むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

March 16, 2005

「調査報道は新聞の生命だ ブログに使命感あるか」だそうだが

記者の目:ライブドア堀江貴文社長への反論=渡辺雅春(社会部)(毎日新聞)
via: finalventの日記ネットは新聞を殺すのかblog

表題のように、「ジャーナリズムは、自由で公正な社会を実現するため、人々に必要な情報を提供することだと考える。」と言う記者のご意見。

 ただインターネットもジャーナリズム的機能を担う可能性はある。注目されるのはウェブログ(ブログ)だ。ホームページより簡単に開設できるウェブサイトで、誰もが情報を発信できるだけでなく、知らない人同士で双方向のコミュニケーションができる。

趣味の話から、専門家が政治・社会問題を論じるなど、内容は幅広い。米国ではブッシュ大統領の軍歴報道を巡り、ブログが発信した情報からCBSテレビの誤報が明らかになり、幹部が辞任した。影響力を持ち、多種多様な意見の交換が可能なブログには、一種の世論形成機能もある。

 しかしながら、組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けることがブログでは不可能だ。情報を集め、裏付けを取り、その事実が社会にどのような影響を与えるのかを考慮して報道するのは、訓練を積んだプロのジャーナリストでなければできない。社会は倫理観と責任感を持ったジャーナリズムを必要としている。そう信じる。

「そう信じる。」(笑)…と書いて終わりにしてもいいのだが、もう少し書く。

 私は、基本的に「ネットは新聞を殺すのか」の湯川氏が上のエントリで書いておられるように、ブログは単体でなければ「ブロゴスフィア」の総体として、現在新聞が担っているような継続性・倫理性を発揮出来るのではないかと考えている。もちろん、ブログがそのような役割を果たすためには、ブログの書き手・読み手共に改善すべき点はある。しかし、大手マスコミの書けないタブーに果敢に挑戦したり、ネット全体の調査能力をフルに活用した、ブログならではの情報というのも出てきている。NHK・朝日問題とか、まさにそうだと思う。
 それより、前にこのエントリで書いたように、アメリカでは、ニュース源としての新聞(紙メディア)の退潮が深刻である。この記者のような変なプライドにとらわれている場合でなく、メディアの潮流の大きな変化に新聞という組織がどう生き残っていくのか、真剣に考えた方がいいんじゃないの?
 もちろん、現在のブログが、調査に基づく大手ジャーナリズム記事に依存するという現状はあるわけで、それこそ新聞がブログになってしまってはブロガーの方が困ってしまうわけだが、いっぽう、情報のスピード、また、組織体質・思想的な足かせから自由な議論など、ブログが現在大手メディアに欠けている部分を補完している部分もかなり出てきたと思う。だからこそ、アメリカでもブログからニュースを仕入れる人が増えているわけで。そういう現状を無視して、こういう、ブログを見下す偏見たっぷりの記事を書いても、ブログ界隈で晒し上げを食らうだけだと思うのだが。ということで、やっぱり
「そう信じる。」(笑)
で締めたいと思う。

p.s. 渡辺記者は、まだ見てなかったら、これ見て下さいね。
Epic 2014 (日本語訳)
フィクションには違いないが、恐ろしいほどリアルな可能性を描いているのではないかと思う。
好むと好まざるとにかかわらず、こういうのがメディアの未来なんじゃないかと。

p.p.s. 「愛と妄想の日々」からのTBで知った産経抄(3/18)。これも、実態を知らない新聞界のおエライさんのつぶやきという感じ。「プロ集団」というなら、その実力を発揮して、ネットでは絶対見られないような紙面を作って下さい。話は、それから。これも(笑)である。

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March 12, 2005

What's the Frequency, Kenneth?

ヤフーUSの質問コーナー "ask.yahoo.com" から。
REMの"What's the Frequency, Kenneth?"の裏話って?」(New HampshireのDanaさんから)
これは、「あれ確か…」と思っている方も多いと思うので、ヤフーの回答に沿って、一応メモ。

1986年10月、CBSニュースのダン・ラザーがマンハッタンで歩いていると、突然後ろから殴られ、路上に倒された。男は、「Kenneth, what's the frequency?」(ケネス、周波数は何だ?)という意味不明の言葉を繰り返しながら、ラザー氏に殴る蹴るの暴行を加えた。

ラザー氏は、心当たりがない、と主張していて、この件は都市伝説のようになっていたのだが、それをREMのマイケル・スタイプがネタにして、"What's the Frequency, Kenneth?" として1994年にリリース。後で、スタイプは、「シュールでアメリカンな、20世紀の未解決の謎」と発言している。REMがプロモでThe Late Show with David Letterman(CBS)に登場したとき、ラザー氏も登場、曲を紹介した。

いっぽう、1997年には、ラザー氏を暴行した男が判明。現在、TV局員を殺人した罪で服役中なのだが、ニュース・メディアが彼の頭に電波を送っていると信じていて、周波数さえわかれば、その電波をブロックできたのに、と思って犯行に及んだ、と言っているらしい。

しかし、このヤフーの回答、「ラザー氏は多彩な人生を送った」とかいって、ratherbiased.comのページにリンクを貼っているのはどうよ。しかし、この回答が2001年6月のもの、ということを考えると、ratherbiased.comの主催者は少なくともその頃からネットで活動していたことになるわけで、ラザーゲートも、単なるブロガーによる突発的事件と考えるのはナイーブすぎるようだ。

さて、「イブニング・ニュース」のほうは、日曜の政治番組の司会者でもあるボブ・シーファーに交代。この人は、今回の大統領選討論の司会をしたりして、フェアネスという意味では定評のある人。まあ、臨時職という位置づけのようだが、出来る限りこの人で行くという手もあるんだろう。シーファー氏の最初の放送のコメントを読むと、アメリカのニュース・アンカー職の重みというのをひしひしと感じて仕事をしているのがわかる。個人的にはこの人に続けて欲しいなあ。シーファー氏については、nprのこの記事も良い。

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March 09, 2005

ダン・ラザー、今日「イブニング・ニュース」降板

今日の放送をもってダン・ラザーは「CBSイブニング・ニュース」を降板するのだが、CNN(AP)の記事によると、有終の美とはいかなかったようだ。

  • 3大ネットワークのニュース番組どうしの視聴率対決では、NBCの新人、ABCに次いで大差の3位
  • CNN/USA Today/Gallupの世論調査によると、「ラザー氏の発言のすべて/ほとんどを信じる」とした人は、2年前の34%から23%にダウン
  • この日、CBSではラザーの仕事を回顧する特番を放送する予定だが、ミシガン州のある系列局では、ラザー氏に対する批判の電話が多くあり、局のウェブサイトで「ラザー特番を放送すべきか?」というオンライン世論調査を実施。結果によっては放送を取りやめるとしていた。(この放送局のサイトに行ってみたところ、「当局の意図が誤解されてしまった。ラザー特番は予定通り放送する」との告知が。)

