むなぐるま

アメリカ在住の研究者(の卵)による日常観察・オピニオン系Blog

March 09, 2005

匿名のゴミコメントが良質ブログを潰すこともある

私のところにもTBを頂いた、団藤氏の「ブログ時評」のエントリにコメントが殺到している。といってもせいぜい30から40くらいなのだが。それで団藤氏が、ハウスルールに従ってコメントを管理人のみが読めるモードに変えたところ、R30さんには「ステルスコメントスクラム」などと揶揄されている。また、ブログ界隈のあちこちで批判の声があがっている。

私自身は、「ブログ時評」のエントリはなんとも答えようがないなあ、と思って静観を決め込んでいた。というか、正直、一般のブロガーとはだいぶ感性がずれているように思うし、揶揄されても、テンプレになっても仕方ないと個人的には感じていた。でも、コメント欄の管理については団藤氏に同情する。つうか、コメントを削除したり閲覧不能にしたりしたから言論弾圧っていうのはおかしくないか?

愛読していた「小さな目で見る大きな世界」が、開設1年を期に更新停止された。最近は、ブログのエントリやコメントを通して、意見が違うなりにも(あ、また言っちゃった)有意義な交流をさせてもらっていたので寂しい気がした。全く会ったことのない赤の他人のブログが更新停止になってこんな寂しい思いがするというのも変だなあと思っている。standpoint1989さんには、半年といわず、できるだけ早く復帰してもらいたいと願っている。

さて、更新停止にいたるいきさつについては氏が最近のいくつかのエントリで語っておられるのだが、そのうち、このエントリでは、匿名コメントに腹立たしさを感じた、というのがあった。匿名コメントの管理に時間が取られているのかなあ、と思ったが、匿名でコメントを残すというメンタリティに苛立つのだという。
 時間を掛けて、自分の思考を文章にしていく。その過程で、自分の内面を多くの人に晒しているという感覚にもなる。リアルタイムで文章を発表し、それが読まれていくブログというフォーマットなら尚更だ。そのような状態で、ネットの向こう側から、誰とも知れない人々が、悪意のあるコメントを残していく。これは何とも不快で、standpoint1989さんの言うように、やられた人にしかわからない厭な感覚が残る。文章を売ることで生計を立てている言論人ならそういうリスクも引き受けようが、ブロガーの多くは素人である。物書きとしての覚悟がない、と非難する向きもあろうが、要するに実質的にもそれだけのリスクを引き受ける事への対価が少ないということなのである。
 拙ブログでも「ブロガー燃え尽き症候群」というエントリで書いたのだが、アメリカの大物ブロガーには、コメント欄やトラックバックをオフにしているブロガーも少なくない。Instapunditのような超大物ブロガーだけでなく、最近よく読むAlthouseもコメント欄を廃止していて、彼女自身も時々コメント欄について語ったりする。その判断の基準だが、単純に、コメント欄の管理の時間がもったいない、という現実的な基準によるようだ。時々「オープンでない」という批判もあるようだが、日本のように「言論の自由を抑圧した!」というようなあからさまな非難にはならないようだ。これは、日本では「話せばわかる」というような、対話のために必要な共通の基盤というような幻想があるのに対し、アメリカにはそのような幻想はゼロに近いからではないだろうか。アメリカのブログにも「荒らしコメント」という意味で、trollという言葉が使われるし、「荒らしはスルーの方向で」というような共通理解があるのも同じ。ただ、日本のように、ブロガーが対抗処置としてコメント欄を閉鎖したりすると「言論弾圧」と言われて非難されるということはない。それは何ともやりきれない気がする。それによって、standpoint1989さんのような良質のブロガーが「ブロガー燃え尽き症候群」に追い込まれるのなら尚更のことだ。
(以上、私がstandpoint1989さんの思いを勝手に推測してのコメントということを明記しておく。)
 日本の例では、finalventさんなんか、基本的にコメントがオープンだし、日記の方では丁寧に対応しておられる。ずいぶん耐性の強い方だなあと感心せざるをえない。ただ、誰もが氏のように仏の心を持っているわけではない。

私は、というと、ポリシーの欄で説明している通り、コメントとトラックバックを区別している。これは、トラックバックならば、ブログという形で、その人物(匿名、実名を問わず)の発言を通してみることが出来るので、どのような人格を相手にしているかわかるからだ。また、発言が残るとなれば、後で自分が恥ずかしくなるようなことは言わないだろう。最近は無料ブログサービスも増えたので、今まで以上にブログから発信することが容易になっている。ブログを持たない理由は、ない。
 また、よくわからないコメント・TBは削除している。別に断りもしない。読んでいる皆さんとしても、書き手である私がコメント管理やらに時間と労力を取られてブログを辞めてしまったらつまらないでしょ?

他人の意見に反対するのは結構。また、他人の意見が許せなくて嫌がらせをする人が絶えないのも仕方ない。しかし、それに対して対策を講じたらファシスト扱いされるというのは、何とも困ったものだと私は思う。

【追記】このエントリの表題は、standpoint1989さんのブログが匿名コメントのために潰された、という意味ではなく、一般論としてのことです。念のため。

【追記2】「ブログ時評」は今度から『世界』に連載されるそうで。(via: muse-a-muse)あらら、団藤さんのコラムはMSM(大手メディア)的なニオイがするなあと思ったら…。ブログの本質は速報性(無編集)、双方向性にあると思うのですが。まあ、本論でのべた双方向性のデメリットについて私の考えは変わりませんが、ブログエントリがそのまま雑誌記事になるというのでは「ブログ」のメリットを生かし切っているとは言えないと思うんですが。

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February 19, 2005

飽きてきた。

あちこちで、私の「リベラルブロガー」論に関する一連のエントリが、「今評判の…」とか、「今話題になっている…」というような枕で紹介されているようなのだが、そんなに話題になってるのだろうか。たまたま皆さんが巡回しているブログで同時多発的に話題になっているのでそう見えるだけなんじゃないかと。【追記:とか言って私自身、このエントリでは「いろいろなところで反響を呼んでいるようです」と書いたわけですが。まあそんなに「今話題の…」と言われるほどではないのではないかと。】私のブログのここ数日のアクセス数もせいぜい普段の2倍くらいで、米大統領選挙の前後、typepadの容量を超えそうになって困っていた頃には遙かに及ばないし。それとも、この話題はとりあえず「自分はそんなに関心はないんだけどね」というジェスチャーを見せつつ、核心部分はスルーして、それでも傍観者的に絡んでコメントしたい種類のトピックなのだろうか。それに、「理性的な人たち」はみんな「ネット右翼」とか「リベラルブロガー」とかいうラベルには実体がないという点で合意しているらしいし。なんだか面倒くさくなってきたな。

結局のところ、SOUL for SALE のこのエントリが指摘している通り、「ネット右翼」に実体があるか、という問いは、ネット言論がリアル社会にどれだけインパクトを与えているのか、という大きな問いにつながってくるのだろう。日本はともかく、アメリカでは進行形だが大いにあると言っていい。ブロガー向けの広告 blogads も定着して久しい。また、今年に入ってNew York Timesの動向が非常にあわただしい。ポータルサイト About.com を買収したりしているし、新聞記事自体にもブログを意識したものが今年に入ってからはほぼ週2〜3本のペースで出ているような印象がある。この週末だけとっても、今日(土曜)もPodcastingについての記事が出たし、明日付の記事にはグーグルの社員が社内事情をブログで明かしたという小話をレポートしている。私も、こんな与太話を書くよりは、今年に入ってからのNYTのブログ記事をひとつひとつ検証しながら、大手メディアとブログの距離感覚を実証的に追っていく方が有益なのかもしれないとは思っている。とまれ、最近のNew York Timesのブログに対する意識過剰ぶりはかなり面白い。また、戦争を止められるかどうか、という問いも、去年のハワード・ディーンの盛衰、また、夏場の「高速艇退役軍人」の話をみれば、ブログは人を辞めさせるだけではなく、選挙戦の帰結に影響を与えたことは疑いないだろう。それで、こういうアメリカの状況を横目で見ながら、「では日本ではどうか…」とかいう話が去年の末頃の「論壇系ブログ」云々の話だったわけで。で、結局日本ではまだまだとかいう話だったんだよな。ああ、既視感ありあり。

また、日本とアメリカの現在の政治思想的な状況を比較した場合に、アメリカのほうが、2004年の大統領選挙を経てますます「リベラル対保守」という対立的構図が深まっているという事情もあるのだろう。(それがブッシュ政権の Red Statesを囲い込む政策によるのか、ラディカルに左傾した民主党のせいかはここではおく。)そういうなかで、たとえばInstapunditほどに影響があるハブサイトが中立でないのはまずいんじゃないとか、Kosがリベラル最大のブロガーというのはどうよ、とかいう話はアメリカのブログ界隈では時折出てくる話。もちろん、9/11以来「リベラル/保守」というラベル自体が大きく再定義されているというのは、「ネオコン左翼」クリストファー・ヒッチンスがイラク戦争を支持したり、「アイソレーショニスト」パット・ブキャナンがイラク戦争に反対していることなどに端的に現れているわけで、9/11以前の歴史も重要だが、その後の状況をきちんと再検討しないといけないわけだが。ともあれ、この話題も急速に飽きてきたので別の話題に。

