素のリアクションやら脚本のないドラマなどを楽しむ番組。日本では『電波少年』あたりから人気があったが、アメリカでは3、4年前からこのジャンルに火がつき、ネットワークのチャンネルはこの手の番組を毎日のように放送している。で、『たけし城』の映像はこのアメリカのテレビ番組のムードにぴったり合うらしい。

米国版"MXC"は、オリジナルをかなり編集して制作されている。会話はすべてこちらのコメディアンが吹き替えているし、たけし軍団や挑戦者の名前はすべてアメリカ人の名前に変わっている。そのまんま東演ずる家老は「ケニー」。画像として面白い部分を集めただけの編集なので、最後に城が乗っ取られたかどうかもわからない。でも、ラッシャー板前が両足に馬をくくりつけられてまた裂きにあったり、顔から泥につっこんだりというのには翻訳は必要ない。ばかばかしい映像には国境はないのである。(それにしても、この番組、今になって見直してみると、泥やら水やらに突っ込むシチュエーションが多いよな。)

ところで、この紹介記事では、筆者が映画監督ということで、けっこううがった見方をしている。まず、殿様役をしているのが今は国際的な映画監督になった北野武(筆者は「小津やスコーセシに比肩する」と紹介している)だということをしっかり押さえている。これは、この番組をバカ・コメディとして見ているアメリカの視聴者は見逃してもおかしくないところ。監督としての北野武は、キタノがオオシマやらイマムラほどポピュラーなフランスほどではないかも知れないが、アメリカでも外国映画ファンには「その男凶暴につき」「ソナチネ」「HANA-BI」などが知られつつある。また、記事でも紹介しているが、今月には『座頭市』も公開される。この記事では、その北野武が昔はビートたけしというコメディアンだったことなど、彼の日本でのキャリアを紹介している。また、彼が『たけし城』で演ずるキャラは「(ダンテ『神曲』の)ヴァージル役」(つまり、地獄の案内人)で、防具はヘルメットしか着用していない一般参加者が次々とおまぬけなゲームで苦闘するのをすまして高みから見下ろしている重要な役割なのだと指摘している。これって、たけしのコメディの本質を突いていないだろうか。

さらに、たけしのことを、ハイ・カルチャーとロー・カルチャーが混在しているという意味で、クエンティン・タランティーノ監督と比較している。この比較はけっこう的を射ている。タランティーノが『バトル・ロワイヤル』の大ファンなのは有名な話で、日本のヤクザ映画などB級映画の影響は彼の "Kill Bill vol. 1" にも色濃く出ている。『たけし城』を作りながら映画も作るという感覚は、タランティーノにはよく理解できるのではないだろうか。(タランティーノ自身、リアリティTVで最も人気のある『アメリカン・アイドル』の審査員を務めて話題になった。)幸か不幸か、このタランティーノ=たけしのラインが、現代の日本の文化とアメリカの文化の関係を考える上で見逃せない強力な流れの一つになっているとさえ言えるのではないだろうか。

こう見てくると、現代のアメリカ文化と日本文化は思わぬところでつながっているし、似ていることも多い。この評者は、この番組ではわざわざテレビに出て恥をかくことこそが最大の賞品で、それは今のアメリカでも同じ、と言っている。アメリカ英語ではにわか有名人の期限は15分("Fifteen minutes of fame")という言い回しがあるが、それに引っかけて"Fifteen minutes of shame" こそが賞品、だとまとめている。まあ、それもそうなのだが、体を張ったコメディとか、キッチュな衣装とか言うたけしの芸風がこれだけアメリカでも受けるというのは面白い。この紹介記事にしても、細かく見ていくとけっこう誤解があるのだが、"First Network for Men" の番組を見てこれだけのうんちくを傾けることができる批評家がいるというのは、今のアメリカで日本文化がどう理解されているかという問いの一つの答えになっていると思う。

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July 14, 2004

『華氏911』リンク集

『華氏911』についてだが、前のエントリから自分の考えはあまり変わっていない。現在のアメリカを写すスケッチとしては面白い素材がたくさん入っているから、それだけでも見る価値はある。(映画評をいくつか読むと「映画の一番説得力のある場面は、ムーアが素材そのものに語らせているところ」という意見が多かったが、その通りだと思う。)また、マイケル・ムーアという人物自体、保守とリベラルで真っ二つに分裂した今のアメリカをよく表していると思う。ただ、この映画を「事実」と思ってしまう人というのは、反ブッシュに凝り固まって物事が見えなくなっている人か、日頃よっぽどニュースを見たり、新聞を読んだり、ものごとを考えたりということをしない人だと思う。日本でも話題になると思うので、少し距離を置いて観察してみて下さい。(特に、朝日系のメディアが絶対大騒ぎするだろうから。)
また、日本人の視点から見たら、ムーアのアメリカ中心的な視点も鼻につくと思う。例えば、「有志連合 (coaltion of the willing)」には、パラオ、コスタリカ、アイスランドなど、ろくに軍隊もない国も入っていますよ、という場面があるのだが、そこでのパラオの紹介の仕方なんて、「ちびくろサンボ」真っ青の、ステレオタイプ丸出しの表現の仕方だった。こんなの、アメリカ黒人やらヒスパニック相手には訴訟が怖くて絶対やれないだろうが、外国人だったら平気なのだ。こういうのには日本人はもっと怒ってもいいと思う。
 それから、マイケル・ムーアは、いつもその時思ってることをあまり考えずに言う人だから、結構ぼろも出ている。このSalonの記事によると、9/11テロが起こった直後、彼はこう言ったらしい。