後任についてはまだ発表されていない。CBSの社長のコメントによると、複数のアンカーマン体制なども検討されているようだが。
 ラザーゲートについて、特に付け加えることはない。ラザー氏はまだ「あの文書の信憑性についてはわからない」などと言っているようだが、アメリカのブログの歴史において、ブロガーあるいはブロゴスフィア総体として最も効果的に機能した事件のひとつとして記憶されるだろうということは間違いないだろう。
 ※ラザーゲートについては拙ブログのこのエントリなどを読んでみて下さい。

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March 07, 2005

ネット躍進の陰で政治ニュースの読者激減の米新聞界

覚え書き程度に。
Bad news or really bad news for newspapers? (danieldrezner.com)
日本では「政治ニュースの入手先、ネットがラジオ超える=米調査」と報じられたが、この記事の元になっているPew Research Centerの調査結果を読むと、この10年間で政治ニュースをインターネットから入手する人々の割合が3%から18%と増加した一方、紙媒体の新聞と答えた人は60%から39%に激減している。まあ、インターネットをニュース源とする人のうち43%はcnn.comやnytimes.comのような大手サイトを訪れるとしており、新聞社の危機というよりは、Pewの中の人が言っているように、新聞社の重役たちは "Newspaper people" から "contents people" へと自己イメージを変革すべきだということのようだ。

いっぽう、政治ニュースに関していえば、3分の1の人が「新聞・テレビには欲しい情報がない」、また11%の人々が、「インターネットには他では得られない情報がある」、と答えている。これらの層がブログやインターネットサイトに向かう率が高い、とこの調査は伝えている。大きな眼で見ればブログやインターネットの政治言論への影響力はアメリカでも限定されているが、ネットが既成メディアへの不満をベースにニッチを形成していることが明らかになった。

アメリカのメディアの見取り図の印象を大まかに書いてみると、インターネットを取ってもブログの他にPodcastingがどこまで定着するかなということもあるし、また、衛星ラジオ (XMやSiriusといった有料・衛生ラジオ放送を使えば、月$10くらいで百数十チャンネルの音楽・トークなどを聴ける)やフリーペーパーなどの動向も見逃せない。特に、衛星ラジオは、アメリカのようにラジオが生活に浸透している一方、土地柄ラジオの受信域がアメリカ全土のほんの一部しかカバーできないという事情があり、意外と根強いと思われる。一方、TVについては、アメリカの場合ケーブルTVの普及率が高いのだが、最近はデジタル化が進み、DVRなどの普及度が上がっている。衛星放送ではTiVOなどのサービスがある。オンデマンドということでは、ケーブルTVでは昔からあったわけで、それに加えてDVRの普及で自分の好きなときに好きな番組を観るというライフスタイルが定着しつつあるが、その次というのはなかなか見えない。アメリカでデジタル・ライフスタイルを引っ張る形のApple社も、音楽はiTunesが一人勝ち状態だが、なぜか映像・ビデオには手を出す気配がない。さて、どうなるのか。

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February 19, 2005

飽きてきた。

あちこちで、私の「リベラルブロガー」論に関する一連のエントリが、「今評判の…」とか、「今話題になっている…」というような枕で紹介されているようなのだが、そんなに話題になってるのだろうか。たまたま皆さんが巡回しているブログで同時多発的に話題になっているのでそう見えるだけなんじゃないかと。【追記:とか言って私自身、このエントリでは「いろいろなところで反響を呼んでいるようです」と書いたわけですが。まあそんなに「今話題の…」と言われるほどではないのではないかと。】私のブログのここ数日のアクセス数もせいぜい普段の2倍くらいで、米大統領選挙の前後、typepadの容量を超えそうになって困っていた頃には遙かに及ばないし。それとも、この話題はとりあえず「自分はそんなに関心はないんだけどね」というジェスチャーを見せつつ、核心部分はスルーして、それでも傍観者的に絡んでコメントしたい種類のトピックなのだろうか。それに、「理性的な人たち」はみんな「ネット右翼」とか「リベラルブロガー」とかいうラベルには実体がないという点で合意しているらしいし。なんだか面倒くさくなってきたな。

結局のところ、SOUL for SALE のこのエントリが指摘している通り、「ネット右翼」に実体があるか、という問いは、ネット言論がリアル社会にどれだけインパクトを与えているのか、という大きな問いにつながってくるのだろう。日本はともかく、アメリカでは進行形だが大いにあると言っていい。ブロガー向けの広告 blogads も定着して久しい。また、今年に入ってNew York Timesの動向が非常にあわただしい。ポータルサイト About.com を買収したりしているし、新聞記事自体にもブログを意識したものが今年に入ってからはほぼ週2〜3本のペースで出ているような印象がある。この週末だけとっても、今日(土曜)もPodcastingについての記事が出たし、明日付の記事にはグーグルの社員が社内事情をブログで明かしたという小話をレポートしている。私も、こんな与太話を書くよりは、今年に入ってからのNYTのブログ記事をひとつひとつ検証しながら、大手メディアとブログの距離感覚を実証的に追っていく方が有益なのかもしれないとは思っている。とまれ、最近のNew York Timesのブログに対する意識過剰ぶりはかなり面白い。また、戦争を止められるかどうか、という問いも、去年のハワード・ディーンの盛衰、また、夏場の「高速艇退役軍人」の話をみれば、ブログは人を辞めさせるだけではなく、選挙戦の帰結に影響を与えたことは疑いないだろう。それで、こういうアメリカの状況を横目で見ながら、「では日本ではどうか…」とかいう話が去年の末頃の「論壇系ブログ」云々の話だったわけで。で、結局日本ではまだまだとかいう話だったんだよな。ああ、既視感ありあり。

また、日本とアメリカの現在の政治思想的な状況を比較した場合に、アメリカのほうが、2004年の大統領選挙を経てますます「リベラル対保守」という対立的構図が深まっているという事情もあるのだろう。(それがブッシュ政権の Red Statesを囲い込む政策によるのか、ラディカルに左傾した民主党のせいかはここではおく。)そういうなかで、たとえばInstapunditほどに影響があるハブサイトが中立でないのはまずいんじゃないとか、Kosがリベラル最大のブロガーというのはどうよ、とかいう話はアメリカのブログ界隈では時折出てくる話。もちろん、9/11以来「リベラル/保守」というラベル自体が大きく再定義されているというのは、「ネオコン左翼」クリストファー・ヒッチンスがイラク戦争を支持したり、「アイソレーショニスト」パット・ブキャナンがイラク戦争に反対していることなどに端的に現れているわけで、9/11以前の歴史も重要だが、その後の状況をきちんと再検討しないといけないわけだが。ともあれ、この話題も急速に飽きてきたので別の話題に。

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February 15, 2005

ネット右翼とリベラルブロガー:とりあえずリンク集

先日来の「リベラル派のハブサイト」に関するエントリ(ここここ)には、かなりいろいろな所で反響を呼んでいるようです。何か議論を深めるきっかけになったのならば幸いです。この議論をベースにさらに深めたいところなのですが今仕事が大きなヤマでして、とてもお返事できません。ですが、議論が熱いうちに、ということもあり、とりあえず言及・リンクいただいた主なブログ・エントリへのリンクをまとめておきます。だいたい時系列順です。

finalventの日記:2005-02-10 WP Online Reporter Quits After Liberals' Expose
セカンド・カップ はてな店:リベラルを叩く
pantomimeの日記@隠棲準備中:ネット右翼について
愛・蔵太の気ままな日記:[ネットの話題]ネット右翼
Silly Talk: 実はどっちもどっちなんだけど
news_from_japan:リベラル派にとってのblogの役割とは?
悪魔のうたたね、天使の寝言:リベラル思想のコモデティ化~リベラルは当たり前で陳腐
圏外からのひとこと:日本にリベラル系のハブサイトが無い理由
小さな目で見る大きな世界:リベラルの不在、保守の不在