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February 18, 2005

論壇系ブログの方法分析:「カルト形成型」か「リンク・ハブ型」か

Battle for the Blogosphere (JustOneMinute)
「圏外からのひとこと」で紹介されているのをkagamiさんが教えてくださった。2ちゃんねるのあるスレに抄訳が出ている。このエントリの筆者が私の最近のエントリを読んでいるはずがないので、奇妙なシンクロニシティではある。まあ、日本では朝日・NHK事件、アメリカではCNNのジョーダン氏辞職など、ブログが活躍する目立った事件があって、その理由を考察するコラムが書かれているということなのだろう。

この記事はたしかに面白い。

この記事について、「圏外」さんは「カルト形成型」「リンク・ハブ型」(オリジナルでは "The Hive" (蜂の巣)vs. "The Pack" (オオカミの群れ))の対比に注目しているが、私が興味を持ったのは、リベラル系大物ブログには前者が、保守系大物ブログには後者が多いのはなぜか、という分析の部分。記事の上の方でリンクされている、U.S. NewsのMichael Barone氏(記事)によると、リベラルブロガーがブッシュ大統領への憎悪を煽ったのに対し、保守系ブロガーは「大手メディア」を攻撃し、結果、民主党はさらに左寄りになり、大手メディアの信頼性が失われた。両方ともブッシュ大統領を助ける結果になっているというのは興味深い。

また、保守系コラムニストのJonah Goldberg氏(記事)によると、リベラル系ブロガーの問題は、大手メディアがそもそもリベラル寄りのものが多いので、メディア批判をするためには、Fox Newsのような保守系メディアに集中するか、大手メディアを左から批判するしかない状況になっていると。この説は、もちろん「大手メディア」がリベラル側に偏向しているという前提を受け入れなければならないのだが、「リベラル」系大物ブロガーがNew York Timesよりも更にリベラルで、大きな視野に立つとかなり極端に見えるのに対し、「保守」系大物ブロガーはNew York Timesより保守で、むしろ中道的なスタンスに見えるという現状をよくつかんでいると思う。

この点に関連して、muse-A-museさんは

ラザーゲートとかイーソンゲートってのは保守系ブロガーがリベラルの失態に対して重箱つつき緻密に事実を調べ上げていってひとつの結果を出したっていう面からみると「ウヨ/サヨ戦争におけるウヨの勝利」ってことのメルクマールってことになるんだけど、同時に「ジャーナリスト vs. ブロガー」って側面もある
で、2つのゲート事件に対して 前者の視点では、「ウヨ vs. サヨ」における事実性をめぐった同一条件での争い ⇒ ウヨの正当な勝利(殊勲)、って感じになるんだけど 後者の視点に立つとやっぱバイアスっていうか・・なんか変な力み(あるいは妬み)みたいなのがあるのかなぁ、って感じになる

と指摘していて、そういう意味では、一連のブログ「炎上」やら大物ジャーナリスト辞職などの事件を左右の対立として捉えることじたいある種のバイアスなのかもしれないが、別の言い方をすれば、大手メディア攻撃というゲームは、保守系が得意なゲームであって、結果としても保守系を利する、という認識はリベラル系にもあると思う。(例えば、リベラル系Washington MonthlyでのKevin Drumのこのエントリなど)

JustOneMinuteの記事に戻ると、この記事で保守系のハブサイトとしてあげられているのが、Instapunditなのだが、このサイトは、確かに「ハブ」的な役割を効果的にこなしていると思う。私が「日本のリベラル系ハブサイト」などと書いたのも、日本の左派のほうでこういう感じのサイトがあればいろいろ便利だなあと思ったからという理由もある。(現に、アメリカのリベラル派もInstapunditを通して保守系の情報を入手しているようでもあるし。)

Instapunditの特徴を挙げると、

• 長尺のエントリもあるが、ほとんどのエントリが短く、出所と大まかな論旨やキー・ワードのみ。
• 感想も、"Heh." (「(笑)」) "Indeed." (「その通り」)"Read the whole thing" など、むしろ省略しすぎと思えるほど。(これらの彼の口癖はけっこう真似されたりしていて、Heh. Indeed. というブログが出来たりした。)
• 他のブロガーの紹介が多く、Althouseなど、多くのブロガーがInstapunditを通してブレイクしたりしている。
• コメントとトラックバックがない。そのため、読者はサイトのコメント欄に居残る代わりに、他のサイトへと流れていく。

など。(2ちゃんねるの訳者の言葉を借りれば)訪問者の流れを止めて「ロックコンサート」や「カルト」的状況を創り出すのではなく、訪問者のフローを制御するだけ。しかし、それによって、リンクされた中堅ブログが育っていくという側面がある。この記事(Marginal Utility)によると、Instapunditを中心に、まとまった数の大手ブログが「組織化」されてくるのに対し、リベラル系では、あるブログが「ブレイク」するのは、偶然のファクターの大きい「自己組織化」による場合が多いと指摘している。

振り返って日本の状況を考えるに、ざっくり一般化して言うならば、日本のネット言論が、右派の場合は朝日新聞や「ニュースステーション」「News 23」などの大手メディアへの対抗言論として育ってきたのに対し、左派の場合は既存の団体を補完するメディアとして起こったということはいえるかもしれない。その結果、右派のほうは、ネットを個人をつなぐハブとして使う技術やレトリックを発展してきているし、また、「また朝日新聞か」というようなある種のコンセンサスを形成している。しかし、左派でも組織化した「左翼」ではなく、大学人や在野の左派言論に共鳴する人達などのネットワークというのは、まだ「自己組織化」の初期段階なのではないだろうか。

最近のエントリでずっと「リベラル系のハブがない」と嘆いてばかりいたのだが、実は成城トランスカレッジ!をよく読んでいたりする。いわゆる左派の講演記録やらインタビューやらが多く紹介されていて、情報収集に役に立つ。このサイトのフォーマットは、instapunditによく似ているかもしれない。私としては、ブログが、ものを考えたり、議論したり、違う意見の人達との対話を促進したりするツールになりうるのか? というところに興味があって、特に、違う立場の人と落ち着いて議論したり対話したりすることはできないかなあと思っているので、そういう意味では左派でも右派でもブログ文化がもっと成熟して欲しいと思っている。

最後になるが、前の一連のエントリでは日本の「リベラル系」という表現を使っていたが、やじゅんさんkagamiさんが指摘しているように、アメリカの保守対リベラルという構図をそのまま日本に当てはめることの問題というのもあるような気がする。私のアメリカ英語の語感では「右翼」・「左翼」というとかなり敵対的で「極端な思想の持ち主」という感じがするが、「保守」「リベラル」という言葉は、左右の対立軸を意識しつつもそれぞれの良いところを尊重した呼び方だと思うので、その語法を日本の事情にあてはめただけ。ラザーゲートや朝日・NHK事件のようにアメリカと日本の状況にパラレルがある可能性はそれとして、日本の思想状況はもちろんアメリカと異なるし、左右の思想的対立軸の歴史的・文化的背景については当然検討を要する。そんなこともあって、このエントリでは「右派」「左派」とした。でも、思想としてのリベラリズムが日本の現在の政治・思想状況でどういう意味を持つか、というのはとても重要な問題だと思う。「極東ブログ」のfinalventさんや「おおやにき」のおおやさんがブログでやっている仕事というのはそのあたりに関わるものだと思うけれど。

【追記 2/19/05】「絵文録ことのは」でJustOneMinuteの記事の全訳が掲載されています。お疲れ様です。

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February 15, 2005

ネット右翼とリベラルブロガー:とりあえずリンク集

先日来の「リベラル派のハブサイト」に関するエントリ(ここここ)には、かなりいろいろな所で反響を呼んでいるようです。何か議論を深めるきっかけになったのならば幸いです。この議論をベースにさらに深めたいところなのですが今仕事が大きなヤマでして、とてもお返事できません。ですが、議論が熱いうちに、ということもあり、とりあえず言及・リンクいただいた主なブログ・エントリへのリンクをまとめておきます。だいたい時系列順です。

finalventの日記:2005-02-10 WP Online Reporter Quits After Liberals' Expose
セカンド・カップ はてな店:リベラルを叩く
pantomimeの日記@隠棲準備中:ネット右翼について
愛・蔵太の気ままな日記:[ネットの話題]ネット右翼
Silly Talk: 実はどっちもどっちなんだけど
news_from_japan:リベラル派にとってのblogの役割とは?
悪魔のうたたね、天使の寝言:リベラル思想のコモデティ化~リベラルは当たり前で陳腐
圏外からのひとこと:日本にリベラル系のハブサイトが無い理由
小さな目で見る大きな世界:リベラルの不在、保守の不在