Am I being asked to believe that this guy who sleeps in a tent in a desert has been training pilots to fly our most modern, sophisticated jumbo jets with such pinpoint accuracy that they are able to hit these three targets without anyone wondering why these planes were so far off path?
これはオサマ・ビンラーディンを犯人扱いした政府発表を疑問視しているわけだが、実際この通りだったのは周知の通り。映画を見たら、この人がジャーナリストとしてはけっこういい加減だということは納得してもらえると思う。

さて、この映画についてのアメリカの論調をまとめようと思ったのだが、なかなか読み応えのある批評がいくつかあるので、面白い記事へのリンクと紹介にとどめておく。
 ちなみに、あるトピックについての英語のニュースを検索するのに、最も手軽なのがGoogle News。ここで検索すると、世界中のあらゆる新聞、雑誌、ネットマガジンから関連記事を見つけることが出来る。ただ、ヒット数が多すぎるのが難点。こういう時役に立つのが、Slate.comのサイト内検索。そもそもSlate自体が結構読み応えのあるサイトなのだが、このサイトでは毎週各新聞・雑誌の記事をダイジェストしながら紹介するコーナーがあるので、ムーアの映画のような話題性の高いトピックの場合は、主要メディアへのリンク集としても使える。『華氏911』でも
Michael Moore Returns
Moore Politicizing
の2つの記事がヒット。アメリカ国内メディアでの反応が大まかにつかめてとても便利。以下は、このサイトで紹介されている記事とこのサイト独自のコラムを中心にまとめた。

まずは、メジャー新聞・雑誌の映画評。
FILM REVIEW; Unruly Scorn Leaves Room For Restraint, But Not a Lot (New York Times)
'Fahrenheit 9/11': Connecting With a Hard Left (Washington Post)
A First Look at "Fahrenheit 9/11" (Time)
Eviction Notice (Village Voice)
Fahrenheit 9/11 (Roger Ebert - Chicago Sun TImes)
けっこう好意的なものが多いのは、映画評論家の人達に民主党支持者が多いから?

"Fahrenheit 9/11": Nay! (Salon.com)
Proper Propaganda (Slate)
この二つは内容のある批評。興味のある方は一読を。特に後者は私の印象に近いかも。

Libel Suit 9/11 (Slate)
ムーアが「この映画を貶す奴は名誉毀損で訴えてやるぜ!」と評論家たちをテレビ・新聞などのコメントで公然と脅しているという話。この記事では、「マイケル・ムーアは事実を曲解している」といった程度では名誉毀損にならないと言うことはああいう映画を作った本人が一番よく知っている、と書いていますが。また、ムーアを「百万長者のハリウッドの有名人」と考えれば彼の行動パターンが理解できるというのも、重要な視点かも。名誉毀損と言えば、
Unfairenheit 9/11: The lies of Michael Moore. (Christopher Hitchins - Slate)
この著者がムーアとのテレビでの公開討論を申し込んでいるらしい。ムーアはテレビ出演は自分の思い通りの構成にならないものは出演しないらしく、実現の確率は低いが。ともかく、ヒッチンスはムーアとは犬猿の仲。この批評も実に辛辣。興味のある方はぜひ一読を。特に、次の箇所なんか、英語で知識人がけんかを売るときの見本みたいな文章です。

To describe this film as dishonest and demagogic would almost be to promote those terms to the level of respectability. To describe this film as a piece of crap would be to run the risk of a discourse that would never again rise above the excremental. To describe it as an exercise in facile crowd-pleasing would be too obvious. Fahrenheit 9/11 is a sinister exercise in moral frivolity, crudely disguised as an exercise in seriousness. It is also a spectacle of abject political cowardice masking itself as a demonstration of "dissenting" bravery.
ムーアはヒッチンスを名誉毀損で訴えるのだろうか?

Under the Hot Lights (Newsweek)
著者はニューズウィークの政治コラムニスト。この映画の事実関係に関する検証記事。この映画を見て「本当?」と思った人は一読を。まとめると、映画に出てくるサウジ王家との関係やら、軍事産業との癒着などは、この人に言わせれば、まあよくあることで、違法行為といえるほどではない、となるでしょうか。例えば、ブッシュ政権との癒着が取りざたされるカーライル・グループのスポークスマンによると、傘下のユナイテッド・ディフェンス社は110億ドルのロケット・システムの契約を取っていたが、ブッシュ政権によってキャンセルされて大損している、とか。でも、アメリカ政府とロビイストの関係をそもそも知らない人にはムーアの言っていることはショックかも。まあ嘘ではないわけだから。でも、民主党が政権を取ったからと言ってロビイストがいなくなるわけではなく、別のロビイストが政権に近づくだけなのだが。