また、直接言及されてはいませんが参考までに。
数学屋のメガネ:何が助け合いか

他にも私の知らないところでこのトピックに言及されているサイトがあれば、コメント欄ででもお知らせ下さい。

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February 12, 2005

リベラルブロガー論:追記

前のエントリに自己レス。長くなったので独立エントリとする。
 こういう記事を書いたのには、「もし『リベラルブロガーのハブサイト』というのがあるとしたら教えて下さい」という情報収集の意図もあったわけだが、あちこちTBやリンクされたサイトを見てもなかなかないようだ。もちろん、掲示板、MLなどで左翼系の情報が集まるところはいくつか知っているし、Academia RSS Projectのようなところもあるが…。ブロガーで、一般向けにリベラル系の論点をまとめてくれるようなサイトはないのかなあと思う。「暗いニュースリンク」はアメリカ左翼の言説をそのまま翻訳しているようなサイトだもんなあ。批判という意味ではなくて。それとも、他に多く指摘されているように、ハードコアな反日左翼が穏健なリベラルを圧倒して、一般人的には近寄りがたい状況になっているということなのだろうか。

 それから、あちこちのブログで「ネット右翼」の存在について議論が出ている。ま、一般のネットユーザーやブロガーに保守的な人々が多いように見えるのは、リベラル寄りである大手のメディアがあまりにも酷い現実に対する異議申し立てという側面があるのではないかと。ラザーゲートに代表されるように、アメリカも似たような流れはある。そのような現実は、「庶民の側に立つ」というタテマエのリベラル・エリートたちには何とも理解しがたいというか、裏切られたような感覚というのはあるのだろうが。もう少し現実を見て欲しいものだ。
 私の立ち位置は、というと、バックナンバーを読んで頂ければだいたいわかると思うのでここでは繰り返さない。まあ、右上に貼ってあるブルーリボンは一つの意思表示と取って頂いて構わないが。ともあれ、左右にかかわらず建設的な対話が重要であるというのはひとつ大きな原則として持っている。最近、記者や弁護士のサイトが「炎上」するケースがいくつかあったわけだが、もちろん、公人や朝鮮総連のような政治団体の動向についての検証・調査は意味があるが、一般人の個人情報を詮索して公開するのはどうかなと思う。そういう意味では、朝日新聞の擁護をする朝日新聞記者というのは微妙な立場ではあるが。まあ、インターネットは一部の人が想像するほど「匿名」ではないし、基本的に社会のルールがあてはまるというところで皆さんが自己責任で活動するしかないのではないか、というところが今の私の見解。

最後にもう一度だけ呼びかけ。運動家向けではなく、幅広い一般層・あるいは反対の思想の人々も読めるような形で、リベラル側の論点を簡潔に、論理的に、わかりやすくまとめている日本のブログサイトがあったら、ぜひ教えてください。つうか、リベラルな皆さんはどんなブログを読んでるの?

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February 09, 2005

日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか

NHK・朝日問題についてトラックバックを頂いた。

祭り、そして対話ということ(Silly Talk)
できるだけ多くの素材と、広い視野から語れるように(NHK番組編集問題・議論の交差点)

この1か月、猛烈に時間がなかった。今もあまりない。そういうわけで、NHK・朝日問題についてはあまりきちんと追うことが出来ていない。巡回するブログでも熱く語られているところがあったが、きちんと読んでいなかった。こうして少し距離を置いてみると、政治オタクかなにか(失礼)でもない限り、そういうあり方のほうが普通なのではないだろうかと思ったりする。その意味では、「議論の交差点」のようなまとめサイトはたいへん重宝する。管理人の方には、これからもご活躍を期待したい。

ざっと見出しを読んでみると、朝日を批判する保守側としては、朝日新聞の見解の矛盾を指摘する論証的な部分では、「鳴かぬなら 鳴いたと書いて すりあわせ」(@圏外からのひとこと)という対応ぶりという点でコンセンサスがあるようだ。いっぽう、最近は、慰安婦関係の集会の主催者と朝鮮総連の関係が明らかになり、こうしてこのタイミングで問題を蒸し返すこと自体に北朝鮮シンパの政治的意図があるのではと指摘されている。 この辺は、朝日新聞の過去の報道姿勢などをみて激しく既視感で、「またか」と思っていたのだが。また、「民間法廷」なるパフォーマンスに対する疑問を提起しているエントリも多い。こういうイベントはパフォーマンスであって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。

いっぽう、安倍氏や中川氏の政治的圧力を指摘するリベラル側は、「議論の交差点」のまとめによると、

リベラル系ブログは、「政治とNHKの関係」に絞って議論する例が多いが、総じて事実関係の確認が甘く、限られた情報のみで結論を断定してしまうものもある。良心的な専門家の中に、「言論の自由」「政治的公平」の概念について突っ込んだ議論が見られる。

ということのようで、そのあたりの議論としては「数学屋のメガネ」の一連のエントリなどが目につく。あと、「おおやにき」の大屋さんが絡んだやりとりなどがある。

振り返ってみると、保守系の議論の流れは、ひとつひとつの記事をきちんと読み込んでいないにしても、見出しを見たり流し読みしたところでだいたい話の流れがつかめていたのに対して、リベラル系の議論はきちんとフォローできていなかったように思う。これはなぜだろうか。私自身、情報の取り方が偏っている、ということもあるだろうが、「議論の交差点」を見渡しても、リベラル系の議論のポイントがうまくまとまったサイトというのはないように思う。これは残念なことだ。このサイトを見渡すだけでも、たとえば放送法の「公平原則」について、現在規定されていることの法的議論、法哲学的な観点、またこのような法的規制の未来(アメリカでは「フェアネス・ドクトリン」は80年代に廃止され、さまざまな視点のニュース番組が乱立する状況になっている)など、じっくり考えてみたい問題は多い。(たとえば、13Hz!のこのエントリでは公平原則の将来について論じている。)また、政治の言論に対する「圧力」という問題は、じつに微妙な部分を含んでいて、事実関係の洗い出し以上の議論が必要、というような議論には考えさせられるものがある。(そういう議論に納得できるか、という問題とは別に、安倍氏の事件当初の発言などを見ると、議論がそっちの方向に向かった場合の危険性を十分認識しているとは言えると思う。)

トラックバックを頂いた「Silly Talk」の記事のコメント欄で、左翼にしっかりした論客がいない事が問題だ、というのがあったが、論客がいない、というよりは、論点を簡潔にまとめたりする編集技術とか、レトリックを備えたハブサイトがないのではないだろうか。それに比べて、保守系のサイトは、そういう編集技術に優れたサイトが多いという印象がある。また、リベラル系のサイトを読むと、重要な論点はそこにはあると思うのだが、意外と「感性」とか「センス」とかに依拠した議論が目立つ。リベラル系の人達は自分の感性に合わない議論は拒絶しているのかなあ、という印象がある。これは、個々のサイトというよりは私のおおざっぱな印象なのだが。

アメリカ政治の問題について、リベラル系の動向を知ろうと思ったら、The Nationのサイトを見るとか、ブログではKos, Atrios, Talking Points Memoをざっと読むとかの方法がある。日本の場合はどうだろうか? 