また、直接言及されてはいませんが参考までに。
数学屋のメガネ:何が助け合いか

他にも私の知らないところでこのトピックに言及されているサイトがあれば、コメント欄ででもお知らせ下さい。

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February 12, 2005

リベラルブロガー論:追記

前のエントリに自己レス。長くなったので独立エントリとする。
 こういう記事を書いたのには、「もし『リベラルブロガーのハブサイト』というのがあるとしたら教えて下さい」という情報収集の意図もあったわけだが、あちこちTBやリンクされたサイトを見てもなかなかないようだ。もちろん、掲示板、MLなどで左翼系の情報が集まるところはいくつか知っているし、Academia RSS Projectのようなところもあるが…。ブロガーで、一般向けにリベラル系の論点をまとめてくれるようなサイトはないのかなあと思う。「暗いニュースリンク」はアメリカ左翼の言説をそのまま翻訳しているようなサイトだもんなあ。批判という意味ではなくて。それとも、他に多く指摘されているように、ハードコアな反日左翼が穏健なリベラルを圧倒して、一般人的には近寄りがたい状況になっているということなのだろうか。

 それから、あちこちのブログで「ネット右翼」の存在について議論が出ている。ま、一般のネットユーザーやブロガーに保守的な人々が多いように見えるのは、リベラル寄りである大手のメディアがあまりにも酷い現実に対する異議申し立てという側面があるのではないかと。ラザーゲートに代表されるように、アメリカも似たような流れはある。そのような現実は、「庶民の側に立つ」というタテマエのリベラル・エリートたちには何とも理解しがたいというか、裏切られたような感覚というのはあるのだろうが。もう少し現実を見て欲しいものだ。
 私の立ち位置は、というと、バックナンバーを読んで頂ければだいたいわかると思うのでここでは繰り返さない。まあ、右上に貼ってあるブルーリボンは一つの意思表示と取って頂いて構わないが。ともあれ、左右にかかわらず建設的な対話が重要であるというのはひとつ大きな原則として持っている。最近、記者や弁護士のサイトが「炎上」するケースがいくつかあったわけだが、もちろん、公人や朝鮮総連のような政治団体の動向についての検証・調査は意味があるが、一般人の個人情報を詮索して公開するのはどうかなと思う。そういう意味では、朝日新聞の擁護をする朝日新聞記者というのは微妙な立場ではあるが。まあ、インターネットは一部の人が想像するほど「匿名」ではないし、基本的に社会のルールがあてはまるというところで皆さんが自己責任で活動するしかないのではないか、というところが今の私の見解。

最後にもう一度だけ呼びかけ。運動家向けではなく、幅広い一般層・あるいは反対の思想の人々も読めるような形で、リベラル側の論点を簡潔に、論理的に、わかりやすくまとめている日本のブログサイトがあったら、ぜひ教えてください。つうか、リベラルな皆さんはどんなブログを読んでるの?

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February 02, 2005

切込隊長がアルファブロガーの使命について語っている

アルファブロガーとやらに選出されてしまった件について (切込隊長BLOG)
「アルファブロガー」なるものを探すコンテストについては以前も少し触れたが、この度結果が発表されて、その結果に切込隊長が反応している。

コンテスト自体について言うと、「論壇系ブロガー」というカテゴリで、隊長のほかに極東ブログR30などといったところが代表的サイトとして挙げられているというのは、「論壇系ブログ」というカテゴリが一般に認知されるきっかけとしては好ましいことと思う。しかし、隊長は、「論壇系」の将来については悲観的なようだ。この隊長の記事でも、「ブログでは喰えない、だからブログには良質な書き手が集まりづらい、という問題意識を持って、そこから敷衍してブログはジャーナリズムたりえるか? という議論を吹っかけて途中で面倒くさくなって投げたというのも私にとっては痛恨の事態でした。」とあるが、この頃の議論には私も少し参加したりしていたので(ずいぶん昔のような気がするが)、隊長が、まだこの問題については関心というか、責任感を持っているというのはうれしいことだ。というか、隊長、しっかりやってください。そんな期待もこめつつ、少しコメントする。

隊長の認識として、「やはり仕事に直結している専門性のある内容をネット上に出す際の障害をブログはいまだ抱えているというのが現実ではないかと思います。」とあるが、これは確かにその通りだと思う。ネット言論の正統性の問題とか、たとえば大企業が絡んだりする場合の訴訟コストの問題などを指しているのではないかと思うが、そのへんはアメリカでも日本と似たような現状じゃないかな。

アメリカでは、数ヶ月前に、人気クイズ番組Jeopardy!の、連勝記録がかかった番組の結末について、ネタをばらすエントリが該当番組の音声ファイル付きでブログ界隈に流れて、番組の制作会社を所有するSONYが、ブログに圧力をかけて音声ファイルが削除される事態になったりした。その時の反応をみてみると、大手ブログはともかく、中小のブログの場合は、特に相手が大企業などの場合は、抱え込む訴訟などのコストが大きすぎて背負いきれないという現状が明るみに出たと思う。Instapunditなんかは、「訴訟費用をシェアする基金があったらいいのにね」と言っていたが、それは思いつきのレベルにすぎないという印象。一方、最近こちらでも書いたケースでは、Appleの新製品情報をばらしたThinkSecretが、支援を自主的に申し出た弁護士の支持を受けたりしてAppleと全面対決する様相を見せている。こちらの動向は注目したい。

さて、日本の「論壇系ブログ」の現状について、たとえば英語圏に向けてなにか書くとしたら、どういうことを書くかなあ、と想像してみたりすると、過去一年では、イラクの日本人人質事件に対する反応とか、先月の朝日・NHK問題についてとかを触れることになるのではないかと思う。朝日・NHKについては、既存メディアの報道に対して緻密かつ本質的な批判のできるメディアとしてインターネットが機能している、ということはいえると思う。実は、この一件、英語圏の日本学研究者のメーリングリストでも話題になったのだが、朝日などの既成メディアのみに頼っている外国人研究者などは、「まだ国家による言論弾圧か」くらいに思っていて、まったく現状を読み違えていると感じた。こういう人達には、日本のブログで起こっている議論を読んでもらえれば、現状認識が変わるだろうに、と思う。

いっぽう、論壇系が説得力を持つための責任感というか、重みというか、それを醸し出すまでには、まだまだ成熟が必要とか思う。オープンマインドなアメリカ人研究者に、日本語の人気ブログを見せようかと思うと少しためらわれるのは、ちょっとした表現とかを見て躓かないかなということ。特に、アメリカ人の研究者などは差別や外国人疎外の言説に敏感なので…。もちろん、責任を持って発言しているブログはあるけれど、その辺の感覚はまだまだかもしれない。隊長自身が、自分を「厨房」と規定しているのもその辺りを指しているのかと思う。

別に言葉狩りをしたりPCを押しつけたりしたいというわけではないので、この問題はなかなかうまく説明できないのだが、一言で言うと、政治的な問題のスタンスは何であれ、「公義」の感覚を持って書いているか、というふうになるかな、と思う。ここ10年ほど、小林よしのり氏などの発言により、日本の言論には「公=国家」が欠けているということが言われた。それは大筋でいいと思う。ただ、英語という土俵に立ったときは、「公=日本国家」では済まない部分もあると思う。では「公義」とは何なのか。そのことをもう少し考えて行くには、やはり日本のブログ界が英語圏に開いていくのが必要なのかなあ、と思う。いや、私自身、どちらかというと保守寄りと思われていると思うし、自分でもそのレッテルで結構なのだが、日本の保守言論を世界に開き、つなげていくということを考えたとき、この辺りはいつも気になっている。この問題については後日エントリを改めて書く。

最後に一言。finalventさんあたりは、日頃の発言を見るに「論壇系ブログ」なるものが日本の言論空間に与えるインパクトについては懐疑的だというようにお見受けする。しかし、現時点で、もし私が日本のブログ言論についてなにか英語で書くとするならば、「ダルフール問題のような、日本のマスコミがなかなか注目しない問題について人々の関心を喚起したという点において、ブログの意義は大きい」ということは言えるのではないかと思う。もし日本のブログのささやかな歴史が書かれるときがくるならば、この一点に関する極東ブログの意義は記憶されるべきであろうと思う。

【追記 2/3/05】

スーダン問題について (極東ブログ・2/4/05)

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December 27, 2004

自分の思考の地平を広げるって難しいですね

この前のエントリで、私のお薦めブログをご紹介したところ、「複雑な心境に」なったというトラックバックが。まあ、この前ご紹介したブログの皆さんからはおおむね好意的な反応をいただいていたが、馴れ合いのためのエントリじゃない? と思われても仕方ないかも。まあたまには馴れ合いエントリも、という気持ちもあったわけだが、不快に思われる方がいるのも、わかる。