Movies: European Idol (Newsweek International)
ムーアがヨーロッパで人気があることに関するルポ。

Fahrenheit 9/11: Crying, Laughing, Shouting at the Screen (The Village Voice)
ニューヨークで『華氏911』を見た人の反応。ニューヨークはもともと反ブッシュの人達が多いので、みんなこの映画をほめまくってます。だからといって(南部・中西部に多い)ブッシュ支持者がこの映画を見て意見を変えるとは思えないけどね。というか、ブッシュ支持者はそもそもこの映画を見ないか、見ても保守系コメンテーターの意見をラジオかFox News で聴いて相殺するでしょう。

'Fahrenheit 9/11' is bell tolling for many mainstream journalists (San Francisco Chronicle)
映画に負けず、プロのジャーナリストもがんばれよ、というコラム。

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July 10, 2004

『華氏911』を批判する

今晩見てきた。うまくまとまるかわからないのだが、記憶が新しいところで書いておく。(書いた後で後悔したりするかもしれないが。)

正直、私はテレビのインタビューなどで見るマイケル・ムーアは嫌いだったし、この映画についても最初からかなり疑いの目を向けていた。しかし、映画を見終わった直後、感情的にはかなり複雑な反応をもった。それは、この映画にこめられている感情、とくに怒りはリアルなものだからだ。その怒りを見逃すことが自分には出来なかったし、見逃したくないとも思う。しかし、この映画のやり方には結局説得されなかった。
映画の中で描かれている事実は、他のメディアでも報じられているもの。例えば、ブッシュ一家とサウジ王家の親密な関係については、最近が出ている。映画でムーアのインタビューに答えているのはこの本の著者(ウェブサイトはこちら)である。また、ブッシュ政権とテキサスの石油・エネルギー関係企業との癒着については、さんざん報道されてきた。もちろん、報道されているからといって人々の意識にのぼるかというとそうでもない。(私自身、先日Salon.comの記事を読むまではいまいちぴんと来なかったのだが。)

しかし、この映画を見ていると、ムーアの正義感というか、「この戦争はおかしい!」という怒りがひしひしと伝わってくる。ブッシュ政権の取り巻きには石油産業・軍事産業に絡んでいる人々が大勢いて、この戦争でもひともうけしている。一方、戦場に送られる兵隊の多くは貧しい家庭の子息で、不況で就職先もなくて、大学奨学金を稼ぐために志願兵となった人が多い。貧しい人々が、貧しい人々を殺す戦争。映画では、息子と娘を戦場に送り、息子を亡くした一人の母にスポットが当てられているのだが、息子を明るく送り出し、毎日星条旗を自宅に掲げる姿と、息子の訃報を聞いてただ泣き崩れるばかりの姿のコントラストが涙を誘う。こういうアメリカ人の家族は確かに多いだろうから、「プロパガンダだ」と糾弾する気持ちよりも、この一人の母親のリアルな悲しみややりどころのない怒りを思わずにはいられない。また、戦渦に巻き込まれる無辜のイラク市民の映像も多くある。これは理不尽だよな、とやはり思う。個々の論点は(局地的には)正しいし、怒りももっとも、とは思う。

しかし、この映画は結局プロパガンダなのである。優れたプロパガンダかも知れないが、この映画の限界はそこに尽きる。上に挙げたような事実は、すべて、ブッシュ大統領が諸悪の根元であり、秋の選挙で大統領が交代させなければならない、という目的のもとに集められ、提示されている。特殊効果やら音楽やらを駆使しながら、とにかくこの「真実」を伝えることがこの映画の目的なのだ。この映画を擁護する人達(たとえば町山智浩氏)などは、この映画で現政権が倒れるんだったらそれでいいんじゃないか、と言う。でも、私はそれはやっぱり違うと思う。この映画は、ムーアの意見を主張するのに一生懸命で、見ていて、なんだか自分の感情をいじられているような気分になってくる。映画の途中で、アメリカの「テロ警報システム」(あの5色のやつ)は、政権がアメリカ人の恐怖心を煽ってやりたいことをできるように利用しているのだ、とムーアは言う。それはそうだろう。でもこの映画も結構露骨に観客の感情を煽るじゃないか。そりゃあ、自分の息子が戦争で死んだら悲しいのは当たり前。でも、そういうみえみえの演出でこっちの涙を誘おうという手が見えると、そうはいかないぞ、と反発したくもなる。とにかく観衆を力ずくで説得しようとする、そういう映画なのだ。それに対して、私は、怒りはわかるが、ムーアよ、そういうおまえは何様なのか、とも思う。マイケル・ムーアはそういう心理がわからないか、まったく無視してこの映画を作っているのだ。

