サンクスギビングと憂国忌
サンクスギビング・デーは今週の木曜日なのだが、ここ2年ほど、サンクスギビングというと三島由紀夫を思い出す。
というのも、2年前のちょうど今頃、学部生向けの日本文学の授業の教材を探していて、 "MISHIMA: A LIFE IN FOUR CHAPTERS" (1985) をDVDで借りてきていた。ちょうどサンクスギビングの休暇間近の月曜日だったので、友人達を何人か誘って見たのだが、見終わった後もしばらく映画の余韻を味わっていたのを今でも思い出す。そして、その日に思い出したのか、後になって気がついたのか失念したのだが、その映画を見た日がたまたま11月25日、いわゆる憂国忌だった。それで、ああ、アメリカでこの日本で公開されなかった映画を見ながら知らずに憂国忌を記念していたのか、と思って感慨に打たれたのだった。それから、何だかこの映画とサンクスギビングには縁がある。去年、今年と秋学期に "MISHIMA" を学生に見せているのだが、なぜかこの時期に重なってしまう。今年も、水曜日に見せるから、一日早い憂国忌である。
この映画は1985年封切。監督は「タクシー・ドライバー」の脚本家であり、小津安二郎をいち早く米国で紹介したことでも知られるポール・シュレーダー。三島役には緒方拳。その他、沢田研二、永島敏行、佐藤浩市、左幸子など。若き日の板東八十助や三上博史も出ているし、萬田久子や烏丸せつ子がチョイ役で出ていたりする超豪華な顔ぶれ。笠智衆もカメオ出演したのだが、惜しくも最終版で編集されてしまったそうだ。(私の持っているDVD版ではこの場面もおまけで見られる。)フィリップ・グラスがドラマチックでぎらぎらした音楽を提供している。また、舞台美術はのちにアカデミー賞を受賞することとなる石岡瑛子。この映画、1985年カンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞していることからもわかる通り非常に完成度の高い映画なのだが、日本では未公開。それも、三島の未亡人が、三島の同性愛を描いたシーンを削除するよう依頼したが聞き入れられず、未だに許可が得られていないためだという。輸入版がレンタルビデオ屋で出回っているという情報もあるが、不明。ま、米国在住の私には関係なく見られる。しかし、この映画が日本で見られないというのは、どうしたものか。まあ、未見の方は是非見て頂きたい作品だ。(amazon.comの商品ページ; Region-1なので注意)
本編は、1970年11月25日の出来事を追いながら、三島の生涯をフラッシュバックで補い、それに更に『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』のストーリーを織り込むという形式を取っている。フィクション部分は、石岡氏デザインの、色鮮やかにデフォルメされた舞台美術が際だち、ずいぶん簡略化した「映画化」ながら、三島作品の世界の感触を再現している。また、小説の場面と三島自身の生涯をオーバーラップさせることにより、フィクションに影を落とす作家のメンタリティを描くことに成功している。
この映画を見ていると、三島が海外の意外なところで理解者を得ていたのかな、という不思議な気分にとらわれる。たしかDVD版の解説で聴いたのだが、シュレーダー監督は三島を自ら創作した「タクシー・ドライバー」の殺人犯トラヴィス・ビッケルと比較している。どちらも、自意識過剰な人間が都市の中で孤独に耐えられなくなって精神異常になるまで追いつめられたのだと。こう書くと、三島を崇拝する人達に叱られそうだが、映像で描かれた三島には監督のシンパシーを感じる。特に、切腹直前に三島が演説するシーンでは、画面は昼食休みに出てきたあきらかに無関心な自衛隊員、そして空中を飛ぶマスコミのヘリコプターなどを余すところなく捉える。本人の熱情とは対照的に冷め切った周囲の反応。そして、一生最後・最大の芝居として用意周到に備えてきたが思わず現実に裏切られる皮肉。
私は、三島の割腹事件の後に生まれた。もちろん三島の事はリアルタイムでは知らない。三島作品というのは、高校生のころはいまいちぴんと来なかった。というか、読まなかった。せいぜい、島田雅彦と浅田彰が「三島の割腹事件のとき何してた?」とか雑談していたのを読んだくらい。しかし、ネットで憂国忌についてのレポートなどをどこかで読んだのだが、三十年以上経った今でもますます盛況のようだ。日本文学を学ぶようになって自分でも三島の作品をいくつか読んでみた今は、やはり今の日本人として「ミシマをどう思うか」という問いには答えられなければならないような気がする。三島が切腹することで、なにが死んだのか、そして何が生きながらえることになったのか、と。それは、エキゾチックな日本を見たい・知りたいアメリカ人のまなざしに応えるということではなくて、いまの日本にある、身近な何かを再確認する契機になりそうな気がするからだ。そう、ちょうど村上春樹がプリンストン大学の図書館でせっせとノモンハンの井戸を掘り続けたように。
【追記 04/11/23】このエントリ、読み直してみると肝心のことが書けてないような気がします。ブログの記事を書きながらある事柄について「書きにくいなあ」と思うのは、結論がわからずに書き始めて、書くプロセスで模索したのだが結局答えが出なかった、という場合と、書きたいと思うことは何となくわかっていながら、それをどう書いていいかわからない場合とあると思うのですが、このエントリは後者のケースだと思います。その点、finalventさんの三島についてのエントリは参考になります。結局、三島の死が表象する「日本」とは何なのか、ということなのでしょう。この辺の話を始めると話が救いようもないほど錯綜して手に負えないという反面、少しずつほどいていく努力も必要だと感じています。ともあれ、もう少し勉強します…。