で、この前のエントリの結論として、「毎日同じブログを巡回されることの多い方は、読むサイトの幅を広げてみては?」と書いたわけだが、その背景には、政治・時事系ブログでよく言われる「反響室効果 (echo chamber effect)」の防止を、という気持ちがあった。

echo chamber effect というのは、政治関係のメディアにおいて、保守系は保守系で、リベラル系はリベラル系で、と、似たような思想のメディア間で限られた情報が高速に伝わり、反響しあうことによって、反対意見に目を触れることなく偏ったニュース・意見・思想が強化されていく、という効果のこと。これはブログに限らず、ケーブルTVやトークラジオなどのメディアも含めての現象。

たとえば、「ケリー大統領候補は意見をコロコロ変える(flip-flopする)」という見方がある。ケリー氏は、今回の選挙戦の最後までこのイメージを払拭できなかったのが敗因の一つといわれるが、この見方、ある程度は正しいといえるものの、ある意味ではおかしいといえる。政治家というのは、その時の現実を見極め、時には自らの信念を曲げてもその時にベストの政策を実行すべきだからだ。事実、ブッシュ氏も4年間の任期中、政策転換を数多くしてきた。そのうちの最大のものは、2000年の大統領討論で「nation-buildingはしない」と言った孤立主義から、「自由を世界に広げる」ための積極的な干渉外交への転換だろう。

このイメージの形成におけるメディアの役割は大きかった。ブッシュ選対は、ある時期から、ケリー氏は「意見をコロコロ変える」というポイントをあらゆるチャンネルを使って強調した。保守系コラムニストや選対・政府関係者がことあるごとにこの意見を口にする。それを、Fox Newsや、保守系トークラジオなどが繰り返し放送し、論評する。そして、CNNなどの中道・あるいは中道左派のメディアが後追い報道をする。こうして、短期間のうちに、多くのメディアが「ケリー氏は意見をコロコロ変える」という報道を垂れ流し、その真偽が吟味される間もなく「事実」として定着してしまう。一度そういうイメージが出来るとそれをひっくり返すのは難しい。ハワード・ディーンも、アイオワ党員集会の直後、例の絶叫演説の映像を繰り返し流されて、選挙戦から脱落した。

さて、ブログの役割なのだが、このような「反響室効果」を止めるというよりは、加速する傾向が大きいのでは、と言われている。多くのブロガーは、自分の意見に合わない記事よりは自分の意見に合う記事を紹介する傾向があるのは当然として、そのような似たような思想を持つブログ同士が互いの記事を紹介しあっているうちに、同じようなネタが繰り返されることになる。そして、もしそのようなブログばかり読んでいると、反対意見や自分の思想に合わないニュースが目に触れることなく、自分の思想に合う意見ばかり読むことになりかねない。

アメリカの政治や社会の情勢を見ていると、社会が、興味や価値観を共有する小さなグループに細分化しているという印象を受ける。一昔前のTVのニュースなら、見たいニュースも見たくないニュースも目に入ってくるが、今はネットやらケーブルTVなどで、視聴者の方に情報の選択の余地があり、自分の見たい情報だけ見ていればすむ。また、アメリカに限って言えば、都市・郊外・過疎地でライフスタイルの差異が広がっており、また都市の内部も人種・収入レベル・価値観などによって細分化が進んでいるといわれる。

自分の信念に合うニュースだけ読んでいればいいというのならばそれでもいいが、それはやはり不健全なことなのではないかとも思う。ただでさえ細分化が進む現代の社会において、そのような多様なグループの橋渡しをする対話の可能性がますます減少していることに私は危機感を持つ。究極的に、われわれは一つの世界に住んでいる運命共同体だから、対話せずに生きていくことはできないからだ。この点については、保守派もリベラル派も同様に努力すべきと思うが、特に米大統領選挙後に思うのは、日頃「対話」や「共生」を主張するリベラルの人々が、かえってイデオロギーに凝り固まって対話を拒否しているという現実があるのではないだろうか。(名指しで言うなら、Academia RSS Projectは、"Academia"と言うなら、自分の「正しい」イデオロギーに合う情報・エントリだけを紹介するのではなく、違う思想・イデオロギーの対話を促進する情報・エントリを紹介するようもっと努力すべきだと強く思う。まあ、そういう目的でやってるわけではないのなら仕方ないが。)それは、自分の意見・主張を捨てることでは決してない。私のブログも、「主張」という意味では、少し読めばわかるように書いている。自分の立場を認めてもらうために、また違う主張の人々と共に生きる権利を認めあうためにこそ、対話の言葉が必要とされているのだ。

さて、こんなメディアの現状の中、それぞれのブロガーも自分とは違う意見に耳を傾ける努力が必要だと思うし、同じ傾向のネタ(例えば政治ネタ)だけでなく、生活のいろんな側面からネタを見つけるべきだとは思う。また、読者の方も、自分とは必ずしも賛成しないブログを意識的に読むようにしたほうがいいと思う。そんなわけで、私のblogrollから、いろんなブログを読んでみてください、と言ってみたわけだ。ま、自分と立場の違う人に向けて書かれているブログ、また、著者と立場の違う人が読んでも理性的な議論として読めるブログ、というのはなかなか少ない。私のブログは取り柄はあまりないのだが、そのようなブログを目指してはいるつもりだ。

しかし、エントリで紹介した4つのブログを振り返って見ると、確かに私が賛成することが多いブログばかり選んでしまったかも。自分とは考えの違うブログを読むというのは、言うは易し、行うは難しということか。やれやれ。でも、blogrollのほうは、右から左まで幅広く選んでいるつもりではある。

とはいえ、このような話も、政治・経済・時事系ブログの中での話。TBを頂いたブログの方には、「Elle Onlineもむなぐるまも同じようにチェックする」というお褒めの言葉(?)をいただいたのだが、そういう意味ではここまでの話も狭い世界の話のように見えると思う。そういう意味では、私の世界がネットからはみ出しているというのは健全な証拠かも、とも思う。まあ、今度は最近よく見るTV番組、Wife Swapについて書こうか。

【追記 12/27】表記をわかりやすくするため多少改めました。

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December 18, 2004

ブロガーがTime誌 "The Person of the Year" 候補に?

毎年恒例の Time誌 "The Person of the Year" が発表されるのはこちら時間の明日(日曜)なのだが、ブログでも予想が飛び交っている。いくつかの有力ブロガーがリンクしているエントリによると、"The Person of the Year" はジョージ・W・ブッシュ大統領で決定という内部情報がある、とのこと。これだけではインターネット上の噂というレベルであり、その真相はあと1日もすればわかるのだが、もし本当ならば好きと嫌いとにかかわらずまあ妥当なチョイスといえるだろう。

さて、同じエントリで面白いのが、「ブロガー」が候補として真剣に検討された、という点。最終的には却下されたが、ブロガーについて扱った記事が特集号に載るのではないか、とのこと。Instapunditではフォトショップでカバー画像をでっち上げたりしてこの話題を盛り上げていた。もちろん、こういうネタはブロガーが好むところなので、ブログが取り上げやすいということはある。しかし、昨日たまたま見ていたNBCの朝の報道番組 "Today" にTime誌の編集長が登場していたのだが、インタビュアーが「今年はブロガーが活躍した年でしたね」と聞いていたのは、そういう内部の議論を反映したものなのかもしれない。ともあれ、"Time" や "Today" という一般庶民のメディアでBlogという単語が聞かれるようになったということからも、ラザーゲート以来Blogが市民権を得てきた現実が実感を持って感じられる。オンライン版 "Time" にブロガーについての記事が載ったら、このブログからもリンクを張ることにしよう。

【追記 12/19】TimeのPOYが発表されました。予想通り、ブッシュ大統領でしたね。記事はこちら。それから、ブロガー特集があるという予想も当たりました。無料で読めるのは次の記事。このブログで話題にしたブログについても言及されています。

10 Things We Learned About Blogs

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December 16, 2004

切込隊長というカオスモス

切込隊長ゴーログの木村剛氏に絡んでいる件について。私は金融業界について詳しくないので、エントリの詳細についてはコメントできないし、正直言ってどれだけ「やばい」話なのかというのは、非常に感覚的にしかつかめないところである。しかし、現在日本のブログ界隈で非常に大きな存在である二人のバトルということで、日本のブログの歴史に残る事件になるのでは、というように考えられている。この論争について内容をすっ飛ばして論評するのは一面的なのはわかっているが、ブログのあり方についていろいろ考えるところもあるのでコメントする。(一連の流れについてはArtifactのエントリによくまとめられている。)

まず、切込隊長というのは、書き手としては希有な存在だということは言えるだろう。現実感覚、守備範囲の広さ、スピード感、そしてある種の動物的な生々しさをすべて備えている。この世には頭のいい人がいるものだなあ、と感嘆せざるをえないし、文章の天使が微笑んでいるという気もする。だから、金融の話とかまったくわからなくても、とにかく読ませるものがある。たとえば、今の日本の作家でこういう勢いを感じさせるのは町田康くらいじゃないだろうか。いっぽう、そのスピード感ゆえに、危うさのようなものも感じさせる。どこかtipping pointがあって、そこを越えたらどうなるんだろうと心配させる、というか。しかし、今のところ、ブログが続いていると言うことは、tipping pointを越えていないということなのだろう。だから、金融のことは知らなくても、そんなある種の才能を目の当たりにしているという感覚があって、彼のブログをつい読みふけってしまう人というのは多いと思う。