ふと思うのだが、この映画を見て、「ブッシュは何て悪人なんだ」とコロリと信じちゃう人達というのは、現政権のプロパガンダを額面通り受け取ってるブッシュ大統領の支持者の人達と、本質的に変わりないんじゃないだろうか。その相似性こそが問題というか、アメリカの貧しさだと思う。この映画には、「燃やせ!燃やせ!」と叫ぶメタル系のバンドのCDをかけながらイラクの戦場に赴く(そして無実のイラク市民を「燃やす」かもしれない)若者が登場する。また、間違いのテロ警報がでた田舎町で、「この町でテロの標的になりそうな建物は?」と聞かれて、「ウォルマートかな」と答える町の人が出てくる。これは私が外国人だからかも知れないが、こういう人達を見ていると、アメリカって精神的に貧しいよな、とかいう感慨を一瞬持ったりする。町に守るものがウォルマートしかないの? アメリカ人は「歴史のない」国民だよな、とか。しかし、私の日常生活を見ていて、ウォルマート以上に大事なものがない町の人々の暮らしと比べてそんなに豊かかと考えると、そんなに差がないんじゃないかと疑ったりする。この映画が糾弾するものと、この映画を見る人々がもっているものとは、実はそれほど変わりがないのではないだろうか。この映画は、アメリカを映す鏡なのだ。多分、ムーアの意図するとことは違うんだろうが、この映画の一番の教訓はそこにあると思う。(意地悪な言い方をすると、マイケル・ムーアがいわゆる「バカでマヌケなアメリカ白人」のステレオタイプを体現したような外見をしているのは偶然ではない。)

さらに、もっと深刻なことをいえば、アメリカ人のほとんどすべて、いや、先進国の人々のほとんどすべてが、この映画で批判されている石油・エネルギー産業のお世話に少なからずなっているのである。アメリカで暮らしていると、あまりのモノの豊かさに、「こんなに豊かでいいんだろうか。何か、絶対おかしいよ」と思うことがあるが、実際のところ、どこかで何かが狂っていて、多少(たくさん?)悪いこともしているから、アメリカに住むみんなが豊かな暮らしを享受できるのだろう。広い視野で見れば、そのような豊かさを享受している一人一人が、この戦争に荷担しているともいえるのではないだろうか。この映画のロジックは「ブッシュ憎し」でまとめてあるから、そういう問題には触れない。ブッシュ大統領に対する意見さえ一致していれば、見ている人が楽しめる安全さがある。でも、この映画が語っている真実というのは、そこから自分の足場が崩れていくようなものではないだろうか。まあ、こういう問題は今に始まったことでもないし、ものを考えたことがある人なら一度はどこかで考える問題のはずなのだが。この映画を見に来るアメリカ人のティーンエイジャーがその辺に気がつくんだったらこの映画も価値があるのかも知れない。

この映画、現在世界中に広がっている「反ブッシュ感情」に乗せて多くの人が見るだろうし、日本でもこの映画の尻馬に乗っかって大騒ぎする輩が出てくると思うが(いや、すでに出てきている)、そういう人達に問いたい。この映画を見るまで、イラク戦争やら、人間社会の貧富の差とか、そういう問題について考えたことがなかったの? もしその答えが「ノー」だとしたら、それこそが一番悲しいことだと思う。この映画に踊らされるような人々には、もっと自分でものを考えろよ、と言いたい。まあ、私もこの映画を見ていろいろ考えさせられたのだから、(ムーアの意図はどうであれ)その点においてこの映画は見る価値のある映画なのかもしれないが。

過去ログから:
マイケル・ムーア
ムーアの「華氏9/11」がパルムドール受賞。
追記:マイケル・ムーアなど。

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June 22, 2004

雑感

●おおや先生が早野透の「ポリティカにっぽん」の最新作を分析(つうか、分解)してます(おおやにき:イヤなものがイヤだということ)。早野サン、本当にダメダメですな。ところで、どなたか、朝日系の人々が感じている「米軍占領下の自衛隊イラク派遣」と「自衛隊の(国連安保理決議に基づく)多国籍軍参加」の根本的な差異を教えて頂けないでしょうか。たとえば民主党は国連決議があったらOKって言ってましたよね? それとも、「イラクはやばくなってきたからオリよう」っていう話なんですか? 

●aozora blogのtenさんという方のエッセイがいいですね。(鴎外はいたジャイアント馬場さんにパンを横取りされた話
aozora blogは方向性が見えないが、もっとこういうエッセイを載せてくれればいいのに。

●マイケル・ムーアの "Fahrenheit 9/11" の全米公開が今週の金曜日に迫りました。一応見に行こうかと思っていますが。早速、先日も引用したヒッチンスが長文のムーア批判を書いてますね。文章の長さに現れているヒッチンスの情念がちょっと怖くてまだ読んでませんが。

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May 29, 2004

「日本発の映像、音楽を世界へ」

読売新聞の社説(5月28日)から。日本発の映像・音楽・出版などのコンテンツ発信を支援しようという話。

「日本発コンテンツ」を世界に発信しようと、内閣府の知的財産戦略本部が、「コンテンツビジネス振興政策」をまとめた。
 制作資金が調達しやすい仕組みを作るなど業界の基盤整備や、人材育成、資金面を含めた海外展開の後押し、といった十項目が並ぶ。映像デジタル技術の研究開発、活用推進も掲げている。
 政策支援のため、今国会では、議員提出で、「コンテンツの創造、保護及び活用の促進法」も成立した。