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January 10, 2005

CBS、ラザーゲート報告書を公表・4人を解雇

ホワイトハウスは、国民に知られたくないニュースを金曜の夜から土曜の朝に発表することが多いといわれる。週末に新聞を読んだりニュースを見たりする人が少ないからだ。そして新しい週が始まる頃には騒ぎも落ち着いている、というわけだ。以前、ブッシュ大統領の軍歴疑惑が問題になっていた頃(ラザーゲートの前)、ホワイトハウスがブッシュ氏の空軍予備役時代の記録文書600ページあまりを金曜の夜に公表したことがあった。ホワイトハウス特派員がケーブルテレビの政治番組のホストに「週末休めなくなってしまったけど頑張って読みます」とか言っていたのをよく覚えている。

まあ、先週末そのルールを踏襲して大ニュースを流したのは政府でも政治家でもなく、離婚についての声明を公表したブラピとジェニファー・アニストンのマネジャーだったわけだが。

さて、月曜の今日、ラザーゲートに関するCBSの調査報告書が発表になり、同時に問題の番組の製作にあたったプロデューサーのメアリー・メイプスら4人が解雇された。
最新情報はratherbiased.comで読むことが出来る。

224ページにわたる報告書(pdf)の内容については、早速多くのブロガーが分析している(その多くはratherbiased.comからリンクされている)。私は読んで分析する時間はとてもないのだが、調査書のスタンスとしては「明らかな偏向はなかった」というところに落ち着いている模様だ。一方、ラザー氏が誤りのあったニュース記事を頑なに撤回しなかった点については批判している。

今日のCBS EVENING NEWSは、ラザー氏は「取材のため」欠勤。ボブ・シーファーが代行した模様。また、ラザー氏降板が決まっているEVENING NEWSの後継アンカーの発表が近いというニュースもある。CBSとしてはこの辺りで騒ぎを収めたいというところだろうか。

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December 18, 2004

ブロガーがTime誌 "The Person of the Year" 候補に?

毎年恒例の Time誌 "The Person of the Year" が発表されるのはこちら時間の明日(日曜)なのだが、ブログでも予想が飛び交っている。いくつかの有力ブロガーがリンクしているエントリによると、"The Person of the Year" はジョージ・W・ブッシュ大統領で決定という内部情報がある、とのこと。これだけではインターネット上の噂というレベルであり、その真相はあと1日もすればわかるのだが、もし本当ならば好きと嫌いとにかかわらずまあ妥当なチョイスといえるだろう。

さて、同じエントリで面白いのが、「ブロガー」が候補として真剣に検討された、という点。最終的には却下されたが、ブロガーについて扱った記事が特集号に載るのではないか、とのこと。Instapunditではフォトショップでカバー画像をでっち上げたりしてこの話題を盛り上げていた。もちろん、こういうネタはブロガーが好むところなので、ブログが取り上げやすいということはある。しかし、昨日たまたま見ていたNBCの朝の報道番組 "Today" にTime誌の編集長が登場していたのだが、インタビュアーが「今年はブロガーが活躍した年でしたね」と聞いていたのは、そういう内部の議論を反映したものなのかもしれない。ともあれ、"Time" や "Today" という一般庶民のメディアでBlogという単語が聞かれるようになったということからも、ラザーゲート以来Blogが市民権を得てきた現実が実感を持って感じられる。オンライン版 "Time" にブロガーについての記事が載ったら、このブログからもリンクを張ることにしよう。

【追記 12/19】TimeのPOYが発表されました。予想通り、ブッシュ大統領でしたね。記事はこちら。それから、ブロガー特集があるという予想も当たりました。無料で読めるのは次の記事。このブログで話題にしたブログについても言及されています。

10 Things We Learned About Blogs

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December 17, 2004

アメリカ・ニュース番組の偏向度

さて、同じRatherbiased.comに、アメリカのニュース番組の偏見について、興味深い記事があった。ハーバード大学とスタンフォード大学の教授が、上院議員の投票動向の「リベラル度」を計るインデックスを利用して、ニュース番組の保守・リベラル度を測った研究について。(この記事が載ったのは保守(ネオコン)系 "The Weekly Standard" だが、インデックスを計算したのは大学の研究者である)
さて、このインデックス、ADAと呼ばれ、完全な保守なら0、完全なリベラルだったら100となる。上院議員で言うと、リベラルなケリー氏が88、テディ・ケネディ氏が89、保守系のフリスト氏が10、マケイン氏が13、中道のスペクター氏(共和)が51、スノウ氏(共和)が43、リーバーマン氏(民主)が74という得点である。共和党の上院議員の平均が16点、民主党の上院議員の平均が84点となる。
 さて、この得点法で、アメリカのニュース番組、新聞などを採点すると次のようになる。

35 ... Washington Times
40 ... Fox News Special Report with Brit Hume (Fox News)
56 ... The News Hour with Jim Lehrer (PBS), CNN News Night with Aaron Brown (CNN), Good Morning America (ABC)
60 ... Drudge Report
61 ... World News Tonight with Peter Jennings (ABC)
62 ... NBC Nightly News with Tom Brokaw (NBC)
74 ... CBS Evening News with Dan Rather (CBS), New York Times

こんな結果で、夜6時台のネットワークはどれも左寄りだが、特にCBSニュースのリベラル度が際だっている。この調査に寄れば、Fox Newsの保守偏向よりも、CBSやNew York Timesのリベラル偏向の度合いのほうが高いことになる。一方、公共TVのPBSは比較的偏向度が低いといえるだろう。また、これはRatherbiased.comでも指摘しているが、大統領・副大統領候補討論の司会者の4人のうち、3人は偏向度の低い番組 (The News Hour with Jim Lehrer, Good Morning America)から選ばれているというのも、なかなかに興味深い。

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CBSの調査リポートが出てこない件

さて、久しぶりにラザーゲートの話題。9月に、ニュース報道に捏造文書を使ったことが明るみに出たとき、CBSニュースは調査委員会をすぐに組織、完全な真相究明を約束した。そのとき、CBSニュース会長のAndrew Hayward氏は、調査書を「何ヶ月というよりは、何週間」の中に発表すると公言した。

それからもうすぐ3か月になろうとしているが、調査リポートはまだ発表されていない。ラザーゲートを追っているサイトRatherbiased.comのニュースページによると、調査書の全文を公表するかどうかで社内が割れているという。特に、局の重役の一部が、全文公表に否定的だという。(参考)また、USA Today紙によると、発表は1月以降になるとのことだ。(参考)まあ、全文公表するかどうかが議論になっているというのが本当ならば、その内容はCBSにとっていいニュースではないのだろう。また、Washington Timesの記事によると、この調査書発表後、4、5人がクビになるだろうと言われている。(参考