彼のブログに関して言えば、コメント欄が面白い。個々のエントリに、2ちゃんねると同じような雰囲気のコメントが何百とつく。そういうカオスをすべて飲み込める、というのは感心する。ブログが大きくなってくると、当然ノイズが増えてくるのだが、ブロガーにはそういうノイズをすべて受け入れるタイプと、自分の文章が同じサイトで批判されるというのが耐えきれなくて、徹底的に論破するかコメント欄を閉鎖するかのどちらかになってしまうタイプと大きく2種類あると思うが、切込隊長はもちろん前者のほうで、しかも、そのエネルギーを取り込んで自分のエントリの力にしていく、という広がりがある。2ちゃんねる的なものを取り込んで、一個人の意見という領域を越えて小宇宙のような感じさえうける。

そこで思い出したのが、カオスモス (Chaosmos) という言葉。これは、ウンベルト・エーコがジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』について書いたのタイトルにある言葉なのだが、切込隊長の文章を総体としてみると、『ユリシーズ』が20世紀初頭のダブリンの社会を、人間社会のカオスはそのままにひとつの小宇宙として結晶させたようなものを感じさせる。たとえば、切込隊長BLOGの過去ログを保存して、100年後の人が読むとしたら、2004年の日本のある一つのサブカル世界をひとつの小宇宙としてつかめるのでは、という気がする。しかし、この場合、その小宇宙的な広がりを保証しているのは、エントリ+掲示板という形のフォーマットというのが興味深い。というわけで、切込氏の書き手としての活動に期待している。(まあ、こうしてこのブログを文学として読んでしまうところに私の限界があるわけだが。)

さて、最近の木村剛氏関連のエントリなのだが、文学的な価値はさておき、情報ソースとしてのブログとしてはいまいち機能していないんじゃないかという気はする。何かすごいことが起こっているのはわかるが、遠巻きに見ているしかないという雰囲気がある。ひとつには、かなり暴露的な内容を含んだエントリが2度も書き換えられたということがある。紙メディアと違い、ネットは書き換え・訂正が簡単にできるのだが、それが落とし穴でもあると私は思う。ネット論争ではこの手の書き換えは日常茶飯事だが、普通のメディアに慣れている人には、この手の書き換えがあると事件の流れが追いにくいし、また、ネットではただでさえ得難いメディアとしての信用も失いやすいのではないかと思う。よほどの有名人でもない限り、筆者は一度活字にしたら責任を持つ、というところで自分の言葉の重み(信用)を支えるしかないと思う。もちろん、ネット論争のベテランの切込氏は、様々なテクニックを駆使しつつ議論を絶妙に操っているとは思うのだが、一般メディアしか知らない人にはなかなかついて行けない。

それに、一つのエントリにさまざまな問題点が混在しているため、ひとつひとつの論点の検証ではなく、「切込隊長BLOG対ゴーログ」というサイト間の対決という構図になってしまっている。それはそれで面白いのだが、この形では、情報リソースとしてのブログの利点を生かせないのではないだろうか。たとえば、ラザーゲートの場合、数え切れないほどのブロガーがCBSの報道の検証に参加したのだが、個々のエントリでは、かなり局地的な問題を論じている。それが、ブログのネットワークの中で高速で伝播し、検証され、総括されていくというプロセスで、マスメディアの内部の検証機構を完全にやっつけたという過程があった。しかし、この論争では、ソースが切込氏の取材と言うことで切込氏が独走しているということと、一つ一つのエントリに含まれる問題が多すぎることがあって、他のブロガーが論争に参加しにくい構造があると思う。一つのエントリに一つの問題だけ扱い、またそのエントリは訂正しないというような方法でいけば、ブログ界隈全体の検証能力をフルに活用できるのでは、という気がする。

しかし、前に書いたように、切込氏の意図はそういうところにはないのだろう。だから、私のような者は、何かすごいことが起こっていると思いながら遠巻きに見守るしかないということなのだ。

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ブロガーが作家デビュー

A New Forum (Blogging) Inspires the Old (Books) (NYT; via Althouse)
先日の結婚についてのネタに続いてAlthouse経由。(このブログ、学期末のせいか、最近ものすごい勢いで更新されている。)
アメリカで、出版業界が書き手としてのブロガーに目をつけ、作家デビューするケースも増えているらしい。高額の契約金を手にする人々も増えているらしい。例えば、このサイトでも何度か紹介したWonketteのAna Marie Coxが小説を執筆、前払いで27万5000ドルを手にしたという例が挙げられている。

この記事で面白いのは、ブロガーをクライエントに持つ出版エージェントのインタビュー。Gawker.comのElizabeth SpiersやInstapunditのレイノルズ教授などがクライエントになっているという。このエージェントによると、ブロガーは、ブログという口コミネットワークをすでに持っているから、金を払って宣伝するよりも効果的に読者を獲得できるという。このエージェントを通して、単行本プロジェクトをゲットしたブロガーが多く出ているらしい。

もしブロガー出身の作家や書き手が多く生まれてくれば、作家志望の書き手がブログに本気で取り組む動機もできて、ブログというメディアがもっと盛り上がるだろう。読む側も、将来の作家の登竜門としてブログを読むという楽しみも生まれるかもしれない。一つ障壁になりそうなのは、ブログを書くのと一冊の本を書くのではアプローチが根本的に異なるのではないか、ということ。ブログは、読む側も書く側も、とにかく速報性というか、《現在》にいかに絡んでいけるかが面白いところであって、それを継続して一つの作品にしていくというのは別のチャンネルを使うのではないかというのは考えられる。

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December 09, 2004

Crooked Timber

Left2Right の執筆者リストからいつの間にかローティが消えてますね。残念。まあ、他の執筆者も有名な教授が多く、今のところ読み応えのあるエントリが多いわけですが。
で、そのついでにといいますか、アメリカのアカデミック・ブログとして最も有名なグループ・ブログ、Crooked Timberを紹介しておきます。サイドメニューにあるアメリカのアカデミック・ブログのリンク集は非常に有益です。

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December 02, 2004

ブロガーとしての大学教授

シカゴ大学助教授(政治学)でブロガーのDaniel Dreznerが、ブログと研究活動について書いている。
Musings on blogging and scholaraship

きっかけは、ノーベル経済学賞受賞学者のGary Becker第7上訴裁判所第7巡回区連邦控訴裁判所の判事のRichard Posnerが共同でBlogを開始する、というニュース。(この方々のすごさについて私はいまいちぴんと来ないので、読者でこちらの分野に詳しい方に解説して頂けるとありがたいのですが。)経済学・法学の大物がブログに登場、ということで、学者としての研究活動とブログを書くことが両立するかについて論じているのだが、アメリカにおける学者ブロガーの現在がわかって面白い。

現在、哲学や法学のブロガーは多いが、経済学や政治学ではまだまだということのようだ。その要因のひとつとして、tenureを持っている(日本で言えば、常勤の)大物学者がまだまだブログについて偏見をもっているため、若い学者が、自分の昇進のチャンスがなくなるならと心配して参加に消極的になってしまうのではないか、という分析を紹介している。ここでの問題は、ブログを書くことが研究活動として認められるかどうか、なのだが、ここからリンクしてあったこのエントリ(marginal revolution)では、ブログを既存の研究活動に位置づけるモデルとして、次のような例を挙げている。
1)ブログは短い研究論文である。(新しい考えの提示)
2)単体のブログエントリではなく、ブログの世界全体 (blogosphere)で見れば、分析の道具として機能していると考えられる
3)ブログを使って、自分の研究成果を広く伝えることができる。
4)ブログは、研究誌を編集しているようなものである。
5)ブログのエントリは講演のようなもの
6)ブログは、長い叙事詩にも似た、新しいメディアである

Drezner氏は、大物学者がブログに参入すれば、若い学者もブログを書きやすくなるのではないか、ということで、政治学の学者でブログに参加して欲しい人は誰だろうか、と問いかけて結んでいる。コメント欄にでている名前を見てみると、サミュエル・ハンチントンや、ジョセフ・ナイなど、日本でも知られた名前も見られる。(ジョセフ・ナイといえば、Dreznerの最近のエントリで、ナイ氏が最近小説を出版して、学者らしくないセクシーな場面があるというのを紹介していた。)

日本を振り返ってみるに、大学の知識人というか、いわゆる論客でブログを持っているのは西尾幹二氏とか(いつの間にアドレスが変わっている…)、宮台真司氏とかだろうか。あと、もう少し若くなるが、私も注目して見ているised@glocomに参加している方々も。それから、news_from_japanのakiさんや、「おおやにき」の大屋さん。また、ブログではないが、時事問題についてネット上で発言しておられる亀井秀雄氏。どの方も、退官されたか、若手の方という印象。もっと大物の論客や大学教授がブログに参入したら、若手も心おきなくブログを書けるかもしれない。