映画に絞って言うと、いちばんややこしいのが著作権関係である。
たとえば、日本の映画をアメリカで(合法的に)上映しようとすると、日本のオリジナルの配給会社に連絡して、北米での上映権をどの会社が持っているか確認して、今度は北米の配給会社に連絡して上映する段取りを詰めることになる。この辺のプロセスが入り組んでいて非常に面倒。人の入れ替わりが激しい業界だし、秘密主義なんかもあったりして、必要な情報が手に入るまで一苦労する。映画会社が協力して権利関係の情報や上映可能なフィルムを一括して提供する情報センターみたいなものをつくれないものだろうか。

(ここに書いたのと似たような役割を果たしている団体としては、国際交流基金の文化部が、16ミリの映画字幕つきフィルムを送料のみで提供するというサービスがある。このサービスも、上映権は別に映画会社と交渉しないといけないし、提供する映画のリストは映画会社の方の要請で公開していないとのことで、制約も多い。)

コンテンツの著作権というと、著作権を守ることばかり考えてしまうが、権利関係の手続きを簡略化して合法的に視聴したい人たちに著作物が手に入りやすくすることも大事だと思うのだがどうだろうか。例えば、アメリカではアップルのiTunes Music Storeをはじめデジタル音楽ビジネスが着実に地歩を固めているが、このビジネスモデルで一番ネックになるのはやはり権利関係。iTunes Music Storeを日本でも展開するという話はあったと思うが、どうなったのだろう。

それから、もう一つ、シンプルなことなのだが、新作映画に英語字幕を付け、字幕付きのフィルムやDVDを入手しやすくすることも、日本映画の人気を高めるのに結構効果があると思う。最近の新作映画は、海外映画祭に出品するときにプロに依頼して字幕を付けていることが多いので、字幕付きのフィルムはどこかにあるはず。また、字幕のテキストがあるのだから、DVDに英語字幕を付けるのも比較的容易だろう。字幕をつけるだけで、海外に紹介される可能性がある作品の総数が大きくなるわけだから、有効な手段だと思うのだが。この社説に書いてある政府のプロジェクトのようなものを通して、英語字幕を付けるのに補助金を出すとかしたらいいと思う。

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May 24, 2004

追記:マイケル・ムーアなど。

ダバディ氏の「見てから自分の意見を考えてください」というご意見はごもっとも。映画を実際に見る前にいろいろと論評するのは確かに意味がないので、この映画についての意見は、実際に見るまで保留します。
(しかし、アメリカ国内では配給会社の問題があるので見られるのはいつになることやら。)

New York Timesのほうには、Frank Richによる『華氏9/11』の映画評が載った。(英語、nytimes.comの登録が必要。)結構好意的で、これを読むと、確かに政治的に彼に賛成するかどうかはともかく見るに値する映画、という感じがする。

でも、この前のエントリーにも書いたのだが、今のアメリカ、40%はブッシュを強く支持する保守派、40%はブッシュ不支持のリベラル派で、この80%は何があっても意見を変えることは考えられない。で、どちらにも転ぶ可能性があるのは残りの20%だけ。真ん中の20%の争いだから、民主党のケリー氏が共和党のマケイン上院議員を副大統領に指名するという掟破りの一手を使うのではという噂が絶えないわけである。(今日の政治討論番組では、ケリー=マケインの組み合わせは99%実現不可能だが、もし実現したらブッシュ=チェイニーに間違いなく勝てるという意見で一致していた。)

この2派の対立は根が深い。保守派はブッシュ批判を「リベラル・メディアの陰謀だ」といって耳をふさいでしまうし、リベラルの大統領に対する感情は軽蔑や嫌悪を超えて憎しみに近いものがある。この分裂には、たんなる政策の問題を超えて、政教分離の問題(要するに宗教がどれだけ政治に絡むべきか)、文化戦争、教育問題などが絡んでいて、すぐには解決しそうにはない。アメリカの一番の問題は、この2つのグループの間に全く対話が成り立っていないことにある。私の友人には(大学関係と言うこともあって)リベラルな人が多く、ブッシュ大統領の政策を厳しく批判するのだが、もしそれだけ不満があるんだったら、なぜ2000年にブッシュに投票し、今回もブッシュに投票するだろう人々に届くメッセージを考えようとしないのだろうかと思う。

アメリカ以外の先進国での反米主義は、アメリカのリベラル派とは話が合うと思う。でも、問題は、国民のうち保守的な40%はこの種の批判には耳すら傾けないことにある。この人たちは、マイケル・ムーアの顔を見るだけで「ああ、例の左翼の」と言って話すら聞かないと思う。

反米の人たちに聞きたい。この保守派の40%の人たちに、どんな言葉で語りかけますか。
その答えが見つかったら、ノーベル平和賞ものだと思うのだが。

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May 22, 2004

ムーアの「華氏9/11」がパルムドール受賞。

でぶで、粗野で、欲張りで、馬鹿で、野心的で、無知なアメリカ人のマイケル・ムーアがカンヌ映画祭の最高の賞を受賞してしまった。リンクはこちら (CNN、英語)。
まあ、映画自体は彼の「ボウリング・フォー・コロンバイン」よりも劣っているというし、彼の政治スタンスがフランスの審査員に受けたということだろう。(追記:審査員9人のうちアメリカ人が4人、フランス人は1人とのこと。)アメリカでの評価は分かれている。Slate.comに主要新聞の評がまとめてある