ラザー氏の "Evening News" の後任が決まらないなか、いつこの調査書を発表するのか、難しいタイミングではあるのだが…。思い切って、同じ親会社のComedy Centralの番組 "The Daily Show" をこのスロットに持ってきたらどうだろうか? …まあ、それはCBSのニュース部門を閉鎖するのに等しいからありえないわけだが、CBSニュースの信用低下はこうしている間に続いているのだ。

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October 22, 2004

アメリカで最もまともな政治討論が見られるのはComedy Centralかも

このサイトでも何度か紹介したコメディアンのジョン・ステュアート。嘘ニュース中心のコメディ番組、Comedy Centralの "The Daily Show" のホストだが、若者に絶大な人気を誇っていて、今回の大統領選挙を報道するメディアのなかでも異色の存在になっている。そのステュアートが、先週CNNの政治討論番組 "Crossfire" に出演したのだが、やってくれました。(そのときのビデオ筆記録。また、事件を簡潔にまとめてあるNew York Timesの記事)つねづねこの番組にはうならされていたのだが、この事件を通して、TV関係者で今年の大統領選挙をめぐるメディア事情が一番よく見えているのはこのコメディアンではないか、という印象を深くした。

"Crossfire" という番組、右派と左派から一人ずつ、二人の司会がいて、通常はゲストも二人という形式。CNNでも長寿番組のひとつなのだが、ステュアート氏は、登場するなり真顔で、
「なんであなた達は口論しなければいけないの?」
「あなた達の番組は、ひどいというか、アメリカに害を及ぼしている」
「あなた達に言いたいことがある。(番組を)やめてくれ。」
などと発言。最初は見ている人もジョークだと思ったらしく笑っていたが、だんだん彼が本気だというのがわかってきて、リベラル側のポール・ベガラは凍ってしまう。保守側のタッカー・カールソンは、「ケリー氏があなたの番組に出たときは甘い質問ばかり聞いていた。おべっか使っているんじゃないの」と反撃したが、
「あなたたちはCNNでしょ。Comedy Centralの番組に報道の倫理を求めるなんて」
「われわれの前番組は、人形がいたずら電話する番組だよ」
などと反撃。そして、「あなた達は国民ではなく、政治家や大企業の味方をする党派的な売文業者 (partisan hacks)」「あなた達のやっているのはプロレス」とダメ押しした。カールソン氏は最後まで怒っている様子だったが、ステュアート氏はすました顔で番組を終えた。

ステュアート氏の論点はじつにまっとうである。アメリカでは、24時間ニュース局が増え、"Crossfire" のような討論番組が多いのだが、「右・左」とくっきり分けてしまうため、どうしても劇場的になって論点が単純化されてしまうし、右=共和党、左=民主党と同一化してしまうため、二大政党の論点に当てはまらない視点が落ちてしまうばかりか、政党の短絡的な主張(talking points)をオウム返しにすることになってしまう。今回の選挙でも、政治言論が単純、粗野になってしまい、原理原則も何もない二大政党の争いになっているのは、こうしたニュース局の力が大きいだろう。まあ、そう思っていても誰も言えなかったわけだが、ステュアート氏がその番組に出演して出演者の目の前で言ったということで、特にアメリカのブログ界隈などからは拍手喝采、というわけだ。

前にも書いたように、"The Daily Show" の視聴者は、一般の人々より政治に詳しい人々が多いとされる。この番組は単なるコメディではなく、政治を単純化しようという流れに反して、政治システムじたいが持つ矛盾やばかばかしさをスマートに描く番組と考え直した方が良さそうだ。ところで、この番組に、「("The Daily Show")を見ている連中はヤク中ばかり」と発言した、Fox Newsの人気キャスター、ビル・オライリーが登場。ビデオは"The Daily Show" のサイトで見られるのだが、これが意外にまとも。(いや、「意外」とすら言うべきでないのかもしれないが。)オライリー氏は右より、ステュアート氏は左よりだが、政治家と政策を区別して議論していたし、どちらも地に足がついていて、現在の政治システムのあり方が庶民の生活とはかけ離れているという意識を持っているというのがよくわかった。二人のスタイルはまったく異なるが、お互いに敬意を抱いていることも感じられたし、この対話は実に面白かった。

しかし最後に、
ステュアート 「しかし、今日話してみて、あなたが本当にどちらを支持するか決めていないって納得できましたよ」
オライリー  「だからあんたは間抜け(pinhead)だって言ってるんだ」
とお約束のやりとりが出たのは笑った。

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October 20, 2004

『レイプ・オブ・南京』をめぐる二つのエピソード

最近、「南京事件」を描いた漫画が掲載取りやめになったりして、ネット上でもこの問題をどう考えるかという議論が多く出て来ているようだ。このことについては、触れること自体リスクが伴うし、また「南京事件」と呼ぶこと自体があるスタンスを示すことになったりして、いろいろと厄介である。このことについて書くことは、不毛な論争を呼ぶだけだし、このことに触れてもあまりメリットはないかもしれない。だが、あえていくつか気が付くことを書いてみたいと思った。
 この問題がアメリカで表面化したのは、最近では1997年のこと。ちょうど南京事件60周年のときで、各地で中国系アメリカ人が組織化してシンポジウムなどのイベントをやったりしていた。その渦中にあったのが、今は悪名高いアイリス・チャン著の『レイプ・オブ・南京』という本だった。

この本、今となっては、事実誤認が多く歴史書としては批判に耐えない書という定評が日本・アメリカの学会では定着していると思うのだが、当時は意外と好意的な書評が載ったりした。とくに、1997年12月14日付のNew York Timesの書評では、歴史的事実についてはチャン氏の記述を受け売りする一方、チャン氏の本を「重要な書」と賞賛している。また、日本の中学・高校教科書には南京事件について書いておらず、国民の大部分はこのことについて知らされていないと書いている(これは日本の現状を知っている人には明らかにウソとわかるだろう)。いっぽう、チャン氏の多くの事実誤認についてはふれずじまいである。

この書評の著者は、カリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム学教授で、歴史家ではない。そこで、日本史の専門家など多くがNew York Timesに事実訂正を求めて投書した。(私の知り合いでも投書した人を知っている。)しかし、NYTはことごとく無視。結局訂正文がひとつも載らなかった。この一連の事件を指して、東アジア研究のジョシュア・フォーゲル氏は「アメリカ学会にとっての悲しい一日」と呼んでいる。(Joshua Fogel, "The Controversy over Iris Chang's Rape of Nanking" Japan Echo, Vol. 27 No.1 February 2000: pp. 55-57) このフォーゲル氏も、「チャン氏の本によって南京虐殺そのものが否定されることが問題だ」ということで、南京事件否定派とは一線を画しているのだが、New York Timesはそうした学者からの訂正要求もすべて無視したことになる。彼らにとっては、この問題について誤りを認めること自体、南京事件否定派の圧力に負けること、と思っていたのだろうか。また、この件について妥協したように見えることを嫌ったのか。