逆に、学者がブログに参入するメリットはなんだろうか。
 まず、論壇誌や新聞などを媒介せず、自分の意見をそのまま発表できること。そもそも、Drezner氏がBlogを始めたのは、New York Timesにオピニオン記事を送っても掲載されないので、その憂さ晴らしに自分の考えを発表し始めたため、というのをどこかで読んだ。その彼も、Blogを通して言論界でのプレゼンスが増し、最近はNew York Timesにオピニオン記事が載ったばかりである。
 次に、ブログを中心としたネット上の議論において、ネットメディアで記事を発表する方が、紙メディアやTV・ラジオよりも影響力が大きくなること。ネット上にある記事ならリンクを張ればいいが、他メディアの場合は、誰かが打ち直すか、スキャン・キャプチャなど、メディアを映す必要がでてくる。もちろん、自分の考えをネット上で晒すことにはリスクもあるだろう。例えば、朝日新聞のあるコラムニストなどは、ネットでコラムを発表していなかったらここまで批判されることはないだろうとは思う。(もちろん、批判されて仕方ない内容なわけですが。)しかし、これから情報・コミュニケーションの主軸が紙からネットに移っていくという大きな流れは絶対なのだから、早めに参入しておいたほうが得だとは思うのだが。
 切込氏あたりでつづいているネット・ジャーナリズムについての議論は私は横目で見ているだけなのだが、ブログでしか読めない面白い論客が今の10倍くらい出てきたら状況は自然と変わると思っているので、あまりそちらのテクニカルな議論については興味がなくなってしまった。それより、既存メディアで有名な論客がもっとブログに参入すればいいのに、とは思う。まあ、このエントリが問題提起になれば、とは思う。

 あ、このブログはあくまで趣味でやっているので、自分は「学者ブロガー」ではないと思います。そのつもりならやはり実名でやらないといけないと思うし。でも、大きな流れとしては興味がありますね。

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November 30, 2004

アメリカの今年の流行語大賞:Blog

Publisher: 'Blog' No. 1 word of the year (CNN)
辞書の出版社 Merriam-Webster が、自社ウェブサイトの検索結果をもとに選んだ "Word of the Year" を発表。第1位は、"blog" だったという。ちなみに、この単語の定義は、"a Web site that contains an online personal journal with reflections, comments and often hyperlinks provided by the writer" (筆者が自分の考え、コメント、そしてしばしばハイパーリンクなどを載せたオンライン日記を含むウェブサイト)。この単語、来年の11版から同社の辞書にも載る予定のようだ。

記事にもあるように、ラザーゲートなど、ブログが大統領選報道に大きく影響した1年でした。

トップテンに乗った単語を見ると、大統領選関連の "incumbent" (「現職」)、"partisan"(「党派的」)、またイラク戦争絡みの "insurgent" (「反乱分子」)"sovereignty" (「主権」)などが目立つ。それにしても、10位の "defenestration" (ものや人を窓から投げ出すこと)って何で有名になったのだろう?

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November 16, 2004

論壇系ブログのために今できることは何だろうか?

切込隊長氏と「ネットは新聞を殺すのかblog」の湯川氏の間での、ブログによる論評、ジャーナリズムについての議論を読んだ。切込氏の最近のエントリには、ブログ界隈を盛り上げていこうという気概が感じられて読んでいてとても面白いのだが、この議論も、切込氏の問題意識が感じられた。お二人の議論については、湯川氏の最近のエントリで総括されておられるように、湯川氏が「『参加型ジャーナリズム』という遠い未来の夢」を語る一方、隊長は「実体験に基づく現実論を説いている」というところだろう。お二人のエントリを読みながら議論・論壇・オピニオン系のブログのあり方についていろいろ考えさせられたので、性懲りもなくまた自分の考えを書いてみる。

私としては、前に「論壇系ブログ」についていくつかエントリを書いており(参照)そちらも参考にしていただきたいのだが、最近、ブログをやめようと思っていることなどもあり、当時とは若干考えが変わっている。なるべく具体的にいくつかコメントしたいと思う。

○ブログが将来的にジャーナリズムに「融合」したり、それを「補完」したりするかどうか、ということについての将来展望について、それが5年先であれ50年先であれ、机上の空論ではあまり意味がない。むしろ、今現在、自分がブログ(広く言えばインターネット)を、紙メディアや放送メディア(TV、ラジオなど)に代わるニュース源として使っているかどうか、また、どんな情報を求めているか、また、書き手は他のメディアにない情報を発信できているか、ということを自問自答することが必要だと思う。その意味で、切込氏の具体的な数字(2ちゃんねるはTVの視聴率に換算すると1.6%程度)というのはメディアの規模を知る上で有益な指標なのだが、いっぽうで、インターネットというメディアの特徴を捉えれば、ニッチマーケットになりうるかもしれない。とにかく、ブログの書き手が総体的に面白い読み物を提供するようになり、人々がブログに注目するような状況にならない限り、この辺りの議論は無意味だと思う。その意味では、ブログ・ジャーナリズムをやりたい人は、そのへんのメタ的議論よりも、ブログ自体を盛り上げることが必要だろう。

○で、誰がそんな「面白い読み物」を提供するか、ということだが、そこで結局、切込氏の言う、「利得のないところに情報は流れてこない」という問題に行き着く。現状では、いい書き手がブログで書くという必然性がほとんどないのが大きな問題だと思う。私は、自分でもpolitical junkie属性があるのは認めるが、結局、ブログは、専門外の課外活動以外の何者でもない。目的としては、まあ時事ネタに絡めたコラムを書く練習と、そうでなければいろんな世の中の動きについて意見を言いたいという欲求を満たすという程度のものが大部分で、自分の専門領域との重なりは少ない。だから、ブログにそこまでは自分の時間と労力を投資できないし、本業が忙しくなればブログはやめる。その点、政治学やジャーナリズムの大学院生などが、もっともっとブログに本気で参戦すれば面白くなるのに、とは思う。

○また、送り手のコストの問題として、転送量増加というのも意外な障害である。具体的に、私が現在使っているTypepadで、現在のPlusプランでは1か月3GBの制限があるのだが、拙ブログの現状では2000Hit/日くらいで、このキャップの80%くらいになってしまう。Proレベルにアップグレードすれば5GBまでキャップが増えるが、それもこのまま成長していけばすぐだろう。ココログなどでは転送量制限がないということなので、つくづく失敗したと思っている。また、自前のサーバーでやっても同じ問題に行き着くだろう。社会的な影響力をもつためには少なくとも平均10000Hit/日くらいのアクセス数を目指さなければならないと思うが、そのレベルのヒット数を目指すならば、転送量コストを回収できる仕組みがなければ続けていくのは難しい。拙ブログと言えば、このままではまずいので、このまま店じまいするか、移転するかなのだが、移転するとなると労力が必要だし、移転後はしばらく続けなきゃまずいだろうし、ということで現在は消極的な現状維持で問題を先送りしている。
(そんなわけで、現在引っ越し先を検討しています。今のところ、ココログかエキサイトがいいかなと思っていますが。)

○ブログは広告媒体としてどうなのか、というマーケティング調査を見てみたい。アメリカのブログに特化した広告業者 Blogads.comでは、ブログユーザーへの調査結果を公表していて、ブログの読者は「教養が非常に高く、ネット利用率が高く、社会的影響力もあり、高収入」であるとまとめている。この調査を見てわかるのは、アメリカのブログの読者は政治など特化した情報を求めてブログを読んでいるので、広告主としては、ターゲットをピンポイントに絞って広告を出せること。また、同じブログを毎日読む人が多いので、繰り返し効果が高いことなど、ある種の広告には有利な条件もある。それに、若くてコンピューターを使いこなせる専門職の人が多いという結果もあり、例えば新しいインターネット・ビジネスを始めたい人などには格好の広告媒体と言えるという。
 日本の場合は、例えばエキサイトのブログニュースなどを覗いてみると、ブログの読者はもう少し若く、もう少しサブカル志向が強いような印象がある。この辺りのマーケティング調査の結果が出れば、日本のブログは広告媒体として熟成してきているか、判断がつくような気がする。

○アメリカでは、グループ・ブログがけっこう盛んである。ネタ的には何でもありの Metafilter が有名だが、政治系では Volokh ConspiracyOxblogなどが有名。最近のAndrewsullivan.comでは、In the Agoraというできたてのグループ・ブログが紹介されていた。グループ・サイトは更新度も上がるし、ある特定の問題系について関心を持っている人々への求心力も強まると思う。ブログの社会的影響力を強めるためには、そんな試みもあってもいいのではないだろうか。

○最後に、「情報」の定義だが、切込氏は「一次情報」にこだわり過ぎかな、とは思う。むしろ、今の時代、ある専門家だけが持っているインサイダー情報をいかに手に入れるか、ではなく、現在目の前にあるあふれる情報をどう読み、どう選別するか、のテクニックを現実のことがらを通して伝える、というニーズもあると思う。もちろん、一次情報を仕入れなくてもいいから楽というわけではない。「読みのテクニック」にも超一流から初心者まであるのだから。
 私の短いブログ歴を振り返って、自分が一番書いて充実感があったもの、あるいは一番反響があったものは、そういうコラム的な内容のものだったと思う。そのような目的には、ある元記事にリンクし、自分の分析を書くというブログのフォーマットは適していると思う。また、ブログのいいところは、時間の経過とともに書いたものが蓄積されていくこと。その蓄積から伝わる、そのコラムの書き手の世界観や方法論というものもあるだろう。