ブッシュ政権を弁護していうわけではないが、アメリカの世論が真ん中でまっぷたつに割れている現在、彼のような批判では、保守派は耳をふさいでしまうだろうし、リベラルは前に聞いたことある批判ばかりだし、あまり意味がないとは思うのだが。ムーアを担ぎ上げてるフランスだってイラク戦争では国益に従って動いただけで、反戦の大義があるとは思えないし。

先日マイケル・ムーアについての皮肉たっぷりのコメントを引用したクリストファー・ヒッチンスが、これもSlate.comに、ムーアや囚人虐待事件で激しく追及を続けているThe New Yorkerのサイモア・ハーシュへの批判を書いている。彼らは、テロにどう対抗するかという対案を決して出さないから、そのときの結果だけ見て批判をするのはご都合主義ではないか、という批判だ。

アメリカのイラク戦争の経過を見ていて、もう少し何とかならなかったものかなとは思うし、囚人虐待問題は最悪の事態だ。でも、現実問題、アメリカが撤退しても中東などでテロがなくなるとは考えにくい。アメリカがイラクから即時撤退したら、イラク国内は内戦状態になり、混乱が続くだろう。たとえばこの前の首切り事件のような事態が横行することになる。そう考えると、ここでアメリカに負けてもらっては困るとも思う。一方で、アメリカの負け戦には関わらず、傍観しているのがいいという考え方もある。アメリカの覇権主義が終わっても結構という考え方もあるし、アメリカはこの戦争を機に衰退の一途をたどるから、どうしても仕方がないという悲観的な見方も私の知り合いの間では聞かれる。まあ、現状に不満があるならば、具体的にどうしたらいいのか、大局的な見地に立った意見を読んでみたいとは思う。

ともかく、現在の世界情勢の混乱が、映画祭にも影響している、という話でした。

p.s. 今日紹介した記事のうち2つはSlate.comのもの。このサイトは、アメリカの政治や文化などについて、なかなか面白い記事を揃えているウェブマガジンである。元トルシエの通訳だったフローラン・ダバディ氏のブログでも紹介されていた。ダバディ氏はブッシュの失言録がお気に入りのようだが、このサイトにはアンチ・ケリーのMickey Kaus氏によるkausfilesもある。kausfilesの過去ログを見れば、ケリー氏の過去の問題やスキャンダルが山ほど出てくるので、そちらに興味がある向きは参考にするといいだろう。

p.p.s. 『イノセンス』は早く見てみたい。でもその前に『攻殻機動隊』を見なくては。

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May 20, 2004

マイケル・ムーア

「滑稽なのはあかぬけていて、洗練されてるヨーロッパ人なんだよね。まあ私もそのあかぬけていて、洗練されてるヨーロッパ人の一人として言うんだけど。彼らは、アメリカ人はでぶで、粗野で、欲張りで、馬鹿で、野心的で、無知だと思っている。それで、自分たちの仲間として、自分たちの代弁者として選んだアメリカ人が、これらの特徴をすべて体現しているんだから。」

—クリストファー・ヒッチンス (MSNBCの番組にて。via andrewsullivan.com

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April 14, 2004

"Fog of War" を見に行った

"Fog of War"を近所の独立系の映画館で見てきた。この映画は、前にこの記事で書いたように、ケネディ・ジョンソン政権の時の国防長官だったロバート・マクナマラへのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画。感想を箇条書きしてみる。

○東京大空襲などの非戦闘員の殺害について「カーティス・ルメイ将軍が言っていたように、われわれがもし軍事裁判で裁かれていたら戦犯になっていただろう」と言ったところでは、さすがに映画館がざわついた。それにしても、ルメイというのは悪人だ。こんな奴に勲一等旭日大綬章を授与した政府って一体…。

○ベトナムについて、ジョンソン大統領との意見の不一致を理由に辞任したくだりでは、自分は早期撤兵を主張したのに大統領に反対されたという言い方で、大統領の責任だという見解を示しながら、自らの戦争責任、あるいは辞任後に反戦運動に関わらなかった理由については口をつぐんでいた。この映画がマクナマラの最後の自己弁護といわれて批判されているのはこの辺りが理由かもしれない。

○マクナマラという人は、フォードの再建を手がけて社長にまで上りつめ(乗用車にシートベルトを標準装備するようになったのは彼の功績)、そこから国防長官に抜擢されたのだが、経営手腕に長けた切れ者だったんだろうし、それなりの自信も自負もあったんだろう。だからこそ、「理性のある首脳たちがかかわっていたにもかかわらず、キューバ危機が核戦争にならずに回避できたのは運だった」という言葉には重みがあると思った。