いっぽう、チャン氏側は、柏書房が『レイプ・オブ・南京』の日本語訳が出版中止になったことに関して、「右翼の圧力に負けた」と主張しているが、実際には、この本には一般読者にもすぐわかるような事実誤認があまりにも多く、柏書房側で修正を申し入れたところ、チャン氏側が拒否したという流れがあった。しかし、チャン氏側としては、「右翼の圧力に負けた」と主張していれば、ウソでもアメリカの一般市民には受け入れられやすいのである。

ともかく、「日本は戦争責任を取らない国」という、安易なイメージを受け入れて、そのイメージに合わない日本の実情を伝えないという意味では、NYTもチャン氏も同罪であろう。また、ここからは私見なのだが、「日本は戦争責任を取らない国」というイメージは、「欧米は人権を大切にする」というイメージの陰画であり、そのようなイメージに伴う目に見えない「利権」の構造のようなものがあるような気がする。その利権を守ることが、NYT にとっての利益だし、チャン氏はその構造を利用しながら自分のイデオロギーを広めている、とは考えられないだろうか。

同じころ、ABCテレビの深夜の報道番組 "Nightline" で、南京事件の新証拠として『ラーベ日記』が紹介される番組があった。(1997年12月11日放送)。出演者は、アイリス・チャン氏と、専門家としてコロンビア大学のキャロル・グラック教授など。番組内容はここでは省略するが、結びに、アンカーのテッド・コッペル氏が次のような発言をした。

The other day 60 Minutes did a fine segment on Japanese-American children, orphans most of them who, following Pearl Harbor, were sent to a desolate internment camp for no other reason than that their last names were Japanese. It was a terrible injustice to those children and should never have happened.

But if you want to understand why it happened and how people can get swept up in the passion of their times, it helps to know that in 1937 and 38, soldiers of the Japanese army killed in the most horrifying fashion more people in the Chinese city of Nanking than would die in the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. Without history we have no context, without context, we can never begin to understand the why of what nations do.

前半では、日系人の強制収容について触れているが、それが南京事件を持ち出しながら「これには文脈があった」と説明されている。あたかも、南京事件が日系人強制収容を正当化するかのように。また、後半の、「南京では、広島と長崎の原爆の死者の合計以上の人々がもっとも残酷な方法で殺された」というさりげない比較に注目しよう。広島も長崎も、南京に比べれば…、と言わんばかりである。この発言が示すのは、南京の犠牲者が30万人といわれることには、アメリカにも中国にも同じくらいの「意味」があるということ。その点では、「犠牲者が何人でも変わらない」という議論はやはり一面的であって、南京の死者が30万人以上という数字を十分に検証し、議論する価値はあると思う。ともあれ、当時この番組について知ったとき、この言葉をアメリカ屈指のキャスターが発したということが信じられなかった。

日本人の戦争の記憶に関して、「犠牲者の面ばかり強調し、加害者としての面を忘れていた」ということがよく言われるようになって久しい。「戦争体験」についての語りで、どうしても自分たちの苦しみばかりが強調されることはあっただろう。しかし、それが難しいのはアメリカでも日本でも同じだと思う。また、もちろん中共でも。

誤解のないように言うと、私は、南京事件について、「市民を装ったゲリラ兵を殺害したのは虐殺のうちに入らない」から、「虐殺はなかった」という議論には納得していない。(南京事件があったか、なかったかという歴史的論争については、私は十分に知らないし、このエッセイの範囲を超えるのでここでは触れない。また、その点について読者の方と議論するつもりもない。読むべき資料の紹介は歓迎しますが。)また、中国人の人々が南京事件を「虐殺」と呼ぶことも、(事実関係が覆らない限り)仕方ないとも思う。戦争の両側で歴史認識が違うのは仕方のないことである。アメリカ独立戦争直前に「ボストン虐殺事件」があったが、英兵に殺されたボストン市民は5人だけだった。

しかし、「日本ではメディア検閲があるが、アメリカやヨーロッパでは戦争の問題がオープンに語られ、自らの《罪》について十分に反省されてもいる」、というタイプの一般化も、私には信じられない。上の二つの例にみるように、欧米にもメディアの利害関係があるし、複雑な算段がある。また、そういう一般化を必要以上に強調する日本、海外の人々の背後には、それなりの利益関係があるような気もする。

ここに書いたようなアメリカのメディア事情について、私はアメリカの人々を責める気にはなれない。自国の問題を棚に上げて、こういう問題がありますよとアメリカ人を糾弾するのは、独善的なようで気が引ける。結局は、アメリカ人たち自身が解決していかなくてはいけない問題だと思う。日本でも、南京についての論争は納得がいくまで論争した方がいい。解決していないのに解決しているふりをするのが一番良くない。(そういう意味では、この漫画は元の計画通りに単行本化して、論争の種にするのがいいのかもしれない。)また、これらの論争は、結局は、自分たちがどういう社会を理想とするか、という理想像の反映でもあるような問題だと思う。

でも、日本の人々にこういうアメリカのメディア事情を知っておいては頂きたいとは思う。アメリカやヨーロッパを特別視しないこと、そして、日本でこの論争に関わる人達が、「在外日本人の立場」を代弁するふりをして自分の立場の援護につかうことに注意すること、そのためにも、こういう現実を知ってもらいたいと思った。経験上、日本の人が「こういうことがあると在外日本人が困りますね」ということと、在外日本人が日常で感じている違和感、差異とは、微妙にずれていることが多いと思う。もちろん、それは私一人の主観を通して言うのだが。

また、欧米の「戦争責任」論を日本がそのまま受け入れることは、そのような欧米の算段をも一緒に受け入れることだから、そのこと自体も十分に検討する必要があると思う。欧米と日本にギャップがあるとしても、すべて欧米に合わせる必要はないのではないだろうか。

追記:このエントリは、Soredaさんの「< a href="http://d.hatena.ne.jp/Soreda/">セカンド・カップ はてな店」を読んでいてその応答として書いたものです。南京事件をめぐるさまざまな問題について論じておられるのでぜひご一読を。

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October 08, 2004

シニカルな新聞記者二題

まずは、New York Timesに載った、イラクの自衛隊についての記事。
Japan's Troops Proceed in Iraq Without Shot Fired By NORIMITSU ONISHI (Oct. 6, 2004)
この記事、共同電で紹介されたりしていたのでごらんになった方も多いとは思う。実はこの記事について私は松坊堂日乗から頂いたトラックバックで知った。松坊堂さん(でいいのでしょうか)がご指摘されている通り、この記事の著者は、イラク日本人人質事件の「自己責任」論について、「彼らは『お上に逆らったから』罰せられたのだ」と書いた人物である。この記事については私が前に、この記事のステレオタイプ的な日本論が偏見を助長しているのではないかと分析した。その意味では、この記事もまったく変わっていない。

この記事は次のように始まる。

Whenever a Japanese convoy leaves its base here in southern Iraq, the armored vehicles are so spotless that they appear to have just rolled out of a Tokyo car showroom into this crumbling Shiite Muslim town on the Euphrates.