私の結論としては、もう少しいろんな分野の専門家が参入したらブログも盛り上がるかな、というのと、現在のようにコスト回収の仕組みがない状態ではせっかく参入した人も長続きしないかな、という矛盾した二つの印象が共存している状態。それは今のこのブログの状態にも反映されている。

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October 22, 2004

オープンスレッド:論壇系ブログ

この前の「論壇系ブログ」に関するエントリにはけっこう反響がありました。(アクセスも多かったですし、直接メールも頂きました。)ま、私としては何か行動を起こす予定も余力もないのですが、何かコトが動くようなエネルギーは感じます。そこで、このエントリはオープンスレッドにしますので、「論壇系ブログ」に関するコメント、トラックバックなどみなさんのご意見を書き込み下さい。本題に関係がなくても、「関心がある」という意思表示だけでも十分ですので。もしこのスレッドに意見が集まるようでしたら、たとえばBlogPeopleのTrackback People なんかを使って、「論壇系」の議論を更に進めていけたらと思います。では、どうぞ。

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October 14, 2004

論壇系ブログは日本の言論空間を変える力になれるか?

ブログを書いて商売になるかどうかは成功者待ち(切込隊長BLOG (ブログ))

切込隊長氏が、私がしばらく前に書いたエントリの問題提起に答えてくれているので、簡単ながらお返事しておこうかと思う。

切込氏は、論壇系ブログは日本の文化的土壌には根づきにくく、かえってネット上の情報を加工する二次情報系、あるいは「同好の士が理解を深めるといった手ごろなツール」としてのブログが発展してきている、と指摘しているが、私としては、根付きにくいかどうかはともかく、論壇系ブログのニッチはあるのではないかと思う。私がそう思う背景には、日本のマスコミがどうしようもなくひどいという現状認識がある。私は、Finalventの日記の社説批評のファンなのだが、このサイトを1週間も読むと、日本の主要新聞の中身の空っぽさ加減に誰でも気づくのではないかと思う。また、拉致問題について活動されているnews_from_japanでは、拉致問題がなぜほんの2年前まで主要メディアに無視され続けてきたのかという問題意識から、今のメディアの体質を明らかにする記事を書いている。私の場合、New York Timesのような欧米メディアの日本報道、またそれに追従する日本の大手メディアにはずいぶん長いこと不満があって、それがブログを続ける上でのモチベーションになっている。

これはCBSメモ疑惑について調べているときにどこかで読んで引っかかっている言葉なのだが、ジャーナリズムに資格や特殊な知識がいらないというのは公然の秘密である。極論すれば、誰でも、取材の仕方と多少の文章術を学べば記事は書ける。必要なのは、どこかの大学の学位や専門知識ではなく、経験だけである。今まではジャーナリストというのは情報発信の手段を握っている特権的な立場だったから、ジャーナリストに特権意識が芽生えても仕方なかった。しかし、ネットが出来て、誰もがジャーナリストになれるとなると、その特権意識の裏付けが問われるようになってくる。もし内容のない記事を書けばすぐにネットでツッコミが入る。それで、「王様が裸だった」というのが次第に明らかになってきているのが現在だと思う。10年もすれば、現在のジャーナリズムの寡占的な制度的枠組みは大きく変わっていると思う。いや、そうあってほしいという希望がある。

そんなわけで、論壇系ブログが日本に育って欲しいし、そのニッチはあると信じている私としては、ではどうしたら日本の文化・社会的土壌で論壇系ブロガーが育っていくか、またそのプロセスを加速できるかに興味がある。経済的なインセンティブは、そういう道筋がつけばシリアスな書き手が増えるだろうということで、むしろ二次的な問題である。ただ、どんなに崇高な理想を持っていてもビジネスモデルができないと先細りするという現実はあるので、仕組みを動かし続けるだけの資金回収システムくらいはあったほうがいいかもしれない。まあ、今のところは手弁当ということなのだが、こういう動きを加速する仕組みがあったら、その実験には参加してみたい気がする。たとえば、ココログのNiftyなんかはNifty@Payという課金システムを持っているのだから、ブログと連動するようなツールセットがあったら便利かもしれない。例えば、個々のブログに有料エリアを設けられるようにするとか、(Read more...以降の部分とか、過去ログとか、プレミアムコンテンツなど)簡単にドネーションを受け付けられるようなツールを設けるとか。方法論的にはいろいろ考えたりするのだが、私としては、論壇系・オピニオン系ブログの間のつながりを強めて、社会的影響力を強めることに興味があるのかもしれない。そういう意味では、論壇系ブログのポータルサイトとか、似たような関心系のブロガーによるグループ・ブログ(例えばCommand Postのような)などとかあったら面白いと思う。まあ思いつきに過ぎないのだが。

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October 04, 2004

ブログを書いて商売になるかどうか、について

私のよく読むブログで、ブログというメディアについて面白い議論が展開されている。きっかけは、切込隊長BLOGの、
更新されないブログの憂鬱 〜ユーザーの手元に新技術は届いているか?
という記事で、これに「極東ブログ」のfinalvent氏が長いコメントをご自分の日記に掲載している。

山本氏のエントリから引用。

 一方で、力のある書き手がブログというツールを経てジャーナリズムに近いところまで成長するのでは、ということでウェブ・パブリッシングという手法が期待されているが、これも意外とうまくいっていない感じだ。ま、私が見ている限りでは、という注釈つきだけど。うまくいってる話があれば教えてください。ヲチするんで。

これについて、finalvent氏。

 と、個人的な思いにシフトするのだが、ブログ業界というか、IT業界におけるブログというのはその発想自体が古いだろうなと考えつつある。露骨に言えば、例えば、私がブログなりを自分のジョブベースに移行できるのか? 

この、「私がブログなりを自分のジョブベースに移行できるのか?」という問いが、日本におけるメディアとしてのブログの近未来を決めるうえでひとつの大きなポイントになるとは思う。

ブログが政治言論に大きな影響力を持ち始めているアメリカでは、このへんが成り立ちつつある。元 The New Republic の編集長だったAndrew Sullivanは、最近のTIMEの記事で、自分のブログへのドネーションだけで、サイト維持費と生活費を捻出できているというし、この前拙ブログに書いたように、Talking Points MemoやKosクラスのブログでは10万ドル以上の年収があるという。

どうやってブログを有料化するか、という問題なのだが、これには、小口決済で情報を売り買いするための手順、というテクニカルな問題と、無料が普通のネット上の情報にお金を払う、という文化的な問題があると思う。(3年ほど前に、2ちゃんねるのような掲示板を商業ベースに乗せようと言う西和彦氏の "1ch.tv" という試みがあったが、いろいろあったあげく頓挫した。)

前者についていうと、現在の日本のブログだと、アマゾンのアソシエイトかはてなポイントのやりとり位だろうが、もう少しオプションが拡がるといいのではないかと思う。上に挙げたようなサイトでは、PayPalを使ったドネーションを受け付けている。日本の場合、イーバンクが日本でPayPalのような役割を果たすはずだったと思うが、PayPalがeBayと連携してかなり普及しているのに対し、イーバンクについてはあまり聞かないがどうなっているんだろうか。PayPal のようなシステムで、小口のドネーションが気軽に出来るようになると、だいぶ状況が変わってくるのだが、日本の場合金融関係の規制などで採算が取れるようなものにするのにはまだまだ時間がかかるかもしれない。

また、最近はBlogAdsというブログに特化したネット広告がある。このサイト、大手ブログの有志で経営されているようなのだが、価格表を見てみると、トップクラス(1日当たり10万PV)だと、一週間の広告料が1000ドルを超えている。ざっと下を見てみると、1日1万PVならば100ドル前後、1日1000PVならば10ドル前後となっているようだ。(価格は各ブログが設定できるらしい)。上に言及したアメリカの大手ブログはだいたいBlogAdsに参加している。(Sullivanも最近参加して話題になった。)こちらの方は、日本でも大手ブログが動き出したら意外と早く実現する気がする。

一方、後者の文化的な問題だが、こちらの方が難しいかもしれない。ブログに広告を載せているのにさえ不快感を感じる人も多いことだろう。ただ、ある程度質の高いブログを維持するためには時間がかかるし、それだけの時間を使っていることを正当化しなければいけない。また、アクセス数が増えてくると、サーバーが自前でも借り物でも、経済的負担が増えてくる。それもなんとかなればという気もする。そんなわけで、finalvent氏の、