○タイトルにもあるFog of Warという言葉には、戦争は複雑であり、人間一人の理性ではとうてい理解しきれないものだという彼の哲学がこめられている。今日本のメディアでは人質事件について「情報が錯綜している」といっているが、戦争では情報が錯綜するのが常態なのだろうと思う。確実な情報が入ってこない中、断片的な情報を元にいろいろ推測するのは楽しいが、そのうち99%は後で全く無意味になってしまうと思うと、私のような部外者が情報をいちいち追っかけるのは時間の無駄だと改めて思った。まあ、戦争という現実に当事者として関わることが少なかった日本にとっては、これはちょうどいい学習機会なのかもしれない。

○英語には、よく「百聞は一見にしかず」と訳される"Seeing is believing"ということわざがあるが、マクナマラは「SeeingもBelievingも間違いであることが多い」と言っている。人間というものは変わらないし、戦争もなくならない。しかも、理性を尽くしても人間は間違いを犯し続けるという彼のメッセージには説得力がある。
帰りの車内でラジオをつけると、ブッシュ大統領が記者会見で「この反テロ戦争は、つねに攻め続けなければならないんだ」と言ってイラク戦争を正当化していた。人類はキューバ危機・ベトナムの時代からあまり進歩していないのだと考えると愕然とした。

○特殊技術で、マクナマラはインタビュアーに向かって話しているのだが、あたかもカメラに直接話しかけるような映像になっている。マクナマラも感情が高ぶってくると声を荒立てたり、指を振ったりして、臨場感があふれるインタビューになっている。また、カメラの背後からは監督のイーロール・モリスがこれまた大声で質問を投げかけていて、あたかも何十メートルも離れて絶叫し合っているような感じで面白かった。

○音楽はPhilip Glass. 妙に合っていた。

結論:第二次大戦(太平洋戦争)、ベトナムの歴史の証言としても、また現在のイラク戦争を考えるヒントとしても、アメリカ政府の中枢にいた人物がかなり率直に語っているという点で貴重な証言だと思う。また、戦争というものについてのかなり核心をついた問題提起としても面白かった。

この映画、すでにDVD版の発売が決定しており(5月11日発売)、amazon.comから予約できる。

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March 30, 2004

メジャーリーグ開幕戦:Lost in Translation

メジャーリーグが東京ドームで開幕した。アメリカ東海岸では午前5時のプレーボール。ヤンキースがあっさり負けたのは意外だった。この調子ではかなり苦戦するかもしれない。

ところで、今回の遠征についての記事をみると、"Lost in Translation" という表現が題に織り込まれている記事が多い。少しGoogle Newsで調べてみてもこれだけあった。

BASEBALL ANALYSIS: Amid Great Expectations, Yankees Get Lost in Translation (New York Times)
Yanks Lost in Translation (New York Daily News)
Nothing but Sleep Lost in Translation (AP)
Photo Gallery: LOST IN TRANSLATION: DEVIL RAYS VS. YANKEES IN JAPAN (Atlanta Jounral-Constitution)

もちろん、これは、ビル・マレー主演の最近の映画 "Lost in Translation" に引っかけているのだ。この映画、アメリカではインディー系の配給だったがじわじわ人気が出た作品。アカデミー賞でも、作品賞を含めいくつかノミネートされ、結局監督のソフィア・コッポラがオリジナル脚本賞を受賞した。(この監督、フランシス・フォード・コッポラの娘である。)

この映画の舞台は東京。一言で言うと、コマーシャル撮影にやってきた中年のハリウッド俳優と、若い写真家の妻の二人が、言葉も文化もわからない東京の真ん中で出会い、「自分を見つける」…とでもなるだろう。映像の美しさ、ハリウッドらしくない「話のない映画」とも言うべき脚本など、批評家の評価が高かった。

ところでこの作品、日本人を差別的に描いているのではないかといって論争になった。これは見る人によって意見が割れると思うが、私が見た感想では、「言葉が通じない、不思議な国」という部分を強調するがあまり、結構安易なステレオタイプに頼ってしまっている部分は多い。日本人は英語がしゃべれないとか、日本人は背が低いとか、さらには日本人の男性はポルノまがいの漫画を地下鉄で平気で読んでいるとか。アメリカの日本人や日系人はおとなしいから反論しないが、似たような映画を、アメリカ社会で声が大きいマイノリティ社会を舞台に作ったら大変な社会問題になっていたんじゃないだろうか。

実際、日本での上映が4月17日と、アカデミー賞が終わってからかなり後になったのも、日本からもし批判が出たとしてもアカデミー賞のコンペに影響が出ないようにするための戦略的な理由なのではないかと私は考えている。『アカデミー賞受賞作品』として上陸すれば、きわどい批判もかわせると踏んだのではないか。もしこの推測が正しいとすると、大した確信犯である。『ラスト・サムライ』の渡辺謙やら、『たそがれ清兵衛』やらのノミネートで舞い上がっていた日本のメディアは、何ともお人好しとしか言いようがない。日本でももうすぐ上映されるので、日本の読者の方もどうかご自分で見て判断して頂きたい。

で、野球の開幕戦。"Lost in Translation" というタイトルが喚起するのは、言葉が通じなくて、ヘンな文化の国というイメージではないだろうか。アメリカの「国民的娯楽」の野球の開幕戦を日本でやるとは何事か、という感情と重なって、結果的にネガティブな印象を与えているのではないかと思う。想像力のないスポーツライターと一本の映画のおかげで、日本関係のいろいろなニュースのイメージが操作されるとしたら、困ったものである。この映画については、後日また。