They lack the dents and dirt of other nations' vehicles. Perhaps that is because of the Japanese troops' attention to maintenance or perhaps, as the Iraqis here say, their increasing tendency to stay inside their base with the violence rising outside.

自衛隊の装甲車両は「東京の自動車ショールームから出て来たほど」ぴかぴかなのだそうだ。さて、なぜ「東京の自動車ショールーム」を持ち出す必然性があるのだろうか?
 ここでポイントなのは、日本人を「車」で代表させる換喩的な手法である。日本人は生身の人間ではなく、ピカピカの車としか見えない。西洋における日本のイメージが、極端にエキゾチックなものか、経済大国、ハイテク大国になった後のモノ中心のイメージが圧倒的で、日本人を同じ人間として見るということの大きな障害になっていることを考えると、この手の換喩はあまり歓迎できない。
 そもそも、この表現に必要性はあるのだろうか? 日本の外交は顔が見えない、ということへの遠回しな批判なのだろうか? そうだとしたら、なかなかスマートな語りではある。あるいは、イラクの人にとって日本のイメージは「経済大国」である、という、イラクの一般庶民の視点に立った語りなのだろうか? どちらにせよ新聞記事としては合格点かもしれない。しかし、私はこういう記事を読むたびに思う。日本の話題だったらいつも「車」とか「相撲」とかステレオタイプに直結した表現を持ち出す必要があるのか? アメリカ政治の記事で必ずどこかでカウボーイについて触れたり、フランスだったらワインとか、インドだったらカレーだとか、そういう記事を見せられたら読者はうんざりするとはこの記者は考えないのだろうか? もういい加減にそういうステレオタイプから自由になる時が来てほしい。そのためには、そのような表現を安易に使わないことが一番だと思う。こういう表現をサラッと使って恥じないという態度にシニカルな無関心というか、敵意のようなものすら覚えるのは私だけだろうか。

また、「自衛隊の車両はほとんど外に出ない」とある。この一文は記事全体の印象を決定づける意味で重要なのだが、オオニシ記者はこの点の事実関係については本文ではほとんど検証していない。日本に批判的なイラク人の大学教授が「自衛隊は外にほとんど出ていない」とコメントしている程度である。サマワ駐留の松本氏は、「すべて予定通り」と言っている。もちろん、自衛隊の発表を鵜呑みにすべきというのではないが、もう少し検証があってもいいと思う。イラクの一般庶民が自衛隊についてどういうイメージを持っているのか、という点は、実際、サマワの自衛隊の記念碑が破壊されたというニュース(読売)もあって興味深い点ではある。しかし、この記事を読んでいくと、イラクの人々の「日本の支援」というイメージはかなり規模が大きい経済支援を考えている人が多いということがわかる。これでは多少水を供給したりサッカーボールを1000個送ったくらいでは、「期待はずれ」である。イラクの人が不満だからと言って、自衛隊が引きこもっているということにはならないだろう。

この記事、自衛隊は「平和主義から離れる」流れの一環である、と結ばれている。オオニシ記者はこの辺りをアピールしたいのだろう。その意味では、この記事はNYTの読者だけでなく、日本の読者にも向けられている。(共同電が紹介記事を書いたのは、まんまと乗せられたのか、それとも直接・間接の依頼があったのか?)しかし思うのだが、イラク情勢がまったく混沌している現在、「日本の軍国主義化」を心配している人はどれくらいいるのだろうか? 憲法改正だって今すぐにも通りそうな印象すら受けるが、どう考えても5年、10年先の話ではないのだろうか? それより、自衛隊の現在の仕事が、将来の日本のイラクへのコミットメントにどう関わるかの分析を読んでみたい。ケリー候補も「多国籍部隊を拡大する」と言っているわけだし。ともあれ、この記者、アメリカの新聞社の日本への特派員のはずなのだが、視点がほとんど日本のマスコミと化しているのは面白い。

長くなったが、私は自衛隊を弁護したいわけではない。むしろ、「東京の自動車ショールームから出て来たばかりのようなピカピカの装甲車両」とか、「引きこもって出てこない自衛隊」とか、あからさまな印象操作とも取られかねない記事に強烈な反感を覚えるだけである。そんなことを書かないで、事実だけ淡々と書くのがジャーナリズムの仕事じゃないんだろうか。最後の判断は読者がすればいいのだから。

しかし、これは外交の問題でもある。イラクに自衛隊を送っているのだから、その点、各国にしっかりアピールしてほしい。この機会に外務省のイラク問題サイトを見たのだが、英語ページは決して充実しているとは言えない。日本語ページに比べてもかなり貧弱である。そもそも、外務省のホームページというのは海外に向けて日本外交のメッセージを発する重要な拠点なんじゃないだろうか? 

CBSメモ疑惑でダン・ラザー氏を弁護していたTBSの金平氏のHPが更新されている。ラザー氏が謝罪した直後は更新が止まっていたのだが、また更新が再開されたようだ。メモ疑惑についてもいくつか言及がある。
 金平氏も匿名のブロガーの批判はかなり意識しておられるようだし、私もこれ以上コメントするつもりはなかったのだが、これだけは書いておきたいと思ったことがひとつあった。10月6日の、
[私はこの件を是認します〜And I approve this message.]
というエントリ。今回の選挙から、ネガティブ・キャンペーンを減らす目的で、公式TV広告では候補自身が「私はこの件を是認します」と言わなければならない、という内容なのだが、次のように結ばれている。

イラクの大量破壊兵器に関する米調査団の最終報告書が出た。やっぱり大量破壊兵器はなかったという結論。将来のアメリカの教科書にはこの顛末はどのように記述されるのだろう。

(例)2003年3月、わが国は、大量破壊兵器保持を最大の根拠として、サダム・フセイン政権下のイラクに侵攻(invade)した。しかし、その後も占領政策に対する抵抗が根強く続き、わが軍にも千人を超える死者が出た。

もっともその頃に日本みたいな検定制度がアメリカに逆輸入されてたりして。こなんふうに。

(検定後)2003年3月、わが国は、イラク国民に自由と民主主義をもたらすために、サダム・フセイン圧制下のイラクに進撃し、イラク国民を解放した。その後、テロリストたちによる不法な反米蜂起が起きたが、わが軍によって制圧された。

こういうのは是認できないな。

日本の教科書検定制度では「侵略」を「進出」と書き換えるような歴史修正が行われているとでも言いたいのだろうが、「侵略」→「進出」と書き換えろという検定があったというのはあきらかな事実誤認である。これは朝日の有名な誤報記事で、誤報だったことは朝日新聞自身も認めている。(参照)誤報から出たデマを広げるのも許せないが、このポイント自体、本論と何にも関係ないじゃないか。何でも「日本政府は悪」という結論に牽強付会するというのは変だ。私は日本から離れてだいぶ経つので「News 23」の人気はわからないのだが、こういう報道をしていたら視聴者が離れていくんじゃないだろうか。こういう意見ばかりは是認できない。いや、本当に。

追記:このエントリはメディア批評という立場から書きましたが、サマワの治安、自衛隊の活動などがどうなっているのか、興味があります。事実に基づいたレポートがありましたらここのコメント欄などでお知らせ下さい。