 まとまらないが、まとめる気もないが、庶民の300万円ライフは意外に知的に充実していくように思うし、そのあたりで、いわば、現状の同人誌の拡張のようなあたりで、あるいは弱小新興宗教の経営みたいに(というのは誤解されるが)、小さい規模で書き手が維持できないだろうか。

という言葉には賛同する。

断っておくと、私は今の仕事を辞めてフルタイムのブログライターになろうなんていうことは全く考えていない。それほどこのブログに書いている内容について自惚れてはいない。私自身、趣味で書いている文章が多くの人に読まれることはうれしいし、時事問題についての意見を公表できる場があるということはありがたいと思っている。また、日本の人に、私の目から見た(大手メディアからは見えない)アメリカ事情を伝えたい、という気持ちもある。というわけで、このブログは当分続けるし、有料にするつもりもない。一方で、今のままアクセス数が増えていくと、転送料の関係でプランをアップグレードしないといけなくなるかもしれないという問題はある。正直、経済的にも時間的にも、趣味にしては少し負担が大きすぎる段階にさしかかりつつある。そんなわけで、この辺の動向には興味があるのである。

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September 26, 2004

アメリカのリベラル系ブロガー

New York Times 日曜版についてくる "Magazine" にアメリカの政治系ブロガーについての面白い記事が。 Fear and Laptops on the Campaign Trail (September 26, 2004) ダン・ラザーのメモ疑惑で注目を浴びたのは、リベラル・メディアの偏向にうんざりしている、どちらかというと保守系のブロガーだったが、この記事では、Daily Kos, Talking Points Memo, Wonketteの、有名リベラル系ブログの管理人たちに焦点を当てている。どれも、一日10万ヒット級の、政治ブログとしては最も人気のあるブログである。

メモ疑惑は、大手メディアがブロガーに負けた記念的事件として記憶されると思うが、その前には民主党大統領候補のハワード・ディーン「現象」があった。バーモント州の元知事という、大統領候補としては必ずしも恵まれないポジションにいながら、公式ブログをフル活用した草の根の組織化、それからネットを通しての小口・多数の献金集めにより、一気にレースの先頭に立った。(その後、彼の「スクリーム」演説が災いしてケリー氏に敗れたのは周知の通り。) この記事、メモ疑惑による「ネットは右寄り」という印象を薄めるためか、最近アクセス数を増やしているのはリベラル・民主党系のブログと書いている。「ラッシュ・リンボーが、トーク・ラジオを圧倒しているように、左派政治はブログで栄えている」ということだ。次の観察は興味深い。

It's almost as though, in a time of great national discord, you don't want to know both sides of an issue. The once-soothing voice of the nonideological press has become, to many readers, a secondary concern, a luxury, even something suspect. It's hard to listen to a calm and rational debate when the building is burning and your pants are smoking.

これだけ世論が分裂している現在、人々は反対の意見を聴こうとか、客観的に物事を見ようという気持ちにはなりにくい、とのこと。メモ疑惑のダン・ラザーなどは、このような熱い政治言論から距離を置いてきちんと客観的なジャーナリズムを続けると言うよりは、その流れに自ら乗ってしまい、自らのチェック機能を失ってしまった、ということかもしれない。

この記事、長いのだが、リベラル系3大ブログの管理人のプロフィールが面白い。Wonketteは、ワシントンのゴシップやら下ネタやらで有名。(このブログの内容は、ちょっと親には見せられない。)つい最近はある政治家の秘書がつけている私生活についてのブログを紹介して秘書がクビになる事件が起こった。管理人のAna Marie Coxは、大学院を辞めてから、いくつかの雑誌の編集者をしていたが結局続かずじまいだった。ところが、このブログを始めてからは、昔からの悪態をつくのが好きな性格がこのブログのペルソナとうまくマッチして、たちまち人気爆発。ブッシュ氏の公式サイトの「オリジナルなブッシュ再選ポスターを創ろう」という自動生成スクリプトを悪用して遊んだりして、左系の人気を集める。また、結構美形でもあることも手伝って、テレビの政治番組にもコメンテイターとして登場するようになった。今年の民主党大会では、MTVのレポーターを務めたりして、「シンデレラになれるかな」と思ったという。しかし、MTVからは電話がかかってこず、結局ブログからスターになると言うのは夢だったのか、と少しがっかりしているようだ。

Talking Points Memoは、典型的な「オーバードクター」タイプ。ブラウン大学で博士号(アメリカ史)を持っているが、アカデミックの世界になじめず。政治系雑誌の編集者だったが、結局合わなくて退職。理想家肌の彼は、いつも政治の現状に苛立っていたのだが、2000年大統領選のフロリダの大騒ぎを見て、怒りのはけ口としてブログを始める。民主党大会でも、いつもしわくちゃのズボンを履いていて、ダイエット・コークを飲みながら更新を続けていた。ブログ界ではけっこう落ち着いた、客観的な語り口で知られるが、それでも雑誌よりは自由に書いている。(彼は雑誌にも連載を持っているが、雑誌の原稿料はブログの広告収入よりずっと少ないらしい。)でも、ブログがこれからどうなるか、確信は持っていない。

Daily Kosの管理人は、民主党の候補の多くと連携していて、彼のサイトで下院議員候補の献金集めをすると、数日で数万ドル単位が集まるらしい。実は民主党本部の役員とぶつかることもあって、この記事にはKosの管理人と民主党の献金担当がケンカ寸前になる場面が描かれている。イラクでアメリカの派遣社員が殺されて焼死体が晒されたときに「ざまあみろ」と書いて、広告主の政治家が広告を引き揚げたりしたこともあって、ちょっと軽いタイプではあるが、彼のサイトは現在毎日30万ヒットを数えるらしい。

この記事を読んで驚くのは、アメリカの政治系ブログがけっこうな収入をあげていること。この3サイトくらいになると、年間10万ドル以上稼いでいるらしい。でも、Tシャツにジーンズというなりで、「仕事にしちゃうとつまらなくなるんだよね」などと言っている彼らブロガーの多くは、一昔前のネットバブルの経営者たちのようにも見える。また、この3人は20代後半から30代、ちょうど私と同じ年代なので、エリートコースに乗り損ねてブログにたどり着いたという、彼らのプロフィールにも共感できるものがある。ネットバブルはすぐに崩壊したわけだが、この新しい政治言論が定着するかどうか。まあ、日本のブログの近未来の可能性を見るような気がする。

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July 27, 2004

米民主党大会:リンク集

民主党大会に合わせてニュース専門局がblogを開設。けっこう大物コメンテーターが寄稿してます。
MSNBC
CNN
それから、こういうイベントの時に便利なのがinstapundit.com. 相変わらず早いです。レイノルズ教授、燃え尽きないといいんですけど

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July 12, 2004

ブロガー燃え尽き症候群

WIRED JAPAN に『ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」』という記事が載った。(7月12日付け)

ブログを書くようになって、この手の話題は時々見かける。5月には、イラク戦争のさなかにバグダッドからブログを書き続けたイラク人ブロガー、サラーム・パックス君がブログ休止して話題になった。ニュース記事(オーストラリアの新聞のオンライン版)のタイトルは、「サラーム・パックス、ブロッギングの耐えられない重さに負ける」。(こういう話題がニュースになるというのも少し前には考えられないことだが。)それから、WIREDの記事でインタビューもされているグレン・レイノルズ教授も、有名ブログ Instapundit.com でよくこの話題を持ち出す。昨日(日曜)も、「昨日からインターネットに繋げてない。非常にエンジョイしている」と書いている。(この人、更新するときは一日中びっしり更新し続けるので、結構プレッシャーがあるのだろう。)さらに、切込隊長BLOGにも、「BLOGを書いていて困ること」という記事が出たことがあった。(この記事は面白い。必読。)そこで、「ブロガー燃え尽き症候群」など、ブログを書くときの問題点としてよく出るポイントについてコメントしてみる。
●時間を取る
記事を書く時間だけではなく、記事を書くために調べものをしたり、他の人のブログを訪問したりして、ブログ関係の時間がどんどん増える。Instapundit.com からリンクしていたある大学教授のブログ記事では、読書の時間や映画の時間が減っているけど、研究の時間には影響してない、と書いている。この人によると、もともとブログを書くような人は知的なことに執着する傾向があるから、もともと他の知的活動に向けられていたエネルギーが振り分けられるだけで、合計としては変わらないとのこと。確かに、研究に使う頭の部分とブログを書くときに使う頭の部分は違うと思う。ただ、このバランスが崩れると仕事に影響するのは確かだろう。私も気をつけないと…。

●読者の期待に添うような記事を書こうというプレッシャー
これは大きいかも。WIREDの記事によると、レイノルズ教授もこれを一番厄介に思っているらしい。そもそも、個人ブログの場合、自分が好きで書いているんだから、理想としては、好きなことを好きなときに書くべきで、自分が好きなことが書けなくなったら本末転倒のはず。でも、読者数を増やしたいとかいう欲が出てきたり、読者からフィードバックをもらったりすると、だんだん読者の好みそうな話題について書こうと思って苦労したりする。この対策としては、自分がどういう読者層に向けて書いているのか、はっきりイ