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March 09, 2004

アカデミー賞と東京大空襲

今回のアカデミー賞、「ラストサムライ」の渡辺謙や「たそがれ清兵衛」がノミネートされて話題になったが、最優秀ドキュメンタリーを取った"Fog of War"については日本ではあまり報道されていないようだ。このカテゴリー、去年はマイケル・ムーアがアメリカ銃社会を描いた"Bowling for Columbine"で受賞した後、「ブッシュよ、恥を知れ」と絶叫してニュースとなったいわくつきのカテゴリー。今年の受賞者となったこの作品の監督も、政治的なトーンが抑制された今回のオスカーの中でブッシュ政権を批判していた二、三人のうちの一人だった。

この"Fog of War"という作品、60年代にアメリカの国防長官を務めたロバート・マクナマラのインタビューで構成されているのだが、キューバ危機、ベトナム戦争などの激動の時代にアメリカ政権の中枢にいた人物が、当時の状況を赤裸々に、時には批判的に語っているようだ。(私はまだ未見なのだが、公式ウェブサイトで映画の一部を見ることが出来る。)マクナマラは現在85歳だが、まだまだ健在という印象。

彼は第二次大戦中は太平洋戦線に関わっていて、とくに東京大空襲については過剰な報復だったと明言している。「帰ってきたB29のパイロットたちの面接に立ち会った。…司令官は、『我々はなぜここにいるのか? 我々の飛行士が殺されたからだ』と言っていた。…でも、一人殺されたからといって東京を焼け野原にするのか?」非戦闘員が100万人も殺された空襲はやりすぎだったと、マクナマラは怒りすらあらわにして語っている。ベトナム戦争はともかく、太平洋戦争はアメリカ人にとってはいまだ疑いようのない「正しい戦争」であることを考えると、アメリカのエスタブリッシュメントがここまで言うか、という感慨にすら浸ってしまう。

また、キューバ危機、ベトナムについても、「理性のある人々が戦争を止めようと努力した。でも、核戦争にならなかったのは運が良かったからだ」「武力の行使にはルールが必要だ。でなければ人類は破滅してしまう」など、衝撃の発言が続出。特殊技術によって、マクナマラはインタビュアーに向かって語っているのだが、カメラに向かっているように撮影されているので、彼が視聴者に直接語りかけているような錯覚を受ける。

こうした映画が出てくるのは、やはりイラク戦争について国民の意見が割れていることの反映だと思う。この人がテレビでインタビューを受けているのを見たが、現在のイラク戦争については「現政権の政策についてはコメントしない」と口を閉ざしていたのが印象的だった。この映画の提起している問題が現在の状況に関わっていることは明らかで、立場上批判はできなくても、何か訴えたいという気持ちはあるのだろうと思う。

日本での上映予定はまだないのだろうか。アメリカではソニーが配給しているようだし、日本でも是非上映してもらいたい。3月10日は東京大空襲の記念日だ。

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February 13, 2004

お葬式(伊丹十三)

少し前に見た印象では辛辣な社会風刺という印象があったのだが、今回はむしろ明るいエンディングに感銘を受けた。現代の日本の葬式においては、みんな正しい作法を守るのに精一杯で、結局は日頃のぼろが出てしまうというのがこの映画の話の基本的な枠組み。それは確かにそうなのだが、今回は、そのような決まり事だらけの葬式にも真摯な感情があらわれる瞬間があるし、結果として「いいお葬式」にもなりうる、というポジティブなメッセージのほうに気が向いた。そういえば、伊丹十三の映画で、ハッピーエンディングでない映画ってあっただろうか?

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January 02, 2004

「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」 

2003年のオスカー最右翼という評判に誘われて見る。特に特撮(コンピューター合成で造られたゴラムの体の動きと表情は秀逸!)やNZの地形を生かした風景は息をのむ。映像のすごさは3時間半が短く感じられるほど圧倒的。また、小説の映画版にありがちな、語りのリズムのアンバランスも感じない。しかし、何か物足りないと思うのはなぜだろう? 映画評論家Roger Ebertが書いているように、原作『指輪物語』のストーリーがファンタジー小説で、個々のキャラクターを描ききれていないからかもしれない。

それにしても、あのエンディング、カーテンコールでオーケストラの指揮者が5回も6回も舞台裏から出てきて礼をしているみたいだった。あれだけ「終わりそうで終わらない」時間が続くと、そこまで映画を見てきた時間の長さを意識させてしまうのではないだろうか。

しかし、このようなスケールの大きい叙事詩を映画化して正面から描ききったというのは、日本の映画界の現状では考えられないかも。最近のハリウッドは、 "Master and Commander"やら「ラスト・サムライ」やら、戦争を扱った大叙事詩がはやりであるらしい。

スケールの大きさといえば、この映画シリーズは、総制作費340億円、前2作の全世界興行収入が2150億円と報じられている。ニュージーランド国内の経済効果が320億円で、GDPを2%押し上げたという。

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(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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