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October 04, 2004

Fox Newsも捏造/The Daily Show躍進の謎

いろいろ書きたいことがあるのだが、CBSメモ疑惑を追っかけてきたこのブログとして書いておきたいのは、保守系ニュース局Fox Newsのウェブサイトに、根も葉もないウソのニュース記事が載ったという話。CBSメモ疑惑の時には静観していたリベラル系ブログTalking Points Memoがこの件では事件発覚直後からかなり徹底的に追及している。(最近はこのサイトに言及することが多いですが他意はありません。)左右の立場は逆転しているが、大手メディアをブログがチェックするようになったという図式を改めて印象づける事件といえる。

問題の記事なのだが、オリジナルの記事はこちらに保存されている。第一回の大統領選討論が終わった翌朝、金曜日の、ケリー氏の選挙演説のレポートなのだが、ケリー氏が次のような発言をしたと記録されている。

Rallying supporters in Tampa Friday, Kerry played up his performance in Thursday night's debate, in which many observers agreed the Massachusetts senator outperformed the president.

"Didn't my nails and cuticles look great? What a good debate!" Kerry said Friday.

With the foreign-policy debate in the history books, Kerry hopes to keep the pressure on and the sense of traction going.

Aides say he will step up attacks on the president in the next few days, and pivot somewhat to the domestic agenda, with a focus on women and abortion rights.

"It's about the Supreme Court. Women should like me! I do manicures," Kerry said. Kerry still trails in actual horse-race polls, but aides say his performance was strong enough to rally his base and further appeal to voters ready for a change.

"I'm metrosexual — he's a cowboy," the Democratic candidate said of himself and his opponent.

自分はマニキュアをしてるとか、メトロセクシュアル(都会的でおしゃれに気を遣う男性のこと。典型的な例はベッカム)だとか、マッチョさを売り物にしたいケリー氏なら絶対に言わない言葉。むしろ、ケリー氏は「弱いリーダー」だというイメージを持っているブッシュ氏支持者が冗談で「こんなこと言ったら面白いな」と考えそうな、少々パロディめいたせりふである。すぐに、他のニュースサイトではこのようは発言が報道されていないことから、捏造していたんではないかという疑惑が起こった。TPMなどがFox Newsに説明を求めたところ、即刻記事を撤回、謝罪した。現在Fox Newsサイトにある記事は訂正後のもので、編集者のおわびの言葉が載っているが、この失敗は「疲労と判断ミスのために起こったものであり、悪意があったわけではありません」と説明している。

この記事を書いたのは、Fox Newsでケリー氏番をしているCarl Cameronである。(参照:Fox NewsからTPMへの返答)このレポーター、よくFox Newsの夜のニュースでケリー陣営のレポートをしている人物だが、ケリー氏の失敗をうすら笑いを浮かべながらレポートすることがよくあるのを覚えている。こんなウソ記事を冗談で書いて送ってしまうような人物が報道に関わっていて、大した処罰もなしに仕事を続けているというのも驚きだが、これがチェックされずにニュース局のウェブサイトに載ってしまうというのも驚きではある。まあ、CBSとは違ってすぐに謝罪したことは評価できるが。

Fox Newsのスローガンは "Fair and balanced" なのだが、この局の番組に保守系のバイアスがかかっているのは番組を見ればすぐにわかる。このキャッチフレーズ、せいぜい、ネットワーク系のニュースのリベラル・バイアスがかかっていないという位の意味だろう。

Fox Newsといえば、最近人気キャスターのBill O'Reillyが、大学生などに人気がある嘘ニュース番組"The Daily Show"のJon Stewart相手に、「あなたの番組を見ている酔っぱらいの怠け者だって投票権があるんですよ」とけんかを売って、"The Daily Show"のプロデューサーが反論するということがあった。("The Daily Show"については拙ブログの次のエントリを参照。:"Jon Stewart manufactures news")実はこの話にはオチがあって、翌日に発表されたニュース(CNN)によると、"The Daily Show" の視聴者は、他のコメディ番組の視聴者や、よく新聞を読みTVニュースを見るような人々に比べて、この大統領選の争点についてのテストで高得点を取った、というのだ。番組ごとの平均点(6点満点)は次の通り。

• "The Daily Show" with Jon Stewart viewers - 3.59 correct
• "The Tonight Show" with Jay Leno viewers - 2.95 correct
• "Late Show" with David Letterman viewers - 2.91 correct
• No late-night comedy viewing - 2.62 correct

(同じテストがここで受けられる。)また、別の統計では、"The Daily Show"の視聴者は高学歴で、平均収入も高いといわれている。

また、"The Daily Show" のスタッフが書いたパロディ歴史(公民)教科書、 "America (The Book)" はベストセラーになっている。昨日はこの本の書評 が、New York Times Book Reviewに載った。この書評、ステュアートの笑いを、ユダヤ系ユーモアとアイビー・リーグ風の小粋さと分析している。彼の笑いはスマートだし、また自分を笑い飛ばすだけの余裕もあって面白い。私もこの本を本屋でぱらぱらとめくってみたのだが、番組と同じ調子で、けっこうツボにはまって笑えた。この書評では、こういう時代柄コメディは重要だということで、「この本にピューリッツァー賞を!」と結んでいる。

新聞で、最近はニュース番組の代わりに "The Daily Show" を見ている大学生が多い、という記事を最初に見たのはつい1、2年前のことだった。その記事は、「最近の大学生はニュースに関心も持たずに嘆かわしい」という論調で、実は私もそう思っていたのだが、この番組を見るような大学生というのは、政治問題を理解している意外とスマートな学生なのかもしれない、と思えてくる。政治に関心がないのではなく、単にニュース番組のスタイルが若者向けでない、ということかもしれない。(そういえば、The Daily Showの共和党大会のクリップでこの人この人のヘアスタイルをこき下ろしていたのには笑った。)まあ、この番組の快進撃は当分続くだろうが、不思議な現象ではある。

そういえば、Soredaさんが、アメリカ人以外にはアメリカ大統領選なんてしょせん他国の選挙なのに、あたかも自らが当事者のように盛り上がっている現状って一体なんだろう、という問いを投げかけておられるが、これって、アメリカ国民の多くにもあてはまるんじゃないかと思う。今回の選挙、普段政治に関心のない人まで関心を持たざるをえないような状況になっているのではないだろうか。それで、ロックなおじさんお兄さんたちはマイケル・ムーアの映画に流れたり、アイビー卒のヤッピーはジョン・ステュアートを見ている、ということなのかもしれない。普通のニュースは退屈で耐えられないが、マイケル・ムーアの映画やコメディ・セントラルの番組だったら見る、とか。その内容はともかく、今回の選挙の持つ異常なほどの重みというのがかえって浮き彫りになるような気がする。さて、このサイトではアメリカ大統領選についてけっこうマニアックに追いかけているわけですが、拙ブログを読んでくださっている日本語圏の人々は、なぜアメリカ大統領選に関心を持っておられるのですか?

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(2006年5月 むなぐるま管理人からの受託により保管)

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